奈良・和歌山・三重にまたがる紀伊山地は険しい山々が立ち並び、古くから山岳信仰の対象とされてきた。
「伊勢へ七度 熊野へ三度(いせへななたび くまのへさんど)」という言葉があるように、
江戸時代には全国から熊野三山への参詣が行われていた。
2004年には、「高野山」「吉野山・大峰山」「熊野三山」とそれらを結ぶ参詣道である「熊野古道(くまのこどう)」をまとめて、
「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録されている。
熊野三山とは熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)のことであり、
全国に約 3,000 ある熊野神社の総本社である。
那智の滝を含む那智山は元々、神仏習合であった熊野山岳信仰の修験道場として発展してきたが、
明治元年の神仏分離令により青岸渡寺(せいがんとじ)と熊野那智大社に分離された。
したがって、青岸渡寺と山のふもとにある補陀落山寺(ふだらくさんじ)の二寺も熊野三山に含まれる。
あと、何といっても青岸渡寺は西国三十三所観音巡礼の「第一番札所」なので、かねてからぜひとも訪れたいと思っていた。
歩行日:2019年2月2日
出発地:JR 那智駅(12:40)
到着地:那智山・バス停(16:50)
総歩行距離:12.5 km
本日の順序は、那智駅→補陀落山寺→青岸渡寺→熊野那智大社→那智の滝
熊野古道といっても広く、大辺路(おおへち)、中辺路(なかへち)、小辺路(こへち)、伊勢路(いせじ)、
大峯奥駆道(おおみねおくがけみち)の5つがあり、古くから修験道のルートとして発展してきた。
下記の地図を見ればわずかの距離だが、本日は中辺路のうち補陀落山寺から熊野那智大社までを歩く。
新大阪駅から紀伊勝浦駅までは「特急くろしお」に乗る。
7:33 新大阪駅を出発する。
途中、和歌山県南部(みなべ)町付近で観光向けの車内アナウンスがあり、車速を落としてくれたので、太平洋の写真をパチリ。
和歌山県串本町の橋杭岩(はしぐいいわ)を通過する。
途中急病人が出て遅れたために、4時間以上かかって、11:50 に紀伊勝浦駅に到着。
紀伊勝浦駅前には詩人・佐藤春夫の歌碑があった。彼は隣の新宮(しんぐう)市の出身である。
ここに刻まれている「秋刀魚(サンマ)の歌」は彼の最も有名な詩であるが、その実、谷崎潤一郎とその妻千代と春夫の
三角関係の詩である。
そんな話は置いといて、お腹がすいてきたので昼食をとることにする。
那智勝浦港といえば青森県大間と並んでマグロの水揚げ量を誇る。
マグロは冬から初夏にかけて津軽海峡→紀伊半島→沖縄へと泳いでいくらしい。
そんなわけで、立ち寄ったのが「竹原」さん。
注文したのは「マグロ定食」1,620 円。マグロの3か所の部位を食べさせてくれる。
さて、ここから那智駅まで歩く予定だったのだが、都合よくバスが来てくれたので、
バスで那智駅まで行く。
紀伊勝浦駅から2駅先の那智駅までバスで運んでもらった。到着した那智駅は朱色の駅舎。
幸せを運ぶ(らしい)黄色のポスト。
那智駅では桜が咲いていた。いくら暖かい和歌山といっても早すぎるだろと思っていたら、
早咲き品種の緋寒桜(ひかんざくら)とのこと。
那智駅の交差点。ここから青岸渡寺のある那智山までおよそ 8km 歩く。
JR 那智駅と道の駅「なち」は隣接している。
那智駅前は「浜ノ宮(はまのみや)」とよばれ、三つの熊野古道(大辺路(おおへち)、中辺路(なかへち)、伊勢路(いせじ))
が交わる交通の要衝であった。これはその石碑。
少し西に進むと、補陀落山寺(ふだらくさんじ)に着いた。
補陀落山寺の宗派は天台宗。
熊野三山の一部で、世界遺産登録されている。
本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。
秘仏なのであろう。厨子は閉ざされていた。
補陀落山寺は補陀落渡海(ふだらくとかい)発祥の寺。
補陀落渡海とは、行のひとつであり、30日分の水と食料を載せて、小型船の中央の箱に乗り込み、
乗船後は箱の入口は釘で閉ざされる。
その後、漂流しながら、南方の補陀落とよばれる浄土を目指すという、すさまじい捨て身の行である。
記録によると、西暦868年から20回行われている。
これはその渡海船。
石碑には渡海の様子が刻まれている。
補陀落山寺の隣には熊野三所神社(くまのさんしょじんじゃ)がある。
