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西国三十三所

西国三十三所観音巡礼 第十五番札所・今熊野観音寺~第十六番札所・清水寺

西国三十三所観音巡礼の続き。前回の滋賀県(三井寺)から京都市内に入る。

歩行日:2020年2月22日
出発地:JR 東福寺駅(11:00)
到着地:京都市営バス・東山安井バス停(16:50)
総歩行距離:10.0 km

本日のルート。
この日も前回の高野山と同じく、激しい雨が降っていたので、
今熊野観音寺から清水寺まではバスで移動した。

JR 東福寺駅から徒歩10分ほどで泉涌寺(せんにゅうじ)および今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)に行ける。

奥に泉涌寺の門が見える。

泉涌寺は皇室の菩提寺であり、日本で唯一「御寺(みてら)」とよばれている。
今熊野観音寺も泉涌寺の境内にあるので、門をくぐって進む。
ただし、建立は泉涌寺よりも今熊野観音寺の方が古いらしい。

右に行けば泉涌寺、真っすぐ行けば御陵、左に行けば今熊野観音寺。
泉涌寺は以前訪れたので、今日は今熊野観音寺を参拝し、その後、御陵を参拝する。

今熊野観音寺の参道。

今熊野観音寺の山号は新那智山。宗派は真言宗泉涌寺派。
西国三十三所の第十五番札所である。
後白河上皇が熱心な熊野信仰者であることはこのブログでも記述したが、
熊野は遠く、そう簡単に行ける場所ではない。
そのため、「今の熊野」ということでこの寺を観音寺と称した。
後白河上皇は頭痛持ちであったが、この寺を信仰することで頭痛が治まり、頭痛除けの寺としても知られる。

子守りの弘法大師さん。

手水鉢。

鐘楼。

五智水。ありがたくいただいた。

本堂。本尊は十一面観音。
秘仏であるが、前回訪問したときに、偶然御開帳されていて拝見することができた。

本堂の前では梅が見頃を迎えていた。

御前立の十一面観音さんをテレビ放送から紹介する。
優しい顔をしておられる。

今熊野観音寺の御朱印。
ご詠歌は「昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり」

大師堂。南無大師遍照金剛。

今熊野観音寺の参拝を終え、次は御陵に向かう。

泉涌寺の裏には、孝明天皇・皇太后および後堀河天皇の御陵がある。
孝明天皇は明治天皇の父で、京都が都であったときの最期の天皇陛下である。

孝明天皇陵、皇太后陵。
孝明天皇は幕末の激動期に即位し、わずか35歳で崩御された。
開国に強く反対され、尊王攘夷という言葉は孝明天皇のために作られたものといえよう。

後堀河天皇陵。

御陵を後にし、昼食のうどんを食べた後はバスで清水寺に移動した。
清水寺の参道はいくつかあるが、往路は茶わん坂を選んだ。
復路は三年坂を通って護国神社と坂本龍馬の墓へ行った。

茶わん坂。COVID-19 の影響で人が少ないと聞いていたのだが、そこそこ観光客はいた。
むしろ、オーバーツーリズムといわれるように、今までが多すぎたのだと思う。

清水寺に到着。
清水寺の山号は音羽山(おとわさん)。宗派は北法相宗。
西国三十三所の第十六番札所である。

仁王門。観光客が減ったといっても、この賑わいようである。

仁王門の扁額の「清水寺」の文字は、平安時代の書道家・藤原行成(ゆきなり)によるものと伝えられている。

西門とその奥に三重塔が見える。

鐘楼。

三重塔。

中門にあたる轟門。これをくぐると本堂に行ける。

その前に手水舎で心身を清める。

本堂の前には有名な「清水の舞台」がある。今日は雨。

舞台から子安塔が見える。

京都タワーも見える。

本堂は国宝である。本尊は千手観音。

もちろん本堂内は撮影禁止なので、テレビ放送から紹介する。
御前立の十一面千手千眼観音さん。

周りは二十八部衆が固めている。

清水寺の御朱印。観音さんが本尊なので「大悲閣」と書かれている。
ご詠歌は「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は すずしかるらん」

阿弥陀堂。法然上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所。重文。

奥の院。本尊は千手観音。後で訪問する「音羽の滝」の真上に位置する。

奥の院から本堂のある「清水の舞台」を望む。
釘を一本も使わない懸造りで作られている。
これまで234人もの人がここから本当に飛び降りたらしい。

奥の院の真下にある「音羽の滝」。
清水寺開創の起源であり、寺名の由来となった滝である。

音羽の滝ではお不動さんが祀られている。

室町時代には、音羽の滝で滝行が行われたり、この水を使って茶を立てたりしていたらしい。

清水寺を後にする。

帰りは三年坂を使う。

これはスタバです。

前々からずっと行きたかった「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館」に到着。
護国神社と「坂本龍馬の墓」が隣接しているので、今から全部訪れることにした。

300円を支払って、この石段を登っていくと、、、

坂本龍馬の墓に到着。
向かって左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎の墓。坂本龍馬のさらに左が龍馬の従僕の藤吉の墓。
この三人は1867年の近江屋事件で暗殺された。
坂本龍馬の剣術については北辰一刀流免許皆伝の腕前である。

坂本龍馬の墓から京都市街を見下ろす。八坂の塔が見える。

龍馬の墓からさらに少し上ると、木戸孝允(桂小五郎)の墓がある。
彼は、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通らと薩長同盟を結成し、倒幕運動に邁進した。
ちなみに、麻生太郎元総理のひいひいおじいちゃんが大久保利通ってご存知でした???

京都霊山護国神社の拝殿。ご祭神は国事殉難者である。

最期に歴史観を見学した。
写真撮影は禁止だが、ずっと見たかった近藤勇と土方歳三の所用刀を鑑賞でき感激した。
新選組は近代史の中では敗者のグループに振り分けられるのだろうが、
彼らなりに時代を懸命に生きていたことが再確認でき、非常に勉強になった。

近くの東山安井・バス停からバスに乗車し帰宅。

前回の高野山に続き、今回の旅も雨だった。どこかの神社で晴天祈願しないといけないな。

西国三十三所観音巡礼の旅、次回は京都市中心部の古刹を巡ります。

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