スポンサーリンク

比叡山延暦寺

比叡山延暦寺 登山 無動寺坂コース

比叡山延暦寺は伝教大師最澄(天台宗開祖)が平安京に遷都した桓武天皇の帰依により西暦800年代に開山した。
比叡山は山全体が延暦寺境内であり、広大な敷地にたくさんの堂宇伽藍が存在する。
山内は大きく三つのエリア(東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ))に区分され、
それぞれに本堂がある。
比叡山延暦寺では千日回峰行や十二年籠山行とよばれる厳しい修行が現在でも行われており、
また、法然(浄土宗開祖)、親鸞(浄土真宗開祖)、栄西(臨済宗開祖)、道元(曹洞宗開祖)、日蓮(日蓮宗開祖)が
比叡山で修業したことから、比叡山延暦寺は日本仏教の母山とよばれている。

 

比叡山の登山には京都市内から登るルートと大津市坂本から登るルートがあるが、
今回は、回峰行のルートを辿ってみたいとの思いから坂本から無動寺坂を登るルートを選択した。

 

歩行日:2018年11月17日
出発地:京阪松ノ馬場駅(9:40)
到着地:横川(よかわ)駐車場(15:40)
総歩行距離:13.3 km

 

ふもとの坂本からケーブルカーの南側の山道を通って、無動寺谷→東塔→西塔→横川と進むのが今回のルート。

 

 

スタートは京阪松ノ馬場駅。ベンチには座布団が敷かれている。
終点の坂本比叡山口駅まで行くよりも、ここで降りた方が無動寺参道には近い。
ちなみにひとつ前の駅の穴太(あのう)は「穴太衆」で知られる石工集団の町であり、
門前町・坂本では穴太衆積みで造られた石垣を今でも見ることができる。
姫路城、大阪城、竹田城(天空の城)の石垣にも穴太衆の手が入っている。

 

 

松ノ馬場駅は無人駅であるが、このような改札機により IC カードは使える。

 

 

門前町らしく、いたるところに地蔵尊が建立されている。

 

 

無動寺参道への石道標。

 

 

門前町を歩く。

 

 

ここにも別の地蔵尊。横に見える石垣は穴太衆積み。

 

 

振り返って坂本の町を見下ろす。

 

 

いよいよ山道に入る。ここから、京都・修学院や大原に抜けることもできる。

 

 

坂本から比叡山に登る場合、本坂コースという、もう一つ北を通るルートがあり、延暦寺への表参道となる。
今回筆者が辿った無動寺坂コースは回峰行の行者も通るコース。
織田信長から比叡山に火を放つ命を受けた明智光秀は無動寺坂を登って東塔に向かったと言われている。
その意味では裏のルートと言えるかもしれない。

 

 

途中、鎖のロープがあったが、特に立ち入り禁止とも書かれていないので進む。
恐らく車輛通行止めなのだろう。

 

 

道中、鳥以外に動物は見かけなかった。動物のフンは多く見かけたが。

 

 

緩やかな坂を登っていく。
 

 

 

行者が通った道を登る。

 

 

車輛が通った跡のようだ。

 

 

明智光秀も通った道を登る。

 

 

お地蔵さんに道中の安全を祈願する。

 

 

これは「浄刹結界址(じょうせつけっかいあと)」の石碑。ここから先は聖域ということだ。
逆に、比叡山籠山の行に入った僧はここより下界には行けない。

 

 

さらに進む。

 

 

 この辺りから勾配がきつくなってくる。

 

 

地蔵尊がところどころ迎えてくれる。

 

 

2018年9月4日の台風により比叡山でも多くの被害が出た。
太い杉の木が根こそぎ倒れている。

 

 

多少の迂回を余儀なくされたが、先人が赤い目印を付けてくれていて、迷うことはなかった。
筆者は迂回の最中無様にもずっこけてしまった(泣)

 

 

先を急ごう。

 

 

途中、眼下に大津市街と琵琶湖を望む。

 

 

岐路に出た。右は紀貫之の墓。左は無動寺谷。今日は左へ。

 

 

登って登って、

 

 

下って登る。

 

 

ようやくお堂が見えてきた。

 

 

ここは玉照院。千日回峰行の行者が寝泊まりするところ。

 

 

右は穴太衆積み。

 

 

次に見えたのは大乗院。蕎麦喰(そばくい)木像が安置されている親鸞聖人修行の地。

 

 

さらに石段を上がっていく。

 

 

