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奈良歩き その他神社仏閣

室生古道(仏隆寺~室生寺~大野寺)散策

高野山が明治5年まで女人禁制であったのに対し、室生寺(むろうじ)は古くから女の人も参詣することができたため、
女人高野とよばれる。
他に女人高野として有名な寺として、那智熊野の阿弥陀寺や高野山の麓(九度山)にある慈尊院などが知られている。

さて、室生寺には、東西南北にそれぞれ末寺が置かれ(東:長楽寺、西:大野寺、北:丈六寺、南:仏隆寺)、
四寺で囲まれた領域を聖域と考え、真言密教の道場である室生寺を中心とした曼荼羅(まんだら)に見立てていたという説もある。

本日は古くからの宿場町である「高井」から始まる「室生古道(むろうこどう)」を歩き、
仏隆寺を経由して室生寺まで歩くことにした。

 

歩行日:2019年5月2日
出発地:奈良交通バス・高井バス停(10:50)
到着地:奈良交通バス・室生寺バス停(16:15)
総歩行距離:12.5 km

 

本日のルート。

 

 

9:33 鶴橋駅発の近鉄・急行列車に乗り、榛原(はいばら)駅には 10:26 に着いた。

 

 

榛原駅から奈良交通バスに乗り、およそ15分で高井バス停に到着。

 

 

榛原駅から高井バス停までは伊勢街道に沿って走り、伊勢街道はここ高井で伊勢本街道と室生古道に分岐する。
本日は室生古道を歩く。

 

 

このような背景があり、高井は古くは宿場町として栄えた。

 

 

高井バス停付近。
ここから少し行くと、伊勢本街道と室生古道の分岐点。
ここに書かれているように、後で訪れる仏隆寺は「大和茶」発祥の地。

 

 

10:52
では、出発しよう。
本日は仲間と一緒であるが、筆者は写真を撮ったり、案内板を読んでいたりしたので、早くも遅れをとる。
前方にいるのは筆者の大切な仲間たちである。

 

 

「頭矢橋」を渡ると、もうすぐ分岐となる。

 

 

分岐が見えてきた。左は室生古道、右は伊勢本街道なので、左へ進む。

 

 

「一丁」の町石。一丁は約 110m である。

 

 

室生古道を歩く。

 

 

今度は「十丁」の町石。宿場町である高井までの距離を示しているのだろうか。

 

 

田舎道。

 

 

第一の目的地である仏隆寺までは、あと 500m である。

 

 

お地蔵さん。

 

 

11:20
室生寺の南方を司る仏隆寺に到着した。

 

 

仏隆寺の参道。

 

 

これが有名な「千年桜」の木。

 

 

八重桜を見ることができた。

 

 

山門が見えてきた。

 

 

仏隆寺は真言宗室生寺派。扁額に書かれているように、山号は「摩尼山(まにさん)」。
先にも述べたように、ここの寺では、弘法大師・空海が唐から持ち帰った最古の茶を栽培されたといわれ、
大和茶発祥の地である。
入山料 200 円を納める。

 

 

鐘楼。撞木(しゅもく)しかないため、つくことはできなかった。

 

 

シャガの花が咲いていた。

 

 

手水舎(ちょうずしゃ)。

 

 

正面に見えるのが本堂。

 

 

本堂に着いた。本尊は十一面観音。

 

 

扉は閉まっており、残念ながら中に入ることはできなかった。
暗いが、ここの観音さんは聖徳太子の作と伝わっている。

 

 

十三重石塔。

 

 

不動堂。
不動明王も何とか写真に収めることができた。
ブログのサブタイトルにもあるように、このブログの本旨は「お不動さんを探し歩く」ことなのです。

 

 

左手に石室が見える。また、右手には社が見える。
この石室は 859 年に建立されており、重要文化財である。
仏隆寺開祖の堅恵(けんね:空海の高弟)が入定(にゅうじょう)した場所である。

 

 

石室の中には、堅恵の供養塔となる五輪塔が見える。

 

 

仏隆寺の隣には白岩神社という社があった。
ご祭神は「須勢理姫命(すせりひめのみこと)」。スサノオノミコトの娘で、オオクニヌシノミコトの妻。
ここを治めていた豪族・赤埴(あかばね)氏の祖神。ここの地名にもなっている(榛原町赤埴)。

 

 

白岩神社の拝殿。奥には本殿が見える。

 

 

