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比叡山延暦寺

比叡山延暦寺 一日回峰行 体験記

本文に入る前に、最近(2021年3月)もこのコースを歩きましたので、合わせてお読みください。


比叡山延暦寺に平安時代から伝わる千日回峰行は、比叡の峰々にあるお堂、木、石、石仏等を礼拝しながら、
1000 日間(正確には 975 日間)雨の日も風の日もひたすら歩き続けるという修行である。
行をいったん始めると途中でやめることは許されず、その時は自ら死を選ばなければならないという過酷なものである。

筆者が神社仏閣に興味を持ったのも、千日回峰行の五年(700 日)目に行われる「堂入り」をニュースで見て、
「世の中にはすごい修行があるものだなあ」と感心したのがきっかけであった。
「堂入り」とは 9 日間、断食・断水・不眠・不臥(ふが)でひたすら堂(無動寺明王堂)にこもり、不動明王真言を十万回唱え続けるという、これまた信じられない行である。

平安時代に相応和尚(そうおうかしょう)が始められてから、これまで何人の僧が千日回峰行を達成(満行)したのかというと、実は正確には分かっていない。
というのも、1571 年の織田信長による比叡山焼き討ちによって、それまでの資料が全て焼き尽くされたからである。

比叡山焼き討ち以降の満行者は 51 人、第二次世界大戦以降でみてもわずか 14 人である。
最も最近では叡南浩元(えなみこうげん)大阿闍梨様が 2017 年に満行されており、それ以降、千日回峰行を行じる僧はおられない。
しかしながら、その前段階の百日回峰行の行に入っている僧侶は現在四人おられる。

話が長くなったが、この千日回峰行を一般の人でも体験できるようにと比叡山延暦寺が企画したのが「一日回峰行」である。
筆者は決して健脚ではないのだが(むしろ貧脚)、昨年からずっとやってみたいと思っていたので、意を決して参加することにした。

 

歩行日:2019年4月21日
出発地:延暦寺会館(2:00)
到着地:延暦寺会館(9:30)
総歩行距離:19.2 km

 

本日のルート。
0km → 8km(ゆるやかな登りと下りがあるが、総合すると平坦。2km 地点が西塔エリア。3km の地点が、魑魅魍魎が封じ込められている狩籠の丘。4km の地点が玉体杉。7km 地点が横川エリア)
8km → 13km(延々と下り坂続く。足を傷めやすい。11.5km 地点が日吉大社・奥宮)
13km → 14.5km(坂本の町。平坦。里坊が集まっており、穴太衆積みの石垣を至る所で見ることができる。13.5km 地点が律院)
14.5km → 19km(ひたすら上り坂。普通の登山と異なり、行程の最後が上りというのが辛いところ。体力勝負。17.5km 地点に回峰行の聖地・無動寺明王堂がある。)

 

 

4月20日、京都駅 12:45 発の比叡山行きの京都バスに乗り、延暦寺バスセンターには予定通り 13:50 に着いた。

 

 

一日回峰行に参加する者は拝観料 700 円が免除される。

 

 

境内に入る前に、立ち寄りたい場所があったので、上の写真から左に 20m 程度進む。
すると供養塔が見える。

 

 

これは織田信長による比叡山焼き討ちのときに犠牲になった人たちを供養する鎮魂塚である。

 

 

延暦寺は自らに火を放った信長でさえも供養すると宣言している。
「延暦寺は今でも信長を恨んでいるのか?」という質問をする人がたまにいるが、これがその答えであろう。

 

 

さて、境内に入り、集合時刻の 16 時まで時間はまだまだあったので、国宝殿を見学した。
これはさすがに無料というわけにはいかず、500円を払って入館した。
筆者は不動明王が最もお気に入りの仏様であることはこのブログでも何度も申告してきたが、
その中でも特にここに安置されている「無動寺明王堂のお不動さん」を愛してやまない。
良いお顔をしておられるので、皆さんもぜひ一度ご覧になってください。

 

 

さて、東塔エリアに入っていく。

 

 

手水鉢。

 

 

50円を納めて、梵鐘をつかせていただく。

 

 

鐘楼の向かいには「大講堂」がある。ここはこの日の深夜にも参拝することになる。

 

 

そして延暦寺の中心本堂である「根本中堂」。ここも深夜に参拝することになる。

 

 

根本中堂の御朱印をいただいた。「医王殿」と書かれている。

 

 

