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比叡山延暦寺

比叡山延暦寺 登山 きらら坂コース

比叡山延暦寺は筆者の一番お気に入りの寺である。
なぜかというと、天台宗の寺院なので、禅、念仏、密教、修行等が全てミックスされており、
そのため種々のお堂があり、訪れるたびにいろんな楽しみがあるからである。

今年に入ってからまだ訪れていなかったので、積雪があることは知っていたが登叡することにした。

比叡山の千日回峰行では、九百日を過ぎると、「京都大廻り」といって、
比叡山から坂本までぐるっと一周した後、本日のブログのタイトルにもある「きらら坂」を下って、京都市内に入り、市内の神社仏閣を礼拝する。
京都大廻りのときには一日 80km を毎日100日間歩かれるそうだ。
今日は、阿闍梨様が京都大廻りのときに参拝される曼殊院にも訪れた。

今日のコースは、修学院駅→曼殊院→きらら坂→比叡山頂→延暦寺→日吉大社→坂本門前町→JR 比叡山坂本駅

歩行日:2019年2月10日
出発地:叡山電鉄・修学院駅(8:30)
到着地:JR 比叡山坂本駅(16:40)
総歩行距離:17.5 km

今日のルート。京都から琵琶湖まで、比叡山を横断することになる。


出町柳(でまちやなぎ)駅から叡山電鉄に乗る。
観光列車「きらら」号が発車するところだったので、飛び乗った。

きらら号の車内。窓が上部まであり、紅葉などが見やすくなっている。
ちなみに、「きらら」は今回のタイトルでもある「きらら坂」から来ている。

10分ほどで、修学院駅に着いた。

鞍馬行きのきらら号を見送る。

修学院駅を出る。

駅前のセブンイレブンでお茶とおにぎりを買い込み、東に進む。
東西に走る「北山通」と南北に走る「白川通」の交差点。

「曼殊院(まんしゅいん)」の案内が見えたので、寄り道することにする。

案内の通りに東へ進む。

鳥居が見えてきた。

鷺森(さぎのもり)神社というらしい。ご祭神はスサノオノミコト。

本殿で本日の旅の安全をお祈りする。

これは拝殿。コンパクトな神社は、拝殿と本殿の両方を拝むことができるのが良いと思う。

御幸橋。皇族がお通りになった橋を寄進されたとのこと。鷺森神社は由緒ある神社だった。失礼しました。

御幸橋を渡り、南に進む。

「曼殊院門跡」の石碑。ここは天台宗五箇室門跡の一つである、由緒ある名刹。
右隣の門構えは、武田薬品 京都薬用植物園への入口。

参道を進む。ワンちゃんに出くわした。
正面には曼殊院の勅使門、左手には鳥居が見えるので、まず神社の方から参拝する。

これは曼殊院の境内の外にあるが、曼殊院の一部である弁天堂。
周りは池に囲まれていて、弁天島という島にある。

弁天堂。右には天満宮。弁天さんは、寺でも神社でも祀られており、神仏習合の名残り。

弁天島を出て、曼殊院に向かうと、勅使門に着いた。
皇族およびその勅使のみが通行可能な門なので、普段は開かずの門となっている。
門の横に白い五本の線が走っており、門跡寺院ならではの格式を物語っている。

一般の参拝者はこちらから入る。

天台宗五箇室門跡のうち、このブログで取り上げていないのは妙法院だけになった(青蓮院三千院毘沙門堂についてはご紹介済み)。
妙法院は三十三間堂で有名なので、いずれここでも取り上げることになろう。

大書院前には枯山水(かれさんすい)庭園が広がり、深山と水の流れを表現している。
これは鶴首を表現しており、「鶴島」とよばれる。

こちらは「亀島」。

曼殊院には、今上天皇(きんじょうてんのう)も行幸されている。

曼殊院には国宝である「黄不動(きふどう)」の仏画があり、そのレプリカを見ることができた。
不動明王ファンの筆者としては感激ものであった。
レプリカでさえも撮影禁止であった。
ちなみに本物は京都国立博物館に所蔵されているとのこと。
また、その他にも有名武将の直筆の書状があり、筆者が覚えているだけでも、
足利尊氏、織田信長、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康等そうそうたるメンバーの書状を見ることができた。

曼殊院の御朱印は二種あったが、もちろん黄不動のほうをいただいた。

曼殊院で買った黄不動明王の護符。
本物は腹部に小さな不動明王が描かれていることが、2017年に赤外線透過光撮影によって明らかとなった。

曼殊院を出発する。

北に進む。

雲母坂(きららざか)の案内板があった。


横には音羽川(おとわがわ)が流れており、小さく「登山口」と書かれている。

音羽川に架かるきらら橋が見えてきた。あれがきらら坂の入口である。

きらら坂は平安時代から比叡山と京の都を結ぶ主要な通路であり、朝廷の使いもここを通って比叡山に向かったことから、
「勅使坂」ともよばれていた。
また、法然や親鸞といった名僧もこの「きらら橋」を通って、比叡山から都に向かった。
千日回峰行(赤山苦行および京都大廻り)では、比叡山から下りてきた行者はこの橋を渡って、赤山禅院、曼殊院、京都市内へと礼拝していく。
復路は、赤山禅院からこの橋を渡って比叡山へ戻っていく。

