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歴史 西国三十三所

西国三十三所観音巡礼 第五番札所・葛井寺と第六番札所・壷阪寺 ~ 高取城跡

本日は西国三十三所巡礼の続きということで、葛井寺(ふじいでら)と壷阪寺(つぼさかでら)を訪問した。
今回の旅は、車で訪れたため歩行距離が少ないということもあり、
壷阪寺からすぐ横の登山道を上り、難攻不落の城として有名な高取城跡まで行くことにした。

葛井寺と壷阪寺の本尊はいずれも十一面千手千眼観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)であるが、
この二寺の観音さんはかなりユニークな仏様と聞いていたので、その意味でも楽しみであった。

葛井寺のキーワードは「藤の花」と「1041本」。
壷阪寺のキーワードは「インド」と「眼病封じ」。

 

歩行日:2019年5月11日
出発地:葛井寺(11:50)
到着地:壷阪寺(17:30)
総歩行距離:6km 程度(壷阪寺~高取城跡の往復のみ歩行)

 

葛井寺は近鉄・藤井寺駅から徒歩 3 分という住宅街にある。
本日は車で向かい、葛井寺南大門前のコインパーキングに駐車した。
ただし、道幅はかなり狭いので、車で行かれる方はご注意を。

 

 

上の写真から「回れ右」をすると、このように南大門が見える。

 

 

葛井寺の山門にあたる南大門。重文。

 

 

葛井寺は西国三十三所の第五番札所である。

 

 

葛井寺の宗派は真言宗御室派。山号は「紫雲山(しうんざん)」。

 

 

南大門に祀られる仁王さん(阿形)。

 

 

こちらは吽形さん。

 

 

南大門の裏側には地獄絵図が描かれている。中央は閻魔大王(えんまだいおう)。
色鮮やかで、しばらく見とれていた。

 

 

閻魔大王の審判。

 

 

賽(さい)の河原。

 

 

地獄絵図。

 

 

鐘楼。この寺は住宅街にあるため、鳴らすことはできない。

 

 

手水舎(ちょうずしゃ)。

 

 

南大門をくぐると正面にこの松が見える。旗掛けの松とよばれる。
楠木正成(くすのきまさしげ)親子は旗をこの松に掛けることで、不利だった戦に勝利したことからこの名が付いた。

 

 

聖武天皇ご寄付の紫雲石灯籠。
西国三十三所巡礼の創始者でもある花山(かざん)法皇が本尊を参拝したとき、
本尊の眉間から光が射し、この灯籠から紫雲がたなびいたと伝えられている。

 

 

本堂。本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。

 

 

線香をお供えする。今回の線香は「仕事成就」。

 

 

扁額には「葛井寺」。

 

 

鰐口(わにぐち)を鳴らしてお参りする。

 

 

ご詠歌。「参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲」。

 

 

本尊は秘仏であり、毎月18日に開帳される。したがって、今回はテレビ放送されていたものをご紹介する。
この十一面千手千眼観音は国宝である。

 

 

千手観音の手の数は通常は42本であることが多いが、ここの千手観音は本当に1041本の腕を持っておられる。

 

 

千の手にはそれぞれ目が描かれていおり、千眼を表している。

 

 

観音さんの頭上の化仏(けぶつ)。

 

 

葛井寺の御朱印。観音さんが本尊なので「大悲殿」と書かれている。

 

 

西門。これも重文。

 

 

葛井寺といえば藤の花が有名である。ほとんど散っていたが、GW の頃はきれいだったとのこと。

 

 

西門から入るとまず護摩堂(ごまどう)が見える。本尊はもちろん不動明王。

 

 

護摩堂内部の須弥壇(しゅみだん)。

 

 

中央は不動明王。

 

 

左側は修験道の開祖でもある役行者(えんのぎょうじゃ)。

 

 

右側は十一面千手観音。

 

 

大師堂。本尊は弘法大師。南無大師遍照金剛。

 

 

阿弥陀二十五菩薩堂。阿弥陀如来を中心に、25体の仏様が楽器を演奏し、往生者を迎える。

 

 

参拝後は境内にある「ヴィクリディタ・サマデ」で休憩。

 

 

西国三十三所はそれぞれ「スイーツ巡礼」とよばれるスイーツを用意している。
葛井寺のスイーツは「葛井餅(くずいもち)」。

 

 

店内。

 

 

筆者が注文したのは葛井餅の抹茶セット。

 

 

葛井寺を後にし、車で1時間走らせると壷阪寺の第一駐車場に着いた。駐車料金は500円。
壷阪寺の境内図。拝観料は600円。

 

 

まず、昼食をとることにした。今日のお店は境内にある「つぼさか茶屋」さん。

 

 

店内。

 

 

注文したのは沢市セット(山菜そばと梅シラスご飯)。1200円。
沢市(さわいち)というのは壷阪寺ゆかりの人物であり、後で紹介する。

 

 

昼食を終えたので、参拝しよう。
壷阪寺(つぼさかでら)というのは愛称。
本当は、南法華寺(みなみほっけじ)という。山号は壷阪山。宗派は真言宗系の単立寺院。
西国三十三所の第六番札所である。

