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京都大原

京都 大原 三千院~勝林院~寂光院

今回のブログのタイトル「京都 大原 三千院」というと何やら唄が聞こえてきそうだ。
大原(おおはら)は京都市中心部から北東に位置し、京都市左京区の一部なのだが、山里という言葉がぴったりの田舎である。
この辺りは比叡山の麓ということで、三千院を始め多くの天台宗寺院が並んでいる。
その中には声明(しょうみょう)発祥の寺や浄土宗生まれの寺、あるいはしば漬け発祥の寺など、興味深い寺院が多くある。
今日の順番は、来迎院→三千院→実光院→勝林院→宝泉院→寂光院。


歩行日:2019年1月26日
出発地:京都バス・大原バス停(11:10)
到着地:京都バス・大原バス停(16:40)
総歩行距離:10.7 km



大原へ公共交通機関を利用して行くとなると、バスを利用することになる。
京都市バスではなく、民間会社の「京都バス」なので注意。
京都駅 10:13 発の大原行きの「京都バス」に乗る。

 

 

京都駅から1時間ほどで「大原」バス停に着いた。

 

 

まずは三千院の方向へ向かって歩く。
山奥なので雪が舞っていた。



周りの山は雪化粧。

 

 

途中の民芸品屋の前を通る。

 

 

三千院への道しるべ。
この道は「大原女(おはらめ)の道」とよばれる。
昔、大原から京の都へ薪を頭に乗せて行商に行っていた女子が通った道。

 

 

「大原女の小径」を行く。

 

 

この付近にはたくさんの天台宗寺院が並んでいる。

 

 

だんだん雪が積もっている。

 

 

この辺りは京漬物でも有名。特に「しば漬け」は発祥の地である。

 

 

「大原女の小径」の案内板。

 

 

さらに進むと前方に石段が見える。

 

 

バス停から10分ほどで、小さな交差点に差し掛かった。
北に行けば三千院に行けるが、その前に東に位置する来迎院に先に行くことにした。

 


と、その前に「一福茶屋」さんで腹ごしらえをする。

 

 

注文したのは、天ぷらそばとミニ丼のセット。

 

 

さて、東に進む。

 

 

5分ほど歩くと、来迎院の参道に着いた。

 

 

「浄蓮華院(じょうれんげいん)」の横を通り過ぎる。ここは宿坊になっているらしい。
この付近一帯の寺院の山号は「魚山(ぎょざん)」。

 

 

少し行くと、来迎院(らいごういん)本堂への標識が見えたので、とりあえず左折する。
直進すると「音無(おとなし)の滝」に行けるので、そこには後で行くことにする。

 

 

来迎院の山門。

 

 

ここに書いてある「声明(しょうみょう)」というのは仏教の歌のことで、キリスト教でいう讃美歌のようなもの。

 

 

鐘楼。

 

 

来迎院では鐘を撞くことができた。ゴーン。

 

 

本堂。天気は良いのだが、風で雪が舞っている。

 

 

本堂内部。中央の本尊は薬師如来。左は阿弥陀如来で、さらにその左は不動明王。
本尊の右は釈迦如来で、さらにその右は毘沙門天。

 

 

この辺りの地名「大原」は大原寺(だいげんじ)からつけられた。
大原寺に来迎院、三千院、勝林院等が全て含まれていたらしい。

 

 

来迎院を開基した良忍(りょうにん)上人の御廟に行ってみる。

 

 

御廟へと続く参道。

 

 

良忍御廟。

 

 

来迎院の御朱印。

 

 

来迎院を出て、さらに東に進む。
完全に雪道となっている。

 

 

音無の滝への案内板。

 

 

雪で石段は分からなくなっていた。

 

 

ここから比叡山へ行くことができるらしい。
確か延暦寺から大原へ抜けるルートがあることは知っていたが、この道だろうか。

 

 

音無の滝に着いた。
滝の音と良忍上人の声明の声が融和して、ついには滝の音が聞こえなくなったことから、その名がついている。
もちろん今は滝の音はよく聞こえる。

 

 

のどが渇いたので、天然のかき氷を食べる。

 


三千院の前に戻ってきた。
土産屋や食事処もあり、賑わっている。

 

 

ほどなく、三千院の山門に着く。
三千院は天台宗五箇室門跡(三千院、青蓮院、曼殊院、妙法院、毘沙門堂)のひとつで、
このブログでも青蓮院毘沙門堂については既に紹介済みである。
三千院は昔は梶井門跡ともよばれていた。

 

 

客殿にて受付を済ます。

 

 

聚碧園(しゅうへきえん)という庭園。

 

 

清浄水

 