橋を渡り、しばらく進む。

少し分かりにくいが、きらら坂へはここを左折する。

すぐに右折する。

倒木を跨いだり、くぐったりしながら進む。

きらら坂コースは最初がきつい勾配になっており、急坂を登っていく。
ここも千日回峰行の行者道である。

勾配が少しマシになった。この辺りから積雪が見られる。


尾根は歩きやすい。

ここは京都トレイルコースにもなっており、ところどころ案内があるので助かる。

だんだんと土が見えなくなってきた。

何度も足を滑らせるようになったので、持ってきた「軽アイゼン」を装着する。

ケーブル比叡駅が横に見える。2019年3月20日まで冬季運休している。

どんどん上っていく。

凍てついた階段を上る。

雪道を進む。

横に見えるのは、2002年に営業中止となった「比叡山人工スキー場」。

 さらに進む。

ようやく延暦寺の案内が見えた。

延暦寺に行く前に山頂には訪れておきたいので、左折せずに直進する。

直進する。

京都から来るケーブルカーおよびロープウェイは冬季運休している。
京都市内から比叡山に行くバスも運休している。
したがって、冬季の間、公共交通機関で比叡山を訪れる手段は琵琶湖側からの坂本ケーブルのみである。

比叡山頂バス停に着いた。運休中である。

遠くに見えるのが山頂へと続く道。

途中、京都側を見下ろすが、市内はうっすらとしか見えない。

山頂へと続く道。車両は通常止めである。

山頂に着いた。
実は比叡山という山はなく、比叡山は大比叡(だいひえい)と四明岳(しめいだけ)という、
二つの山の総称である。ここは大比叡の山頂(三角点)。

山頂から延暦寺の方へ向かっていると、トレイルランニングの人たちを発見した。
みんな短パンで元気だな。

横には朝日放送と関西テレビのテレビ塔。

これは読売テレビのテレビ塔。

山頂を過ぎたので、ここからは下りとなる。
膝を痛めている筆者としては、慎重に下りる。

途中、智証大師・円珍の御廟があった。
円珍は平安時代の天台宗の僧で延暦寺の発展に寄与した。合掌。

単独なので、滑落したら見つけてもらえないかもしれない。注意しながら下りていく。

ようやく供養塔とお地蔵さんが見えてきた。

横には、比叡山ドライブウェイが見える。写真奥にある鳥居に向け進む。

ここは無動寺バス停。ここから、無動寺明王堂と無動寺弁天堂に行ける。

鳥居をくぐって、5分ほど下りていくと坂本ケーブルの延暦寺駅に着いた。

写真左から下りてきたので、まっすぐ進むと延暦寺・東塔エリアに行ける。
さすがに、ケーブルカー駅から延暦寺までの道はこのように除雪されている。

ここに書かれている「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」というのが延暦寺の中心本堂である。

延暦寺に着いた。左前方に見えるのが受付で、拝観料700円を払う。

境内図。延暦寺という建物はなく、山全体が延暦寺。
今回は東塔(とうどう)エリアのみを拝観する。
本当は千日回峰行の中心である無動寺明王堂や、十二年籠山行が行われている浄土院にも参拝したいのだが、
さすがに時間がない。
この地図で説明すると、今日は「ガーデンミュージアム比叡」から下りてきて、午後には延暦寺会館の横から下山することになる。

拝観料を収めて進むと、すぐ見えてくるのが比叡山自前の消防車。

今日の昼食は境内の一隅会館の地下にある「鶴㐂(つるき)そば」さん。

では、参拝しよう。まずは、比叡山の山門にあたる文殊楼(もんじゅろう)。
これは後ろから見たところ。
今日は上階に上り、文殊菩薩さんにお参りした。

文殊楼を出ると段下に根本中堂が見える。改修中で2026年に完成予定。

まさに氷の階段になっているので、注意深く下りる。

根本中堂の入口。

今年の「比叡山から発信する言葉」は「照続永劫(しょうぞくえいごう)」。

ちなみに昨年の言葉は「憶和敬(おくわけい)」。

国宝・根本中堂(こんぽんちゅうどう)は比叡山延暦寺の本堂であり、本尊は伝教大師・最澄が自ら彫られた薬師如来。
薬師如来の面前には、1200年前の「不滅の法灯」が今も灯り続けている。
不滅の法灯は菜種油を使って燃やされており、「油断大敵」という言葉はここから来ている。
また、大きな扁額に書かれた「傳教(でんぎょう)」という文字は昭和天皇の宸筆である。