ワンワン

 

 

下に見えるのは無動寺弁天堂。
お参りすると上がってこないといけなくなるなので、ここから手を合わせる。
「オン ソラソバテイエイ ソワカ」

 

 

そしてついに到着した、無動寺明王堂。
千日回峰行では、行者はここを午前二時に出発し、
東塔→西塔→横川→坂本と歩き礼拝しながら午前八時頃戻ってくる。それを毎日七年間続けることになる。
また、五年目が終わると「堂入り」となり、九日間、堂にこもり、断食、断水、不眠、不臥(ふが)で不動真言を唱え続ける。
その「堂入り」を行う場所もここ明王堂である。
そして、無事に千日回峰行を満行した行者は大阿闍梨(だいあじゃり)と呼ばれ、人々から尊崇される。

 

 

上の写真から「回れ右」をすると、このように琵琶湖と大津市街が見渡せる。

 

 

明王堂では毎朝11時から大阿闍梨による護摩祈祷が行われており、誰でも参加できる。
祈祷されるのは2017年に千日回峰行を満行された叡南浩元(えなみこうげん)・大阿闍梨様だ。
この日、筆者が到着したのは11時半頃であり、ちょうど護摩祈祷の真っ最中であり、堂の中から信者の不動真言を唱える声が聞こえてきた。

 

 

これは閼伽井(あかい)とよばれる、仏に供える水を汲む井戸。錠の奥に井戸がある。
「堂入り」の際も、行者は一日一回午前二時に堂を出て、ここまで(明王堂から200m程度)水を汲みに来る。

 

 

さらに登ってケーブル延暦寺駅付近に来た。
無動寺方面に向かう場合、通常はケーブルカーに乗ってくるので、ここから参道が始まっている。

 

 

少し歩くと、 延暦寺駅。坂本ケーブルは長さ日本一のケーブルカー。
この駅舎自体が国の登録有形文化財であり、レトロな雰囲気を醸し出している。

 

 

延暦寺駅から見た風景。遠くに琵琶湖大橋が望める。

 

 

さらに10分ほど歩くと東塔エリアに着く。

 

 

東塔エリアに到着。延暦寺では万一火災がおきても、自前で初期消火できるように消防車を備えている。
先日「ニコニコ生放送」で延暦寺からの生中継を放送していたが、
視聴者の「消防車があるので、次に焼き討ちに合っても大丈夫やな」というコメントに対して、
解説のお坊さんが苦笑いしていたのを思い出した。

 

 

これは延暦寺の山門にあたる「文殊楼」。当然だが、昔は徒歩で坂本から本坂コースを登っていたため、
参拝の最初に到着するのがここだったということ。
文殊楼内では急な階段(というよりほぼハシゴ)をつたって二階に上がることができる。
本尊は文殊菩薩であり、柱横には合格祈願の絵馬でびっしりだった。

 

 

比叡山全体の本堂にあたるのが「根本中堂」。本尊は薬師如来。
この中で1200年灯り続けている「不滅の法灯」を見ることができる。
また、中に入ると「傳教(でんぎょう)」と大きく書かれた額が掲げられているが、これは昭和天皇の宸筆(しんぴつ)。
現在は十年をかけて大改修中であり、完成するのは2026年。
写真左の建物の中にお堂がすっぽり収まっている。

 

 

正面から見た根本中堂。

 

 

建物の内部。改修中でも普通に参拝は可能となっている。

 

 

鐘楼。1回50円で誰でも鳴らすことができる。

 

 

大講堂。本尊は大日如来。中には比叡山で修業した名僧の絵が掲げられている。

 

 

さらに、この階段を上って西に進むと、

 

 

右手に阿弥陀堂、左手に東塔が見える。

 

 

阿弥陀堂と東塔の間を通って西塔エリアに向かう。

 

 

東塔エリアを抜け、ここから再び山道を歩く。

 

 

東塔エリアと西塔エリアの中間にある「弁慶水」。
武蔵坊弁慶が山籠していたとき、仏に供えるため、毎日ここの湧き水を汲みに来た。

 

 

その弁慶が籠っていた「山王院」。弁慶水の近くにある。

 

 

さらに進むと下り坂に入る。

 

 

西塔エリアに到着。浄土院の山門が見えてきた。山門はこのように立ち入り禁止となっているが、
すぐ隣に参拝入口があった。

 

 