 

門跡寺院なので宸殿がある。その宸殿を出る。

 

 

三千院のメインのお堂である往生極楽院。
中には国宝の阿弥陀三尊像(中央:阿弥陀如来、左:勢至菩薩、右:観音菩薩)が祀られている。
阿弥陀さんの背が高いので、天井が船底型に作られているのが特徴。

 

 

外から少しだけ阿弥陀さんのお顔を拝見。

 

 

三千院といえば、庭のわらべ地蔵さん。

 

 

石段を上がる。

 

 

弁天さんが祀られていた。

 

 

美人の弁天さん。

 

 

観音さんとお不動さんのところへも行かねば。

 

 

金色不動堂(こんじきふどうどう)。
金色のお不動さんは初めて見た。
ここで御朱印もいただける。「金色不動尊」。


 

 

観音堂。

 

 

鎌倉時代の阿弥陀如来石仏。

 

 

三千院を下りていく。

 

 

宝物館。この横で御朱印がいただける。「本尊 薬師如来」。

 

 

三千院を出たところで、昆布茶のご接待を受けた。

 

 

お不動さんのお茶ということで衝動買い。

 

 

大原に来たら漬物を買うのが楽しみであった。
「すぐき」と「しば漬け」を購入。

 

 


三千院を出て、北に少し行くと後鳥羽天皇陵と順徳天皇陵があったのでお参りした。

 

 

天皇陵を後にする。遠くの雪化粧した山々が美しい。

 

 

天皇陵の向かいには実光院がある。ここは後で訪れる勝林院の子院。
ここは客殿から庭園を拝観することがメインとなる。

 

 

実光院の庭園。外に出ることができた。

 

 

実光院で有名なのはこの不断桜(ふだんざくら)。四季を問わず五弁の白い花をつける。

 

 

これはネコヤナギの木。

 

 

ネコヤナギの冬芽。

 

 

御朱印をいただいた。「梵音寂(ぼんのんじゃく)」。
梵音とは仏の声の意味。

 

 

次に訪れたのは実光院の本寺となる勝林院。
ご存知かもしれないが、浄土宗開祖の法然は、最初は比叡山延暦寺(天台宗)にて修行をしていた。
その後、山を下りて浄土宗を開いたわけだが、ここ勝林院の寺務所の方の話によると、
「勝林院で法然は多くの天台宗の僧と問答をし、全ての質問に明確に回答したので、
ここから浄土宗が開かれたといっても過言ではない」とのこと。
この問答は大原問答とよばれている。
ただし、浄土宗の総本山はここではなく、このブログでも以前ご紹介した知恩院である。

 

 

勝林院の鐘楼。

 

 

本堂。本尊は阿弥陀如来。
この本堂は、写真上部にも見える通り、沢山の彫刻があり見事であった。

 

 

隙間から一枚。
ここに見える「五色の綱」とよばれるロープのようなものは、参拝者の足元にまで続いていて、握ると阿弥陀さんと直に接するのと同じとのこと。
筆者も触れさせていただいた。
本堂の中も参拝したが、この時期、板張りの床は冷たく、お坊さんのご苦労が推し測られる。
阿弥陀如来の両脇(脇侍(きょうじ)という)には不動明王と毘沙門天が安置されていた。
撮影禁止のため、お見せできないのが残念だが、迫力のある仏様だった。

 

 

参拝が終わって外に出てみると、先ほどまで青空だったのが吹雪に変わっていた。

 

 

本堂から参道側を撮った写真。

 

 

勝林院の御朱印は「大原問答」。

 

 

次に訪れたのは宝泉院(ほうせんいん)。ここも実光院と同じく、勝林院の子院である。

 

 

門には角大師(つのだいし)が貼っていた。
角大師については、以前このブログで紹介した。
「比叡山延暦寺 登山 無動寺坂コース」ご参照のこと。

 

 

宝泉院の内部。囲炉裏のある部屋から見る雪景色。

 

 

部屋の中にも角大師さん。

 

 

外は相変わらず吹雪いている。

 

 

お茶のご接待を受けようと部屋に上がると、雪が部屋に入り込んできた。
先ほどまで青空だったので、窓を外して庭園を鑑賞していたが、突然吹雪になったとのこと。

 

 

お掃除が大変だ。ただ、気温が低いので、溶けて濡れることはなく、雪はほうきで掃いて外に出せた。

 

 

前に見えるのは「五葉松」。京都市の天然記念物。
高浜虚子はこの松を「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだ。

 

 