そして、これは「戒壇院(かいだんいん)」。僧侶が授戒を受けるためのお堂。
ここも深夜に参拝した。

 

 

これは大黒堂。大黒天さんにもご挨拶した。

 

 

本来はここを最初に参るのが本筋である、延暦寺の山門にあたる「文殊楼(もんじゅろう)」。

 

 

16:07、集合場所である延暦寺会館に到着。

 

 

延暦寺会館のロビーで受付が行われており、参加料1万円(宿泊、食事込み)を納めた。
資料をいくつかいただいた。まずは参加証。

 

 

これは回峰行のルート地図。回峰行者のルートとほぼ同じである。

 

 

そしてこれはタイムテーブル。皆さん午前1時ころに起床されていた。

 

 

そして今回から新たに用意された(とおっしゃっていた)経本。
般若心経もここに書かれているので、特に暗記していなくても大丈夫である。

 

 

ただし、この不動明王真言だけは、真っ暗の中歩きながら唱えることもあり、覚えておいた方が良い。
お遍路では「同行二人(どうぎょうににん)」といって弘法大師さんと一緒に巡礼しているという考え方がなされているが、
回峰行では不動明王と一緒に歩いていると考えるためである。
この写真は天台宗の不動真言であり、真言宗の不動真言とは少し異なる部分があるのでご注意を。
天台宗「なーまく さーまんだー ばーさらなん せんだーまーかろしゃーなー」
真言宗「のうまく さーまんだー ばーさらだん せんだーまーかろしゃーだー」

 

 

参加者は60人くらいで、中にはサラリーマンや OL、山伏さんや尼僧さんも参加しており、男女比は4:1くらいかな。
年齢も20代~70代くらいまで幅広かった。
カップルや夫婦は少なく、男女ともに一人で参加している人が多かったように思う。

男性用の大部屋。ここでお祈りし、講義を受け、そして寝る。
17 時開始の講義は比叡山教化部の小鴨覚俊部長によるもので、「歩くことは本質ではなくて、
300近くある礼拝場所を順に祈っていると、最終的にそのくらいの距離になるのです」という、「祈りが本質である」ことを教え込まれた。
また、千日回峰行のビデオを鑑賞した。

 

 

18:30、夕食。もちろん精進料理である。
肉魚の類はないが、味はしっかりしていて、かなり美味しかった。
食事も行のひとつなので、私語は慎むことを要求された。
知り合いになった隣のMさんは「ビールはないのかな」とおっしゃってましたが、それは山を下りてからということで。

 

 

食事を終えると、あとは寝る支度をする。
浴衣、タオル、バスタオル、歯ブラシ等のアメニティーは用意されているので、わざわざ持ってくる必要はない。

 

 

しかし、結局眠れないまま、起床時刻の午前1時を迎えてしまった。
寝るのも修業のうちといわれていたのだが。。。

 

 

出発前、記念にと M さんに写真を撮っていただいた。
真っ暗だが、ブログに掲載するにはちょうどいい。

 

 

さて、準備運動後、小鴨部長を先達として、深夜 2 時に出発。
持ち物は、配られた経本、懐中電灯、お茶、そして、万一ふもとから登れなくなったときのためのケーブルカー代1000円である。

 

 

まずは根本中堂で般若心経を唱えた。
行程中、般若心経は10回程度、根本中堂、戒壇院、浄土院、釈迦堂、横川中堂、元山大師堂、日吉大社拝殿、律院、根本中堂で唱えたと思う。
そして、3時頃、昼間に紹介した大講堂でお祈りしようとした瞬間、随伴の僧侶さんから「通路開けてください!行者が通ります!」という声が。
しばらく待っていると、浄衣をまとわれた正真正銘本当の百日回峰行の行者さんが通過され、我々は合掌してお迎えした。
写真はもちろんないが、この人は毎日こんな時刻に一人で歩き、礼拝されているのかと思うと、胸が熱くなり、無事に満行していただきたいと思った。

 

 

3:30、西塔エリアの釈迦堂で礼拝後、トイレ休憩があったので写真を一枚。
礼拝前にスマホを取り出すと注意されるが、礼拝した後は写真撮影を見逃していただいていたように思う。

 

 

