「熊野三山巡拝パート1(熊野那智大社~青岸渡寺~補陀落山寺)」の続き。
補陀落山寺から車で北へ 20 分ほど行くと、新宮市に着き、ここに神倉(かみくら)神社と熊野速玉(はやたま)大社はある。
神倉神社は、現在では熊野速玉大社の摂社であり、熊野三山の神々が最初に降臨したと伝わるゴトビキ岩を御神体としており、熊野信仰の根本となる霊所であると考えられている。
建立は西暦128年というから、ざっと今から1900年前という想像もつかないほど昔である。
国道42号線を北上し、新宮市に入ると左手山側に神倉神社が見えてくる。
神倉神社の駐車場。
駐車場の隣には、出雲大社の新宮教会(出雲大社の支社)がある。
この橋を渡って境内に入る。橋の奥には猿田彦(さるたひこ)神社の鳥居が見える。
神倉神社のご祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)。
先に石段の入口が見える。
石段の勾配が急なことで有名なので、三脚を使って石段を撮影している人たちがいた。
石段の入口には鳥居がある。
石段の数は 538 であり、これらの石段は源頼朝が寄進したといわれている。
筆者はいろんな石段を見てきたが、これほどの急勾配は初めての経験であった。
両手を使わないと登れないほどであった。
行きは良いとしても、帰りはちゃんと下りれるのか不安になる。
踊り場のような広場に着いた。左は火神社、右は中ノ地蔵堂。
降りてきた人からアドバイスをいただき、中ノ地蔵堂右側の道から下りれば勾配はマシだということを教わる。
登ったは良いが、どうやって降りようか心配していたので本当に助かった。
踊り場からの上り道は緩やかである。
熊野の神々が最初に降臨したといわれるゴトビキ岩が見えた。
熊野信仰の始まりといわれるところなので、しっかりお参りする。
ゴトビキ岩から新宮市街を望む。遠くには熊野川と太平洋が見える。
しかし、どうやってこんな岩が立ったのだろうなと思う。
そして、1800年以上崩れずにいるのが不思議である。
ゴトビキ岩を後にする。
途中、滑って手をケガしたほどの難所なので、また来ますとは言えないが、ご縁があればまた来ます。
さて、神倉神社から車で北に10分ほど行くと、熊野三山のひとつである熊野速玉大社に着いた。
神倉神社が元宮であるのに対し、熊野速玉大社は新宮とよばれた。それが新宮市の名前の由来。
扁額には熊野権現(ごんげん)と書かれている。
熊野速玉大社の主祭神は熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)であり、
十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めている。
これまで熊野御幸(ごこう)と称して、宇多上皇、花山法皇、白河上皇、鳥羽上皇など多くの皇族が参詣されている。
熊野速玉大社の摂社である八咫烏神社。
神門が見えてきた。
神門。巨大なしめ縄が出迎えてくれた。
神門をくぐると、正面に見えるのは拝殿。
拝殿の奥には本殿となる、結宮(むすびのみや、熊野夫須美大神・いざなみのみこと)と速玉宮(はやたまぐう、熊野速玉大神・いざなぎのみこと)が安置されている。
他にも全部で12殿が祀られている。
熊野速玉大社の御朱印。
神倉神社の御朱印も熊野速玉大社でいただける。
この日は新宮市で一泊し、翌朝はいよいよ熊野本宮大社へ向かった。
続きは、次回にご紹介します。