二ヵ月前、比叡山山麓の町である坂本から比叡山に登り、ぐるっと一周して再び坂本に下りてくるという予定で登山を行ったが、その時は筆者が熱中症のため、途中の横川でリタイヤするという事態になってしまった(比叡山延暦寺 登山 無動寺明王堂での護摩供)。
久しぶりにお山に上りたくなったが、三連休中ということもあり、車やケーブルカーでは渋滞や混雑が予想された。
そこで、前回のリベンジということもあり、混雑とは無縁の「徒歩による登叡」を行った。
歩行日:2019年11月2日
出発地:京阪電鉄・松ノ馬場駅(6:20)
到着地:JR 比叡山坂本駅(13:20)
総歩行距離:21.8 km
本日のルート。途中、横川付近で途切れているが、筆者が測定用のスイッチを入れ忘れたことによるもの。
今日はリタイヤできないということで、午前4時起床で筆者最寄りの駅で始発電車に乗った。
京阪電鉄・石山坂本線に乗ると、車窓から日の出を見ることができた。
登山スタートの松ノ馬場駅には 6:22 に到着した。
駅を降り、西方向(比叡山方向)に歩く。
いつもの地蔵尊で本日の安全を祈願する。
朝焼けに照らされ美しい不動尊。
振り返ると、琵琶湖の対岸に朝日を拝むことができた。
6:32、無動寺坂の入口に到着。ここから登山道(無動寺坂)が始まる。
また、この道は千日回峰行の阿闍梨様も歩く回峰行道でもある。
この鎖を超えると本格的にスタートとなる。
無動寺坂を進む。
右奥に石柱が見える。
この石柱が「浄刹結界跡」である。
比叡山も明治初期までは女人禁制であり、女子はここまでしか来れなかった。
また馬もここまでしか上れないため、お堂を建立するときには、ここから先は人力で材木を運ぶ必要があった。
6:43、浄刹結界跡から少し進むと、ちょっとした広場に出る。
叡南浩元・阿闍梨様から教えていただいたのだが、無動寺坂の道中、この広場から最初の祠までが急登で一番きついとのこと。
では、気合を入れて進む。
急勾配の石段を上る。
6:53、広場から10分ほどで、最初の祠(お不動さん)に到着。
ここからは少し緩やかになる。
6:57、前方に二つ目の祠(正井観順・大阿闍梨)が見えてきた。
1913年(大正2年)9月18日、正井観順(まさいかんじゅん)・大阿闍梨は三回目の千日回峰行の行中、ここで入滅された。
正井行者(ぎょうじゃ)と彫られている。
土佐日記の作者である紀貫之は比叡山から眺める琵琶湖が美しいと言って、比叡山中に自身の墓を作るよう要望した。
ここから九丁(およそ 1km)のところに紀貫之墓所がある(筆者は未だ訪れたことがない)。
明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、頭がなくなったお地蔵様。
オン カカカビ サンマエイ ソワカ
7:05、2018年に関西を襲った台風21号による倒木の場所に着いた。
これまでは少し迂回することを余儀なくされていたのだが、今日は土嚢が置かれ、橋を渡れるようになっていた。
おそらく延暦寺管理部のお坊さんが修繕してくれたのだろう。感謝。
どんどん進む。
見晴らしの良い場所で朝日を拝む。
7:13、紀貫之墓へ行く道と無動寺坂道との分岐点に着いた。
筆者は左の無動寺道を進む。
ここからはいったん沢まで下りて、そこから無動寺エリアまで一気に登る。
7:23、筆者はこの沢を通るたび、手を洗って清めることにしている。
効果があるのかどうかは知りませんので、悪しからず。
沢から上っていくと、無動寺エリアの目印となる動物除けの柵が見えてくる。
無動寺道の中では、先述したのに次いできつい坂だと思う。
7:32、その柵に着いた。写真奥には大阿闍梨様のお住まいである玉照院が見える。
玉照院。
右に穴太衆積み(あのうしゅうづみ)の石垣を見ながら進む。
前方に護摩堂(ごまどう)が見えてきた。
護摩堂の信者が座る部分は仮設となっている。手前に座布団が重ねられているのが見える。
7:37、護摩堂に到着。
実はこの日は昼12時過ぎから大阿闍梨様による八千枚大護摩供(おおごまく)が行われる。
阿闍梨様はこの日から明日の結願(けちがん)まで、断食・断水・不眠で護摩祈祷を行われる。
筆者は明日の結願に参加する予定なので、詳しくは明日のブログ(2019年11月3日)で紹介したい。
護摩堂内部。奥に不動明王が安置されている。
護摩堂からすぐの所に、回峰行の聖地である「無動寺明王堂」がある。