浄土院は比叡山延暦寺でもっとも神聖な場所。
東塔エリアが観光寺化していて賑やかなのに対し、ここは時が止まったように静か。
掃除地獄とよばれるように、庭は見事に掃き清められていた。
左右には菩提樹と沙羅双樹が植えられ、浄土の雰囲気を映している。

 

 

ここが最も神聖な理由は、浄土院の裏手にこの伝教大師最澄御廟があるためだ。

 

 

浄土院では千日回峰行と並んで、厳しい修行といわれている「十二年籠山行」が行われている。
浄土院では最澄は今なお生きていると考えられている。
最澄に仕える僧のことを侍真(じしん)といい、侍真僧は十二年間、浄土院から一歩も外に出ることは許されず、
伝教大師画の面前で献膳、読経、座禅が行われている。
現在の侍真僧は渡部光臣師で、2009年から「十二年籠山行」に入っているため、あと三年ということになる。
ただし、次の侍真僧が見つからない場合には、見つかるまで侍真を続けないといけないらしい。
なんでも以前の侍真僧は昭和から平成に変わったことを知らされなかったらしい。
来年元号が変わるが、渡部師はそのことをお知りになるのであろうか。
この日は偶然にも高僧をお見送りになる侍真御僧を拝見することができた。清々しいお顔をしておられた。

 

 

西塔エリアを北に進む。

 

 

向かって右が法華堂、左が常行堂で二つの堂宇を渡り廊下が結んでいる。
これら二つの堂を合わせて「にない堂」という。僧侶の修行道場。

 

 

 にない堂の渡り廊下をくぐって、長い階段を降りると、その先に釈迦堂が見える。

 

 

西塔の本堂に相当する釈迦堂。本尊は釈迦如来。

 

 

釈迦堂の右側の道を上っていくと、一般の人々の研修道場である居士林研修道場が見えてきたが、
2018年9月4日の台風の影響で倒木に遭い、壊滅的な打撃を受けた。

 

 

そこから少し進むと、比叡山ドライブウェイの下をくぐって、北上する。

 

 

ここからは尾根伝いに山道を歩く。

 

 

この辺りの山道は千日回峰行の行者道であり、

 

 

また、京都一周トレイルのトレイルコースでもあり、

 

 

東海自然歩道のハイキングコースでもある。

 

 

ところどころ、奥比叡ドライブウェイと並走する箇所もある。

 

 

 そして、玉体杉に到着。ちょうど西塔エリアと横川エリアの中間付近。

 

 

 玉体(ぎょくたい)とは天皇陛下のことを意味し、回峰行者は玉体(天皇陛下の安泰と国家の平穏)の加持(祈祷)をここで行う。

 

 

これは蓮をかたどった椅子で「蓮台石」とよばれる。
回峰行者が 30km の修行行程中、唯一座って祈祷できる場所である。

 

 

蓮台に腰かけて見える京都の街並み。真ん中の黒っぽい所が御所。
このような目線で加持祈祷を行う。
ただし、実際に回峰行者がここを通過するのは午前4時頃。

 

 

再びトンネルを通過する。

 

 

目的地である横川(よかわ)に午後2時15分到着。最終バス(午後4時10分)まで時間があるので、
横川エリアも参拝することにした。

 

 

横川の本堂はこの「横川中堂」。清水寺のような舞台造りが特徴。石垣は穴太衆積み。

 

 

正面から見た横川中堂。本尊は聖観世音菩薩。

 

 

さらに進む。

 

 

元三大師堂に到着。ここはおみくじ発祥の地。

 

 

右に見えるのは元三大師・良源の化身である角大師(つのだいし)。家の入口にこの札を貼って厄除けとする。

 

 

途中、承陽大師、すなわち曹洞宗開祖である道元の御霊跡までの石道標があった。

 

 

恵心堂。恵心僧都(えしんそうず)・源信が往生要集を書きあらわした場所。
今日は運良く開扉していたので、中に入って参拝した。

 

 

横川駐車場に戻って「くず湯セット」を頼んだ。緑色のは「茶まんじゅう」。
やわらかい甘さで冷えた体が温まった。

 

 

16:10横川発の最終バスで「比叡山頂」まで行き、そこから「京都駅」行きのバスに乗り換えて帰宅。

 

 

坂本から行者道をたどって横川まで歩いた。
よく知られたお堂についてはほとんど参拝することができ、充実したウォーキングとなった。
比叡山は筆者お気に入りの寺なので、また近いうちに再訪することになるだろう。

スポンサーリンク

-比叡山延暦寺