熊野三所神社は「浜の宮王子(はまのみやおうじ)」跡に建てられている。
王子とは鎌倉時代から室町時代にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた
熊野修験の手で整備された一群の神社のことであり、参詣者の守護を主目的とする。
熊野古道には九十九の王子があるといわれている。
さて、では補陀洛寺を出発する。
那智山まで 8km 歩く。ここに描かれているのは八咫烏(やたがらす)。
熊野三山の神の使いであり、3本足なのが特徴。
八咫烏は、サッカー日本代表のユニフォームにも描かれている。
気温は暑くもなく、寒くもなくちょうど良い感じ。
どんどん西の方角(山の方)に進む。
途中、野菜の無人販売所を通り過ぎる。
勾配もきつくなく、歩いていて気持ちが良い。
あと 7km。
集落に到着した。熊野古道は右とあるので、それに従う。
集落の中に入っていく。
社寺へ参詣者を誘うための「曼荼羅(まんだら)の道」。熊野古道の一部である。
矢印の方向へ曲がる。
だんだんと狭くなっていく。
ここから山道となる。
尼将軍(北条政子)の供養塔に着いた。
ご存知の通り、北条政子は鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻。
説明書きによると、頼朝夫妻は熊野信仰が厚かったとのこと。
さらに進む。
遠くの方が明るくなってきた。
「ふだらく霊園」という所に出た。
那智山の方へ進む。
途中、「荷坂の五地蔵」を通る。
さらに西へ進む。
「千代野薬師」という看板を見つけたので、寄り道する。
説明書きがあった。「小石に穴を空け」るとはどういうことだ???
小さなお堂があり、本当に石がつるされていた。
小石に穴を空ける道具を持っていないので、今日は諦め、お祈りだけさせていただく。
「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」
お薬師さんのすぐ横には「市野々王子」があった。
さらに西へ行くと、両横の小学校の間を通る。
「市野々小学校」というらしい。
これは梅かな。
庚申塔(こうしんとう)があった。
これは不動明王に見えるが、庚申信仰の本尊である青面(しょうめん)金剛明王だろう。
庚申塔の後ろには「お杉社」があった。
これが影向石(ようごうせき)。天照大神(あまてらすおおみかみ)が地上に降り立った跡。
まだまだ進む。
当初、昼食はここでとろうと考えていた「Cafe Codou」さんを通り過ぎる。
空腹に耐えきれず、だいぶ手前の紀伊勝浦で食べてしまった。今度来るときにはぜひ。
さて、ようやく「大門坂」の入口に着いた。
車で来た場合は右側の車道を行くと、那智山に行ける。
筆者は徒歩なので、左の参道を進む。
鳥居が見えてきた。
新宮藩の関所跡。
天才学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)はここに3年間滞在し、粘菌の研究を行った。
奥には「振ヶ瀬橋」が見える。俗界と霊界の境目の橋。右には「下馬」の文字。
ここから大門坂(昔は大門があったらしい)を上って、青岸渡寺に向かう。
熊野那智大社は青岸渡寺の隣にある。
では、参りましょう。
その前に一枚。
見えてきたのは「夫婦杉」。デカい。
ここから20分程度ひたすら石段を登る。
多富気(たふけ)王子跡。
中辺路にある最後の王子社。那智山の霊所に入ることを確かめて身心を清める場所。
さらに参道を進む。
杖は自由に使うことができる。
熊野古道を紹介するパンフレットでは、この辺りで撮っているはずなのだが、筆者の腕ではどうも思うように撮れない(泣)
十一文関所跡。昔、通行税をとった場所。十一文は、今のお金に換算して200円くらいか。
昔は、ここでお金がなくて立ち往生した人や、高貴な人に媚を売って上手く通行した人とか、いろんな人がいたらしい。
これは唐斗石(からといし)。ここから滝が見え、それに向かって礼拝するとのこと。
雨が降ったり、霧が出て滝が見えなくなっても、この石の方角に拝めば滝があり、拝めるらしい。
さらに上っていく。
石段は267段あるとのこと。
もう少し。
七町。一町は 109m。あと少し。
那智山のバス停に着いた。帰りはここから紀伊勝浦駅行きのバスに乗る。
青岸渡寺と熊野那智大社への参道入口が見える。
またまた石段を上っていく。
途中にある「実方院跡」。皇族の熊野への信仰は厚く、百回以上訪れられているとのこと。
青岸渡寺は西国三十三観音霊場の一つであり、「第一番札所」である。