お不動さん好きの筆者は、中でもここの不動明王が一番のお気に入りである。
7:47、明王堂から見た景色。大津市街が見渡せる。
筆者はここからの景色を早朝、昼間、夕方、深夜に見ている。
間もなく八千枚大護摩供が執り行われるので、その受付も設置されている。
弁天堂との分岐点にも八千枚大護摩供の案内板が置かれていた。
無動寺を通り過ぎてさらに進む。正面に「閼伽井(あかい)」が見える。
これが閼伽井という井戸。明王堂のお不動様に供える水はここで汲まれる。
千日回峰行の中の「九日間の堂入り」のうち、阿闍梨様が唯一お堂を出るのが、ここの水を汲みに来られるときである。
さらに無動寺参道を進む。
8:00、ケーブルカーの比叡山駅が見えてきた。
比叡山駅前にも八千枚大護摩供の案内板が設置されていた。
比叡山駅前の広場から見た景色。眼下に琵琶湖が広がっている。
この道は観光客も通るので、昼間は混雑するはずであるが、まだ 8:15 なので人影はまばらである。
正面の受付で参拝料 700 円を納める。
東塔エリアに入った。普通の登山ではないので、少し参拝してから行くことにした。
一隅会館の前を通り過ぎる。
三面大黒天さんが安置されている大黒堂。
日本で有名な三面大黒天は、ここの大黒天と高台寺圓徳院の秀吉の守り本尊大黒天だと思う。
オン マカ キャラヤ ソワカ
大書院。天皇陛下も行幸の際はここで休憩される。
比叡山の「入口」にあたる文殊楼(もんじゅろう)。本尊は文殊菩薩。
筆者は、やはりここをくぐらないと比叡山に来た気がしない。
文殊楼をくぐると、すぐこのような急勾配の石段があり、階下に比叡山の本堂となる「根本中堂」が見える。
8:25、根本中堂の本尊は最澄さん自作の薬師如来。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
ゴーン。これは50円で誰でも撞くことができる。
右手に大講堂が見える。
8時30分から朝礼が始まり、スピーカーから般若心経が聞こえたので、僧侶・スタッフに混じって筆者も唱えた。
8:34、大講堂に着く。本尊は大日如来。
オン アビラウンケン
「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という伝教大師・最澄のお言葉。
8:37、戒壇院に到着。戒壇院設立は比叡山史において最も困難な事業であった。
戒壇院は僧が授戒を受けるための堂宇であるが、平安時代初期はまだまだ奈良仏教の力が強かった。
そのため、比叡山に戒壇院の建立がなかなかみとめられなかったからである。
西塔方面に進む。
管理部。ここで働いている人も全て比叡山延暦寺の僧侶である。ご苦労様です。
さらに進むと弁慶水(べんけいすい)が見えてきた。
8:42、弁慶水。
比叡山が修行道場として発展した理由の一つは、このような自然の湧水が豊富であることによる。
橋を渡ると先に山王院が見える。
ここから浄土院へ行く道は「伝教大師御廟(ごびょう)道」といわれているらしい。
伝教大師御廟道を進む。
少し進むと、倒木が横たわっていた。
先日の台風19号では関西はそれほどの被害はなかったはずだが、それでもこの通り巨木がなぎ倒されている。
この木は、今から四日後の11月7日に撤去されるというアナウンスがあった。
奥に見えるのは浄土院である。
8:50、浄土院に到着。十二年籠山行(ろうざんぎょう)を行されている侍真僧が修業されている場所。
いつ来ても、きれいに掃き清められている。
浄土院の筋塀(すじべい)。五本の横線が格式の高さを物語っている。
浄土院の拝殿。この裏手に伝教大師・最澄さんの御廟(ごびょう)があるので行ってみる。
浄土院裏の御廟。最澄さんに合掌。
西塔エリアに向かう。
途中にあった、親鸞さん修業の地。
9:00、にない堂が見えてきたが、何やらいつもと様子が違うぞ。
現代アーティストのヤノベケンジさんが製作した狛犬。
比叡山のイベント「照隅祭(しょうぐうさい)」の一環として奉納された。
ちゃんと阿吽の形になっている。
にない堂を過ぎて、階下を釈迦堂に向かおうとすると、ここでも様子が異なっている。
この日の午後から大阪桐蔭高校吹奏楽部と高橋まことのコラボとなるライブイベントがあるらしい。
高橋まことは「boowy」のドラマーである。
筆者なんかは「boowy」は合致する世代なのだが、今の高校生は「マリオネット」とか知ってるかな?