西塔エリアから横川(よかわ)エリアへ向かう道は本格的な山道となり、懐中電灯は必須である。
途中、伝教大師最澄が平安京に入り込もうとする魑魅魍魎を封じ込めたとされる「狩籠の丘(かりごめのおか)」に到着した。
千日回峰行の行者は深夜にこの地を通り過ぎる時、必ずこの場所で提灯の蝋燭を取り替え、
古い蝋燭をこの石のそばに置いて法華経を唱えながら去るとのこと。
しかし、比叡山にこのような魔所があるとは知らなかった。
「狩籠の丘」から玉体杉までの間の道は「餓鬼坂」とよばれ、油断すると封じ込めた魔物が入り込んでくるとのこと。
筆者ら一般人はひたすら無言で私語厳禁、僧侶は法華経を唱えながら歩くとの説明があった。
くわばらくわばら。

 

4:08、玉体杉に到着。玉体とは天皇陛下のことである。
ここからは京都市内の夜景が見える。左奥の黒っぽく見えるところが御所であり、
回峰行の行者はここから玉体加持(ぎょくたいかじ:天皇陛下の安穏と国家の鎮護の祈祷)を行う。

 

 

玉体杉のすぐ横にある蓮台石。回峰行の行者が行程中、唯一座って祈祷できる場所である。
このとき、僧侶さんは京都とは反対側にも祈祷を始められた。筆者には、真っ暗で何のことかさっぱり分からなかったのだが、
竹生島の弁天さんに手を合わせているのだそう。
その他にもいろんな場所で祈祷が行われ、何もないところでに手を合わせられていたので不思議に思い尋ねると、
「江戸時代までここにはお堂があった」ということもあった。それらの場所を全て記憶されているのだとか。

 

 

 

ところで、昼間の玉体杉と蓮台石はこんな感じである。
詳しくは、以前のブログ「比叡山延暦寺 登山 無動寺坂コース」ご参照のこと。

 

 

そうこうするうちに、4:35、横川駐車場に着いた。ここでトイレ休憩。

 

 

横川中堂を参拝した後、5:05、元山大師(がんざんだいし)堂に着いた。
この時刻になると、急に明るくなってきた。

 

 

元山大師の化身である角大師さん。

 

 

元山大師堂ではお茶をご接待していただいた。体が温まった。

 

 

朝5時の元山大師堂。中からお経を詠む声が聞こえてきた。
元山大師堂では、ひたすらお経を詠むので看経地獄(かんきんじごく)とよばれている。

 

 

ここ元山大師堂までは随伴車がついてきてくれており、
万一体調不良になった場合やけがをした時にはそれに乗せてもらうことができる。
しかし、ここから先の坂本までの下り道は車が通ることができず、何があっても自力で歩かないといけないため、
行けるかどうかの意思確認が行われた。

 

 

それでは出発。1時間30分ほどの下り道である。

 

 

6:15、普通では中々行くことができない「日吉大社・奥宮」に立ち寄ることができた。

 

 

右が牛尾宮・左が三宮宮であり、中央の巨大な岩が金大巌(こがねのおおいわ)である。

 

 

金大巌。神が降臨する聖なる磐座(いわくら)である。日吉大社の根本。

 

 

小鴨さんの許可が出たので、みんなシャッターを切っている。

 

 

筆者もパチリ。琵琶湖がよく見えた。

 

 

さらに下っていくが、延々と下りが続いたため、膝と足首が痛み出した。
回峰行者もここの下り道で足を傷める場合が多いらしい。

 

 

痛みを我慢して歩くと、ようやく社が見えた。前方は随伴のお坊さん。
当然だが、お坊さんたちは涼しい顔で下っていく。

 

 

日吉大社の拝殿。
なんと、ここで般若心経を唱え始めた。
神社の拝殿に向かって般若心経を唱えたのは初めての経験である。
それほど、比叡山延暦寺と日吉大社の神仏習合が強いことを表している。
明治元年の神仏分離令で日本で真っ先に分離されたのが、比叡山延暦寺と日吉大社である。

 

 

日吉大社の山王鳥居(さんのうとりい)が見えてきた。
鳥居の上に乗っかっている三角形は比叡山を表している。
日吉大社は比叡山の守護神ということ。

 

 

その後、少し東に進み、6:45 に里坊である律院に到着した。
律院の住職は千日回峰行を満行された叡南俊照(えなみしゅんしょう)大阿闍梨である。
最も最近に満行された叡南洪元(えなみこうげん)大阿闍梨の師僧にあたる。

 

 

律院では叡南俊照大阿闍梨様から励ましの言葉をいただき、お加持を授けていただいた。
気のせいかもしれないが、足の痛みが取れた気がした。

 

 

八重桜が満開となっていた。

 