さて、仏隆寺を出て、少し進むと、水車小屋が見えてきた。美しい風景。

 

 

ここからは唐戸(からと)峠に向けて登山となる。

 

 

風景も一変する。

 

 

12:00
役行者(えんのぎょうじゃ)が祀られた祠(ほこら)に到着。
役行者は、山岳修行で知られる修験道(しゅげんどう)の開祖であり、本日訪問する室生寺を開山した人物でもある。
この辺りが唐戸(からと)峠なのであろう。

 

 

祠の向かいには休憩所があったので、一息つく。

 

 

では、引き続き、室生寺へ向かう。ここからは舗装された下り道なので楽である。

 

 

カトラ新池の横を通り過ぎる。

 

 

まだまだ進む。

 

 

途中でわらびを発見。

 

 

わらびはたくさん生えており、冬には出くわさなかったアオダイショウも 2 匹見かけた。
先日の当尾の散策でもぜんまいをたくさん見かけたし、春であることを実感させられる。

 

 

さらに進む。

 

 

獣除けの柵に到達した。途中、イノシシの罠も見かけたので、イノシシ除けなのだろう。

 

 

12:50
腰折(こしおれ)地蔵尊に到着した。このお地蔵さんは腰から下の病気にご利益があるとのこと。

 

 

さらに下っていく。

 

 

可愛らしいドウダンツツジの花。

 

 

ようやく民家(というより屋敷)が見えてきた。

 

 

山神を祀る石碑。

 

 

どんどん進む。

 

 

13:02
西光寺に到着。
融通念仏宗の寺だが、人の気配がなく、現在は誰もいないようだ。

 

 

西光寺を出ると、ミニチュアのような風景に出くわした。

 

 

下っていく。

 

 

室生寺の山号も宀一山(べんいちさん)なので、この地蔵院というのは室生寺の塔頭(たっちゅう)かな。

 

 

民家の間を縫うように歩く。

 

 

13:25
ようやく室生寺の入口にあたる太鼓橋が見えてきた。
急に人気が多くなる。

 

 

太鼓橋の前で。「女人高野室生山」。

 

 

本来ならば、参拝が先なのだが、店が閉まると困るので、昼食をとることにした。
お店を探して歩く。

 

 

ここに決定。

 

 

筆者が注文したのは山菜丼。

 

 

食後は甘味が欲しいということで、「もりもと」さんで草餅を購入。

 

 

次に、回転焼きを購入。草餅も回転焼きも甲乙つけがたく旨い。

 

 

さて、太鼓橋に戻ってきた。

 

 

これは「表門」だが、壁に横に五本の白線が入っているので、「勅使門」だろう。
皇族と勅使以外、一般の人は通ることができない。
実際に、上皇陛下は 2010年10月10日の奈良行幸の際に室生寺をお立ち寄りされている()。
まあ、それだけ格式高い寺院だということだ。
五本の白線についてもっと詳しく知りたい方は「筋塀(すじべい)」で検索してくださいね。

 

 

室生寺の宗派は真言宗室生寺派。山号は「宀一山(べんいちさん)」。
役行者(えんのぎょうじゃ)が開山し、弘法大師が伽藍を整備したとのこと。
そりゃ格式高いはずだ。

 

 

受付。入山料600円と、特別公開されている金堂の入壇料400円で合わせて1000円。
筆者は JAF 会員だったので、100 円引きだった。

 

 

境内図。

 

 

受付を終えると、仁王門をくぐる前に一つ目の納経所があった。
ただ、御代替わり直後のためであろう、20分くらい並ぶはめになり、
一緒に来ていた人たちを待ちぼうけにさせてしまった。どうもすみません。
御朱印は5種類くらいあったのだが、筆者はお薬師さんの御朱印をお願いした。
筆者にとって、「令和」になってから初めての御朱印である。

 

 

次に、仁王門なのだが、このように改修中であった。

 

 

本来ならば、このように赤と青の仁王さんが出迎えてくれるはずである。

 

 

門をくぐると虚無僧(こむそう)さんが出迎えてくれた。

 

 

この坂は鎧坂というらしい。これを上りきったところに金堂がある。

 

 

シャクナゲの花が咲き誇っている。

 

 

15:00
金堂に到着。このお堂は国宝である。

 

 

特別公開中のため、中に入る。

 

 