いずれにせよ、釈迦堂の前にドラムセットが置かれる日が来るとは思わなかった。
ライブを見たかったのだが、開演までまだ3時間以上もあるので、さすがにそれまでは待てないので、
次に進むことにする。
釈迦堂の横を進む。
案内板の通りに進む。
途中、聖観音さんにご挨拶。
9:09、相輪塔に到着。
9:11、相輪塔の向かいには弥勒菩薩の石仏が置かれている。
何十年も昔の話だが、この辺りが草むらだったころ、参拝客の老婆がこの石仏を偶然見つけて延暦寺に報告し、
その後鎌倉時代の石仏だと判明したらしい。
向かって右側の光背が三分の一が欠けているのは、信長による焼き討ちによるものだといわれている。
後ろに回ると、背中には何やら梵字が書かれている。下部の四角はロウソク立てだろう。
光背の三分の一を失ったとはいえ、信長による焼き討ちを逃れ、こうして現存するのを見ると、感慨深いものがある。
合掌。
ここは十字路となっていて、少しややこしい。
手前から歩いて来て、左は相輪塔、右は弥勒石仏、そして正面が横川(よかわ)方面である。
横川・元三大師堂方面に進む。
山中にはこのような御社がたくさんある。
車に注意して、比叡山ドライブウェイを横断する。
釈迦堂方面から来たので、玉体杉方面に進む。
横川までは尾根伝いの道なので、高低差はあまりないが、所々このような石段がある。
お地蔵さんの横を、気分良く歩く。
黒谷青龍寺は浄土宗の寺院で、浄土宗を開いた法然上人が修業した場所として知られている。
筆者はまだ訪れたことはなく、次回の楽しみにとっておこう。
筆者が歩いているこの道は峰道(みねみち)とよばれている。
京都一周トレイルのトレイルコースであり、東海自然歩道のハイキングコースでもあり、
また、千日回峰行の行者道(ぎょうじゃみち)でもある。
途中、奥比叡ドライブウェイと並走している箇所がある。
9:41、釈迦堂から 1.4km 歩いてきた。
玉体杉(ぎょくたいすぎ)まであと 600m、横川(よかわ)エリアまであと 2.6km。
行者道を進む。
キノコが群生している。
どんどん進む。
前方に玉体杉が見えてきた。
9:49、玉体杉に到着。玉体(ぎょくたい)とは天皇陛下のご神体をいい、
回峰行の行者はここから京都御所に向かって、玉体の加持祈祷(かじきとう)を行う。
蓮(はす)の葉を形どった蓮台(れんだい)。
回峰行の行程中、行者が唯一座って加持祈祷する場所でもある。
蓮台から京都方面を見渡す。真ん中の暗い部分が京都御所である。
ただし、実際に行者がここを通るのは午前3時頃なので真っ暗である。
ちなみに筆者は以前、一日回峰行に参加しており、その時に午前4時頃玉体杉を通った時の写真が↓である。
玉体杉からは京都側と琵琶湖側の両方を望むことができる。
こちらは玉体杉から見た琵琶湖。
玉体杉を出発し、しばらく行くと分岐点に到着する。
写真手前から歩いてきたのだが、右に行くと横川(よかわ)エリアに行ける。
左にも道があって、そちらに行くと、横高山から仰木峠を抜けて、三千院で有名な大原に行ける。
本日は横川エリアに向かう。
左折して少し進むと、先に奥比叡ドライブウェイが見える。
奥比叡ドライブウェイ下のトンネルをくぐる。
トンネルを出る。
道なりに進む。
白キノコの群生。
まだまだ進む。
横川(よかわ)まであと 1km。
どんどん進む。
前回歩いたときはこの倒木はなかったので、先日の台風19号で倒れたのだろう。
下に横川の駐車場が見えてきた。
10:21、横川駐車場に到着。
本日11月2日からは「比叡のもみじ」と称してイベントが行われており、駐車場にはこのように出店があった。
筆者はこの旗に惹かれて、、、
「お山のコロッケ」旨い!