さて、根本中堂改修の様子は階上から見ることができ、写真撮影もOKである。
写真右に見えるのが根本中堂の屋根部分。

比叡山全体では確か7つか8つの御朱印がいただけるはずである。
これは根本中堂の御朱印で、「医王殿」と書かれている。
医王殿とは薬師如来を本尊とする仏堂の呼称。
お薬師さんは元来、医薬・病気治癒の仏であり、左手には薬壺(やっこ)を持っている。

根本中堂を出て北に行くと、鐘楼が見える。

あと、大日如来を本尊とする大講堂にも参拝した。

あとは、大黒天堂にお参りして、延暦寺会館に向かう。

延暦寺会館は宿坊であるが、ふつうのホテルでは太刀打ちできないほど立派な宿泊施設を備えている。
筆者はカフェに立ち寄った。
ホテルか航空会社のラウンジのようである。

注文したのは梵字(ぼんじ)ラテ。
「カーン」という不動明王を意味するサンスクリット文字が書かれている。

生まれ年の干支により守護仏が決まっており、筆者は酉年生まれである。
このブログのサブタイトル「お不動さんを歩いて探していきます」というのは、
実は筆者の守護尊が不動明王だからである。

窓越しに琵琶湖が見渡せる。

延暦寺会館には土産屋もあったので、「ゆずきんつば」と「赤こんにゃく」を購入した。

延暦寺会館の前にはお不動さんが安置されていた。

先ほどのラテにあった「カーン」の梵字が書かれている。

さて、山を下りるとする。
アイスバーンになっていたので、再度アイゼンを履きなおす。

法然上人が得度された場所を通過する。

どんどん下りていく。

徐々に残雪が減ってきた。

だいぶ下りてきた。

横には琵琶湖と坂本の町が望める。

比叡山高校の横を通り過ぎる。

途中、湧き水にて、ドロドロになったアイゼンを洗わせていただいた。

今歩いてきた道は「本坂コース」という。
琵琶湖側から比叡山に上るコースは本坂コースと無動寺坂コースがある。
無動寺坂コースの登山は、このブログでも以前取り上げているので、ご参照のこと。

石段を下りると、麓には日吉大社の鳥居が見える。
日吉大社は比叡山の守り神であり、神社でありながら千日回峰行の礼拝の対象となっている。
ご祭神は大己貴神(おおなむちのかみ、大国主命(オオクニヌシノミコト)と同じ)。
江戸時代までは神仏習合の習わしから比叡山と日吉大社は同一視されていたが、明治元年の神仏分離令により、
延暦寺と日吉大社も分離された。
ちなみに、神仏分離令の発令により、日本で真っ先に分離の対象となったのが、延暦寺と日吉大社である。

これは豊臣秀吉が寄進した橋。
青蓮院門跡のところでも言ったが、豊臣秀吉は本当にいろんな所でいろんな物を寄進している。

これは山王鳥居。鳥居上部の山は比叡山を表している。

古来、北東の方角は鬼門とされており、桓武天皇が平安京を開くにあたり、京都から見て北東の方角にあたる比叡山に延暦寺を建て、
都に鬼が入ってこないようにした。
今でも京都御所では、鬼門にあたる北東の角だけカドが取られており、塀に「神猿(まさる)」という木彫りのサルが置かれている。
「魔が去る、何よりも勝る」とのこと。

参道を進む。

楼門に到着。この門は重文。

楼門は神猿くんが支えている。

日吉大社の拝殿。

拝殿の奥には本殿。これは国宝である。

神猿くんのおみくじ。

日吉大社の御朱印。「山王総本宮 日吉大社」

日吉大社を出発し、門前道を琵琶湖の方向へ進む。

車の通行量が多いので、側道を歩く。
左に見えているのは穴太衆(あのうしゅう)積みの石垣。

律院(りついん)の横を通ったので、お邪魔させていただく。
律院のご住職は千日回峰行を満行された叡南俊照(えなみしゅんしょう)大阿闍梨。
無動寺明王堂の輪番をされている叡南浩元(えなみこうげん)大阿闍梨の師匠である。

奥に本堂が見える。

手水舎。

本堂。本尊はもちろん不動明王。

今日は阿闍梨様はお留守らしい。

庭を清掃されていたお坊さんと立ち話をして律院を出発する。

最後に訪れたのは、伝教大師・最澄がお生まれになった地に建てられた生源寺(しょうげんじ)。

本堂。本尊は十一面観音。

この古井戸は最澄の産湯といわれている。

生源寺を出て、さらに東に進むと坂本観光案内所があった。
来年の大河ドラマの主人公は明智光秀らしい。これは見なければ。

京阪電鉄の坂本比叡山口駅。ちょうど石山寺行きの列車が出発するところだった。

公人屋敷(くにんやしき)。
江戸時代に延暦寺の僧侶でありながら、妻帯と名字帯刀を認められた「公人」が住んでいた住居のひとつ。
このあたりに、明智光秀が建てた幻の城といわれている坂本城跡がある。

駅に到着。

今日は比叡山境内はあまり拝観できなかったが、その影響を受けた寺院や神社も見ることができ満足であった。
次回、もう少し暖かくなってから再訪しよう。

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