中はもちろん撮影禁止なので、絵葉書と書籍を使ってご紹介する。
筆者たちは外陣(げじん)まで入ることが許可された。
須弥壇(しゅみだん)正面は仏様のオールスターという感じ。
中央は釈迦如来(国宝)。その右は薬師如来(重文)。さらにその右は地蔵菩薩(重文)。
釈迦如来の左は文殊菩薩(重文)。さらにその左は十一面観世音菩薩(国宝)。
手前の小さな仏様は、薬師如来のガードマンである十二神将(じゅうにしんしょう)(重文)。
国宝と重文のオンパレードであり、圧巻であった。

 

 

国宝のお釈迦さん。

 

 

国宝の十一面観音さん。頭上のたくさんのお顔(化仏(けぶつ)という)は如来さん。

 

 

金堂の右隣には軍荼利(ぐんだり)明王の石仏があった。
不動明王ではなく、軍荼利明王というのが、かなり珍しい。

 

 

弥勒堂(みろくどう)。本尊は弥勒菩薩(重文)。
弥勒菩薩は 56 億 7000 万年後に如来に出世することが決定している菩薩様である。

 

 

護摩堂。護摩供をするところなので、本尊はおそらく不動明王。

 

 

本堂である灌頂堂(かんじょうどう)が見えてきた。

 

 

本堂へお参りする。「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」。
「南無」はお任せするという意味。
「大師遍照金剛」のうち、「遍照金剛」は弘法大師・空海の名号。
つまり、弘法大師様に全てをお任せします、という意味。

 

 

灌頂堂の本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)(重文)。
これも書籍から。

 

 

本堂でも御朱印をいただいた。「如意輪観世音」。

 

 

さらに上ると国宝の五重塔が見える。

 

 

花蘇芳(ハナズオウ)。

 

 

ハナズオウとシャクナゲ。

 

 


15:28
五重塔に到着。日本一小さい五重塔。
しかし、法隆寺の五重塔に次いで古い五重塔である。国宝。

 

 

五重塔の横には最後の難関、奥之院への 390 段の石段がある。

 

 

15:38
ヒイヒイ言いながらも、やっとこさ奥之院に到着。
すると、御影堂(みえいどう、大師堂)の扉が閉まろうとしているではないか!
慌てて礼拝に向かい、何とかお大師さんのお顔を拝見することができた。

 

 

間一髪セーフだった。直後に閉扉された。

 

 

奥之院にも納経所があった。

 

 

御朱印をいただく。「弘法大師」。

 

 

御影堂の左手には「諸仏出現岩」があり、その上に七重石塔が建立されている。

 

 

奥之院での風景。

 

 

お大師さんにお会いできて良かったです。

 

 

石段の下り道でお不動さんを発見。上りはきつかったため、気づかなかった。
供えられているのは高野マキではないだろうか。
お地蔵さんのような前掛けが可愛らしい。

 

 

16:30 には納経所も閉まるようだ。

 

 

下りの石段はこんな感じ。

 

 

表門まで下りてきた。

 

 

臨時バス乗り場まで歩く。

 

 

16:15
室生口大野駅行きのバスがちょうど待ってくれていた。

 

 

このまま駅に直行するつもりだったのだが、川沿いに摩崖仏(まがいぶつ)を発見し、急遽降車することにした。

 

 

駅から一つ手前の大野寺バス停で降りた。
大野寺は、室生寺の西方を守護する末寺である。
大野寺の弥勒摩崖仏(みろくまがいぶつ)は、史跡指定されている。
この石仏は1200年初頭に製作され、開眼法要には後鳥羽上皇も臨席されたとのこと。

 

 

お顔のアップ写真。

 

 

16:47
大野寺から歩いて5分ほどで、室生口大野駅に着いた。

 

 

2010年に上皇陛下が室生寺をお立ち寄りの際には、奈良駅からこの駅までお召列車で向かわれた。

 

さて、今回の旅は平安時代よりさらに昔の飛鳥時代に開山された室生寺を訪れた訳だが、
金堂といい、灌頂堂といい、五重塔といい、さすがに歴史を感じさせる素晴らしい建物であった。

また、その中の仏像も、国宝と重文のオンパレードで、ずっと見ておきたいくらいであった。
特に、金堂の立体曼荼羅を連想させる仏像群は圧巻であった。
ただし、これらの仏像の一部は、新しく建設される宝物館に移送されるとのことである。
仏像が群として見られなくなるのは残念だが、宝物館が完成したときにはまた訪れるとしよう。

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