 

律院では、おにぎり2個とペットボトルのお茶をいただき、少しの間休憩となった。

 

 

律院を出発し、無動寺坂へ向かう。途中、滋賀院門跡を通る。
ここは天台座主猊下お住まいの場所。

 

 

7:48、無動寺坂の入口。
ここからはひたすら登り道となり、しかも随伴車も来れないので、登れるかどうか最後の意思確認が行われた。
実際に一人か二人は足を痛めたために、登山できず、ケーブルカーに乗ることを選択された参加者もいた。

 

 

それでは出発。
これは「浄刹結界址」の石碑。結界であり、ここから先は聖域ということだ。

 

 

がんばって登る。

 

 

歯を食いしばって登るが、情けないことに貧脚の筆者は皆から置いていかれ始めた。
途中、お坊さんに励まされながら進む。お坊さんと1対1だったこともあり、いろんな話を聞くことができた。
今年の百日回峰行はお不動さんの縁日にあたる3月28日にスタートしたのだが、その日から2回も雪に見舞われたとのこと。
回峰行を始めたばかりの行者は足袋を履くことが許されず、裸足に草履だけなので、雪の上を裸足で歩くことになり、
感覚がマヒしてしまったそうである。そのため、木が足に刺さっても気づかず、戻ってきたら足が血まみれになっていたということであった。
やはり、すさまじい行である。
ちなみに筆者の話し相手をしてくれたこのお坊さんはまだ若く、五年後に百日回峰行を行うことになっているとのことであった。

 

 

8:52、ようやくお堂が見えてきた。

 

 

これは玉照院。回峰行・行者が住まわれるところ。

 

 

西へ進む。

 

 

9:04、ようやく回峰行の聖地・無動寺明王堂に着いた。
随伴のお坊さんからは、もしかすると叡南洪元大阿闍梨のお加持が受けれるかもと聞いていたのだが、
すでにお堂の中から信者の真言が聞こえており、大阿闍梨様は今日はお忙しいようであった。

 

 

明王堂のお不動さんに供える水はこの閼伽井(あかい)から汲む。

 

 

ここからが最後の登り道。ふくらはぎの筋肉が痙攣しているのが分かる。
こちとら泣きそうになりながら歩いているのに、相変わらずお坊さんたちは涼しい顔である。
掃除をたくさんしているので体力がつくのだと教えてもらった。
今回、お坊さんはアスリートであることを発見した。

 

 

ようやくケーブルカーの比叡山駅が見えてきた。ここまで来ればもう大丈夫。

 

 

平坦な道を進む。

 

 

9:35、ゴールの延暦寺会館に着いた!

 

 

スポーツドリンクをいただいて、お風呂に入った。まさに極楽であった。

 

 

入浴後は解散。
この日は午前10時から大講堂で「胎蔵界曼荼羅供法要」があるのだが、
これがYouTubeとニコ生で放送された。
この放送のナレーションを、先ほどまで私たちと一緒に歩いていた小鴨さんがされていた。
小鴨さんも午前2時から私たちと一緒に回峰行をされていたのに、10時から法要の生放送を担当されるとは、
比叡山延暦寺はなかなかのブラック宗教法人だな(笑)

 

 

バスを待っている間にお土産を購入。ごま大福と赤こんにゃく。
無事に帰宅した。

 

 

翌日の月曜日は筆者は東京出張であった。
この、日常と非日常を行ったり来たりする生活がたまらなく良い。

 

さて、今回は本当に貴重な体験をすることができた。
千日回峰行の後半に行われる赤山苦行や京都大廻りでは、今回の行程に加えて京都往復が加わる。
今回のコースだけでヒイヒイ言ってる筆者には到底できるものではない。あらためて阿闍梨様の精神力に感服した。

今回はお坊さんから直接話を聞けたので、テレビや本では知ることのできない情報も得ることができた。
また、一人で参加していたのでどうかなと思っていたが、他にも一人で参加している人が多くて心配は無用であった。
特にMさんには積極的に話しかけていただき、また寝るときは布団まで準備していただき、この場を借りて御礼申し上げます。
近いうちに飲みに行きましょう。

 さて、次回一日回峰行に参加するかと聞かれれば、筆者には体力的にきつかったので、今はノーと答えるだろう。
しかし、本物の回峰行者に出会えたなど感動的な経験ができたことも事実なので、また月日がたてばやりたくなるかもしれない。
その時はまたこのブログで体験記を書こうと思う。

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