さて、横川エリアの境内に入る。
前回は横川に入る前に熱中症でリタイヤし、バスで引き返した。
今回は気温も涼しいため、順調である。
先に、龍が池弁天が見える。
これが龍が池弁財天。雨乞いの神様。
10:33、横川エリアの本堂にあたる「横川中堂(よかわちゅうどう)」に到着。
横川中堂付近は紅葉が見られた。
横川中堂の本尊は聖観音(しょうかんのん)菩薩。
オン アロリキャ ソワカ
横川中堂の次は元三大師堂(がんざんだいしどう)へ行くが、その前に元三大師さんにお参りする。
ここを左折し、元三大師御廟へ行く。
「御廟」はふつう「ごびょう」と読むが、元三大師に限っては「みみょう」と読む。
山道を行く。
10:45、元三大師御廟に到着。
鳥居の向こうに見えるのは拝殿で、御廟はその奥にある。
奥にまわると、このように元三大師御廟(みみょう)に着く。
まずは、ろうそくと線香をお供えする。
元三大師さんに合掌。
敷地内はご覧の通り、荒れ放題である。
これは元三大師・良源の遺言で「私の墓の敷地を清掃する暇があるなら、その分修行せよ」というのが忠実に守られている。
墓石もキノコのような形のものがポツンと建っているだけのシンプルなもの。
しかし、この墓こそが、京都の都を 1000 年以上ずっと守ってきたのである。
京都の北東(鬼門の方角)には比叡山延暦寺があり、その北東には横川エリアがあり、そのまた北東にこの元三大師御廟がある。
すなわち、鬼門中の鬼門中の鬼門にあたり、鬼が都に入ってくるのを防いでいてくれたのである。
それでは元三大師堂に向かう。
途中、甘露山王社という山王社がある。以前は修繕工事をしていたのだが、きれいになっていた。
これは行院。若い修行僧の修行の場。
箸塚弁財天。
元三大師が、最澄にならい千僧供養を行い、その際使用した箸を埋めて弁財天を祀った。
比叡山三弁天の1つ。ちなみに残りは、無動寺弁財天と西塔にある箕淵弁財天。
11:00、元三大師堂に到着。
元三大師さんは霊験(れいげん)あらたかで、いろんな形に変化できる。
この角大師(つのだいし)も元三大師さんが変身した形。
祇園のお店では、玄関や戸口に厄除け札として貼っているので、ご覧になった方もいるかもしれない。
筆者も玄関に貼ってある。
元三大師堂はおみくじ発祥の地でもある。
手水で心身を清め、元三大師さんにまみえる。
なおここは、比叡山の堂宇の中で、唯一実在した人物(元三大師)が本尊となっているお堂である。
元三大師堂では色鮮やかな紅葉が楽しめた。
次に恵心堂(えしんどう)に向かい、その後、山を下りることにする。
11:10、恵心堂に到着。
恵心僧都(えしんそうず)・源信が「往生要集(おうじょうようしゅう)」を書き著した場所であり、
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という念仏の発祥の地である。
これが恵心堂。南無阿弥陀仏
また、先日、三室戸寺に参ったとき、源氏物語の浮舟の話がでてきたが、このとき浮舟という女性は宇治川に身を投げるのだが、
それを助けたのが横川僧都という比叡山・横川の僧侶だと書いてあった。
その横川僧都というのが、この恵心僧都・源信であるとのこと。
先日の話とつながったことに、筆者は一人で感動していた。
恵心堂を出発し、麓の坂本に下りる。
横川から坂本までおよそ1時間30分の予定。
