比叡山の魔所探訪の折に西教寺に立ち寄った。
参拝日:2020年10月3日
西教寺の山号は戒光山、宗派は天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)。
明智光秀の菩提寺である。
参道を進む。
勅使門。五本の筋塀(すじべい)となっている。
「袴腰(はかまごし)」構造の鐘楼。
今は別の場所に安置されているが、以前の梵鐘は明智光秀寄進である。
本堂。本尊は丈六の阿弥陀如来。
また、1493年の徳政一揆の際、僧兵が西教寺に攻め入り、本堂から念仏が聞こえたので入ってみたところ、猿が一匹念仏を唱えていたとのことで、「西教寺では日吉山王の使者である猿までもが念仏を唱えるのか」と感じ入り、僧兵はその場を立ち去ったという。その「身代わりの手白猿(てじろのましら)」も本堂に安置されている。
大本坊。
庭園。
明智光秀公とその妻・熙子の位牌。
西教寺の御朱印。いくつか選択できるのだが、ミーハーな筆者は水色桔梗を選択した。
明智光秀公とその一族の墓。
熙子の墓。
筆者は明智光秀公ゆかりの場所を訪ね歩いているのだが、西教寺は訪問できていなかった。
ここまで厚く供養されていることに感動した。
織田信長の家臣として初めて城を持つことを許された明智光秀は、本能寺の変を企てた単なる謀反人ではない、人を惹きつける何かを持っているのだろうし、筆者もそれに魅せられた一人である。
まだまだ筆者の光秀ゆかりの地を訪問する旅は続きそうである。