青岸渡寺の御詠歌。
「ふだらくや 岸うつ波は 三熊野の 那智乃御山に ひびく滝つ瀬」
仁王門が見えてきた。
青岸渡寺の山号は「那智山」。
仁王門の阿形(あぎょう)さん。
同じく吽形(うんぎょう)さん。
仁王門で一礼し、上っていく。
手水舎。水源は那智の滝。
もちろん世界遺産である。
鐘楼。
青岸渡寺の本堂。本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)。
如意輪観音さんといえば、立て膝にほおづえをついて、少し行儀が悪いようにも見えるが、
物思いにふけっているアンニュイな感じ、筆者は好きである。
本堂の中で西国三十三所専用の納経帳を購入した。御朱印も併せていただく。
御朱印には「普照殿」と書かれている。
観音さんが本尊である場合、「大悲殿」「大慈殿」「普照殿」などと書かれる場合が多い。
青岸渡寺といえば、那智の滝をバックにした三重塔の写真を、誰もが一度は見たことがあるのではないだろうか。
筆者もそれを真似て撮ってみた。
筆者の他の写真は斜め向いたりして下手なのだが、これはなかなか上手く撮れたのではないかと思う。
いかがでしょう?まあ、何枚か撮って、一番良さげなのを載せているのだが。
他ではなかなか見れない、正目から撮った写真。ちょっと暗いな。
これは大国天堂。
大黒天堂では大国さんだけでななく、七福神全てを祀っているとのこと。
これも神仏習合の名残り。
次に、熊野那智大社を訪れる。
といっても、青岸渡寺のすぐ隣なので、楽に行ける。
熊野権現(くまのごんげん)の扁額。
熊野三山に祀られている神は、およそイザナギ(熊野速玉大社)、イザナミ(熊野那智大社)、スサノオ(熊野本宮大社)である。
手水舎。
拝殿は平成31年3月いっぱいまで改修中。
摂社である御縣彦社(みあがたひこしゃ)。ここに八咫烏(やたがらす)が祀られている。
八咫烏の紋章。三本足なのが特徴。
ここにも八咫烏。
宝物殿。
八咫烏のおみくじ。
絵馬にも八咫烏。
サッカー日本代表の応援旗。ここにも八咫烏。
ワールドカップのような大きな大会の前には、JFA 会長は熊野三山を訪れているとのこと。
熊野那智大社から山々を眺める。遠くに見えるのは太平洋。
八咫烏くんが景色を見たいというので。
熊野那智大社と御縣彦社の御朱印。
さて、次は滝に向かって下りていく。
これは何の花かな?どなたか教えてください。
注)読者の方からこれはミツマタのつぼみであると教えていただきました。ありがとうございます。
少し下りると滝への参道に着いた。「熊野那智大社別宮 飛瀧権現(ひろうごんげん)那智大滝」と書かれている。
滝自体がご神体となっている。飛瀧(ひろう)神社。
延命長寿を祈願して、お滝水をありがたくいただく。
杯は1枚100円。
那智大滝の高さは 133m。一段の滝としては落差日本1位。
華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
冬で水量が少ないのが残念。
八咫烏くんも滝が見たいというので。
祈願所。
非常に珍しく、ここには神様も仏様も一緒に祀られている。
また、この滝で花山天皇、伝教大師・最澄、弘法大師・空海、一遍も修行されている。
遥拝石(ようはいせき)。石を撫でるとご利益があるとのこと。
亀山天皇も行幸されている。
ここでも御朱印をいただくことができた。「那智御瀧」。
以前のブログ「湖東 近江八幡 伊崎寺&長命寺」でも書いたように、西国三十三所の寺院は
「スイーツ巡礼」と称して、各寺院ゆかりの甘味物を購入することができる。
青岸渡寺のスイーツは「限定版・那智黒」。
あと、「お滝もち」という滝を模したお餅を購入した。
バス停に到着。
17:10 発の那智山発紀伊勝浦駅行きのバスに乗って下山した。
17:45 頃、紀伊勝浦駅に着くと、辺りは暗くなっていた。
新大阪駅始発(7:33 発)の「くろしお」号に乗れば、最終の「くろしお」号(18:02 発)に乗ることで、
大阪からは一応日帰りできる。
しかし、疲れていたこともあり、今日はここで一泊した。
翌朝は漁港などを散策して帰宅。
西国三十三所の第一番札所ということで、那智に行ってみた。
この辺りは古くから修験道(山岳信仰)と神道と仏教が合わさって、独自の文化を育んできたことが良く理解できた。
熊野三山の残りの二つの社(熊野速玉大社と熊野本宮大社)は訪れたことがないし、マグロも旨いので、再訪しようと思う。
今日のルート。