これは「水琴窟(すいきんくつ)」。
竹筒に耳をあてると、地底から水の滴る音が聞ける。「キーン」「コーン」
特に、宝泉院の水琴窟は理智不二(りちふに)と命名された珍しい二連式の水琴窟である。
YouTubeでも聞けるので、興味のある方は聞いてみてください。

 

 

抹茶と和菓子をいただく。

 

 

再び日差しが出てきたようだ。

 

 

宝泉院の御朱印。「仏心」。

 

 

宝泉院を出発する。

 

 

ここから寂光院までおよそ 2km 歩く。

 

 

京都大原学院。京都市立大原中学校と京都市立大原小学校を一体化し、9年間の一貫教育校として設立された。
2018年4月に小学校課程から中学校課程まで義務教育を一貫して行う義務教育学校となっている。
寂光院まであと 1km。

 

 

「右 寂光院、左 京道」の道しるべ。

 

 

寂光院自体は聖徳太子が建立したというので、西暦600年頃か。
しかし、それよりも平家物語の悲劇のヒロイン・平徳子(建礼門院)が平家滅亡後に隠居した寺として有名である。
平徳子(たいらのとくこ)は建礼門院(けんれいもんいん)徳子ともよばれ、平清盛の娘である。
また、高倉天皇の皇后でもあり、安徳天皇の母でもある。

高倉天皇は病弱でわずか21歳で崩御され、その後は源平の間で争いが激しくなっていく。
そして、1185年の壇ノ浦の戦いで、ついに平家は滅亡する。
その時、徳子は母時子と息子である安徳天皇と共に入水したが、徳子だけが助かってしまう。
そして、その後はここ寂光院に隠居し、平家の菩提を一生に渡って弔ったということである。
29歳で母親と息子を目の前で同時に失うというのは、筆舌に尽くしがたい苦悩があったに違いない。

 

これは「朧(おぼろ)の清水」。
建礼門院徳子が寂光院に隠棲する道すがら日が暮れて、月の明かりでこの泉に姿を映し自身の境遇を嘆いたという。

 

 

寂光院にだいぶ近づいてきた。

 

 

風情豊かな道を進む。

 

 

建礼門院徳子の御陵。寂光院の隣にあった。

 

 

隠棲した徳子を気の毒に思い、義理の父である後白河法皇がお忍びで寂光院を訪ねられている。
これを大原御幸(おおはらごこう)という。
まさに「盛者必衰の理をあらわす」である。

 

 

さて、そんなことを考えているうちに寂光院に着いた。
ここは天台宗の尼寺である。

 

 

寂光院は建礼門院徳子ゆかりの寺であると同時に、「しば漬け発祥の寺」。
一見何の関係もないようだが、大原の地元の人は高貴な徳子皇后に喜んでもらおうと紫蘇(しそ)の葉の漬物を献上した。
徳子はたいそう喜び、「紫葉漬け(むらさきはづけ)」と命名した。
むらさきはづけ→紫葉漬け→しば漬けということ。
筆者もキュウリのしば漬けは大好物である。

 

 

さて、拝観料600円を払い、境内に入る。

 

 

山門。

 

 

鐘楼。その名も「諸行無常の鐘」。

 

 

本堂。本尊は地蔵菩薩。
鎌倉時代の地蔵菩薩が祀られていたのだが、2000年5月9日、放火により本堂と本尊が焼失するという、
悲しい事件があった。
ただ、本尊内に埋められていた無数のお地蔵さんは無事であり、今でも祀られている。

 

 

これは書院。

 

 

汀(みぎわ)の池。
先ほど述べた「大原御幸」の際、後白河法皇は

池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ

と歌った。池水とはここのこと。

 

 

ここは建礼門院御庵室跡。
ちょうど本堂の裏あたりであり、建礼門院徳子はここに棲まれていた。
侍たちに看取られて往生したのもここだという。

 

 

これは旧本尊収蔵庫。
2000年の放火で助け出された地蔵菩薩はここに安置されており、定期的に公開されているようだ。

 

 

寂光院を下りる。

 

 

寂光院の御朱印。「本尊 地蔵菩薩」。

 

 

帰りに建礼門院のお参りをしようと思っていたのだが閉門されていた。残念。

 

 

バスに間に合わないので、吹雪の中急いで戻る。

 

 

何とか間に合ったので、16:43 発の京都駅行きのバスに乗る。

 

 

京都駅には18時に着いた。

 

 

大原というと、秋に紅葉狩りに三千院を訪れるという方が多いのではと思うが、
ぜひ丸一日かけてその他の寺院にも足を運んでもらいたいと思った。
また、桜の季節、梅雨の季節、紅葉の季節によっても風景が全く変わると思うので、
楽しみが増えたと感じた旅であった。
今日のルート。

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