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神社仏閣

福岡旅行:九州随一の古刹・観世音寺と「令和」ゆかりの坂本八幡宮

太宰府天満宮を参拝した後、電車で一駅移動した。

 

 

歩行日:2022年2月11日

 

 

西鉄五条駅で下車し、北に進む。

 

 

 

太宰府市役所

 

 

 

市役所の横に置かれていた石碑。
「令和」が大宰府ゆかりの元号であることを記念したもの。
「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡(=坂本八幡宮)については後で訪問する。

 

 

 

太宰府市役所から少し歩くと観世音寺に着いた。
観世音寺の山号は清水山、宗派は天台宗。
本堂のご本尊は聖観音さま。
開基は天智天皇とされており、九州を代表する古刹である。
また、奈良の東大寺および栃木の下野薬師寺とともに日本三戒壇の一つでもある。

 

 

 

参道を進む。
正面には本堂。

 

 

 

観世音寺の本堂。

 

 

 

かつてはここに五重塔が建立されていた。

 

 

 

妙心寺(京都)および當麻寺(奈良)と共に日本最古といわれる梵鐘。これは国宝である。

 

 

当初、著明な古刹にしては少し寂れてるなという感想を持ったのだが、宝蔵に入ると迫力ある仏像がたくさん安置されており圧倒された。
観世音寺に来られる際にはぜひ宝蔵をお見逃しなく。
ここの大黒天像などは、現在開催中の九州国立博物館での「最澄と天台宗のすべて」展に出品中であった。

 

 

 

 

本堂の御朱印も宝蔵でいただけた。

 

 

金堂。

 

 

 

そしてこのお堂が、奈良の東大寺および栃木の下野薬師寺とともに「天下の三戒壇」の一つとなっている戒壇院。
現在の宗派は臨済宗妙心寺派、ご本尊は木造盧舎那仏座像。
なお、弘仁13年(822)に比叡山延暦寺に戒壇院が設置されて以降は四戒壇となる。

 

 

 

 

観世音寺を出発し、西に少し歩くと大宰府政庁跡に着いた。

 

 

 

7世紀後半、大和朝廷は那津官家(なのつのみやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して九州を治め、我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。

 

 

 

現在では広い公園となっているが、当時の建物の柱を支えた礎石は今でも残っている。

 

 

 

大宰府政庁跡の北西には坂本八幡宮があるので行ってみる。

 

 

 

坂本八幡宮のご祭神は応神天皇。
大宰帥(だざいのそち)として大宰府に赴任した大伴旅人は、730年、自身の邸宅にて「梅花の宴」を開いた。
元号「令和」は、その時詠まれた梅花の歌三十二首の序文「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用された。
大伴旅人邸はこの付近だったといわれている。

 

 

 

社務所は閉所中。

 

 

ここは「令和」ゆかりの神社。

 

 

 

「がらんさま」という石柱は天台宗寺院によく見られ、寺の中心地や結界となる境を示しているといわれる。
当社の鎮守としての性格を表しているとのこと。

 

 

 

喉が渇いたのでソフトクリームを食べる。

 

 

 

大宰府政庁跡バス停からバスに乗り、博多に戻る。

 

 

 

ホテルで少し休憩して、晩御飯は「もつ鍋・田しゅう」さんで。

 

 

 

ついでに馬刺しも。

 

 

 

太宰府市は、さすが古代日本の西の都だけのことはあり、寺、神社、政庁跡など、見るべき箇所がいくつもあった。

一日でほぼ観光できたのだが、竈門神社と宝満山には行くことができなかったので、それは次回のお楽しみということにしよう。

あと、モツ鍋はめちゃうまでした。

 

 

 

 

 

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