道は少しややこしい箇所がいくつかあるが、まずは「日本生命慰霊宝塔」と「滋賀医大霊安墓地」を目指せば良い。
11:17、日本生命慰霊宝塔の入口を通過する。
分岐点。左に下っていくと、「飯室不動堂」に行ける。
飯室不動堂のご住職も千日回峰行を満行された藤波源信・大阿闍梨様である。
実は千日回峰行のルートは二つあり、ここを左に行くルートは「飯室回峰道」とよばれる。
右側は、筆者がこれまで何回も歩いた道であり、「横川行者道」とよばれる。
本日も「横川行者道」を行く。
11:22、恵心僧都の墓所に着く。これまでは階下から手を合わせていたのだが、今日は時間もあるので石段を上っていくことにする。
すると、先にお参りされていたご夫婦が、花を供えられていた。
「源信さんのところに行かれましたか」と尋ねられたので、「はい、恵心堂に参ってきました。」のような会話をした。
「恵心僧都御墓」と書かれている。
横川行者道を進んでいく。
11:31、滋賀医大霊安墓地に着いた。
ここには、大学病院でのご献体を供養する石碑がある。
ここは左折が正解である。
横川行者道を下っていく。
琵琶湖大橋がはっきりと見えた。
この標識から先は細い道を下っていく。
コールポイントが所々に出てくる。
どんどん下る。
34番ポイントから下りの勾配が急となる。
12:15、奥総社(神宮寺跡)に着いた。
ここは、比叡山延暦寺からすると、最澄の父が安産の願掛けを祈った聖地「神宮寺跡」であり、
日吉大社からすると、太古の昔からの御神体である八王子山の奥宮のさらに奥の「奥総社」になる。
奥総社からさらに道なりに進む。
12:26、日吉大社・奥宮に到着。
正面に見えるのは「金大巌(こがねのおおいわ)」。
向かって右側が牛尾宮、左が三宮宮。
牛尾宮は東本宮に祀られている大山咋神(オオヤマイクノカミ)の荒魂が祀られている。
三宮宮は樹下宮(じゅげぐう)に祀られている鴨玉依姫神(カモタマヨリヒメノカミ。大山咋神の妻)の荒魂が祀られている。
両宮ともに麓の神様の「荒魂(あらみたま)」が祀られているが、さすがこのような場所に構えるだけのことはある。
牛尾宮。
三宮宮。
奥宮からの景色。
日吉大社の方へ下りていく。
12:45、石段を下りると日吉大社の境内である。
石段の左側は三宮宮の遙拝所。
こちらは牛尾宮の遙拝所。
東本宮の楼門。
日吉大社の参拝を終え、坂本の町を琵琶湖方面に進む。
12:55、律院(りついん)に到着。ここのご住職は、千日回峰行を満行された叡南俊照・大阿闍梨様であり、
無動寺明王堂の輪番である叡南浩元・大阿闍梨様の師僧にあたる。
律院の本堂。
律院の再興者であり、千日回峰行を満行された行者でもある叡南祖賢・大阿闍梨。
その横にはお不動さんを本尊とする護摩堂。
池には弁天さんが祀られている。
律院を後にし、鶴㐂そば(つるきそば)でお昼をとろう思ったが、連休なので長蛇の列であり断念した。
13:09、その横の「鶴屋益光」さんでお土産を買う。
買ったのは、穴太衆積みの石垣をまねて作られたもなか。
その後、向かいの生源寺にも立ち寄る。
ここは最澄さんが生まれた場所。
車道がそのまま日吉大社の参道となっている。
13:22、ゴールとなる比叡山坂本駅に到着。
この日の歩行距離は 22.3km。歩数にして、32,721 歩であった。
前回リタイヤしたが、本日は予想以上に早く着いたので、だいぶ自信もついた。
来年はまた、一日回峰行や三塔巡拝に参加できるかな。