 

 

横長になっている、ちょっと変わった形の山門(仁王門)。

 

 

右側は阿形さん。

 

 

左側は吽形さん。

 

 

仁王さんが履くゲタが置いてあった。

 

 

仁王門の裏側には草履が飾られている。

 

 

山門をくぐると、まず見えるのが多宝塔。本尊は大日如来。

 

 

蓮石曼荼羅。

 

 

その横には十一面千手観音さんの石仏。

 

 

壷阪寺は石仏が大変多い。歩いていると、そこら中に石仏を見つけることができる。
これは曼荼羅(まんだら)チックになった仏像群。
一番大きいのが阿弥陀如来。その下が千手観音。
左側で合掌しているのが普賢菩薩。右側で経巻を持っているのが文殊菩薩。
そして、それらの仏を四天王が守護している。

 

 

普賢菩薩(ふげんぼさつ)はいつも通り騎象となっている。

 

 

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)。

 

 

阿弥陀如来と十一面千手観音。

 

 

お不動さん。前掛けには般若心経が書かれている。

 

 

手水舎。

 

 

手水舎の横にはまたまたお不動さん。
このお不動さんは、制吒迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)を従えている。

 

 

多宝塔の横には灌頂堂(かんじょうどう)。

 

 

灌頂堂内部。中央の本尊は十一面千手観音。
左は大和藩藩主の本多俊政公。右は豊臣秀長(秀吉の異父弟)。

 

 

さらに石段を上がっていく。

 

 

石段の上にはリフトが備わっている。

 

 

さらに上がると慈眼堂というお堂が見える。

 

 

慈眼堂の中はくぐることができ、そこを通り抜けると三重塔が見えた。
1497年建立。これは重文。

 

 

三重塔の向かいには禮堂(らいどう)があり、禮堂は本堂である八角堂とつながっている。
これは禮堂の写真。

 

 

禮堂は普照堂と書かれている。観音を本尊とするお堂の呼称。

 

 

禮堂と八角堂(本堂)はこのようにつながっている。

 

 

八角堂。

 

 

このお寺が素晴らしいのは、本堂内部の写真撮影が OK だったことである。
「SNS やブログ等でお寺をどんどん紹介してください」という割には写真撮影 NG という寺院が多い中で、
これは本当にありがたかった。
筆者は写真 OK と NG の基準と理由は知らないが、NG のお寺は、
私たちが自由に使える写真を HP 等に用意していただければありがたいのだが、難しいかな。

さて、これが本尊の十一面千手千眼観世音菩薩。眼病封じの仏様。
今まで見てきた観音さんと異なり、エキゾチックなお顔である。
本堂内の人の説明によると、インドの作風が入っているのだろうとのことであった。

 

 

観音さんの真裏には弘法大師像。

 

 

壷阪寺の御朱印。「普照殿」。目の仏様らしく、眼鏡の印が押されている。
ご詠歌は「岩をたて 水をたたえて 壷阪の 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん」。

 

 

シャガの花とお不動さん。

 

 

沢市(さわいち)とその妻お里の像。
目の不自由な沢市は介護する妻のお里を不憫に思い、ここから身を投げてしまった。
沢市の世話をすることを喜びに感じていたお里は、後を追ってここから飛び込んだ。
その話を聞いた観音様は二人を谷底から救い、そうすると沢市の目が治ったという話。
ここから、眼病封じの観音様として信仰されるようになった。

 

 

ここから沢市とお里は身を投げた。

 

 

めがね供養の観音さん。

 

 

本当にめがねが供養されている。

 

 

このお寺のキーワードとして「インド」を挙げたのは、このようにインドで創られた仏伝図レリーフが置かれているからである。

 

 

印象に残ったもののみを紹介する。
釈迦苦行像。
これだけ断食して、苦行しても悟りを開くことはできなかったことを表している。

 

 

これは何だろう?寝違えたお不動さん???

 

 

その横には七福神が置かれていた。
これは福禄寿(ふくろくじゅ)。

 

 

これは寿老人(じゅろうじん)。

 

 

これは布袋さん。

 

 

琵琶を持っているご婦人は、弁財天。

 

 

宝塔を持っていて恐い顔をしているのは、毘沙門天(びしゃもんてん)。

 

 

打ち出の小槌を持っているのは、大黒天。

 

 

鯛を持っているのは、恵比寿さん。

 

 

壷阪寺には「時空殿」というのもある。
次に開扉されるのは34年後とのこと。

 

 

境内を歩いていると、三重塔を良い感じで撮れたので。

 

 

道路を渡ると(正確には下をくぐると)、観音と涅槃像の大仏がある。
これは観音像。高さは 20m。

 

 

釈迦涅槃像。

 

 

壷阪寺にはたくさんの堂宇伽藍がある。
右側に見えるのは、インド・アジャンタ石窟寺院をモデルとし延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻、組み立てられ、
総重量1,500tにおよぶ壮大な石のお堂である。

 

 

入口の受付まで戻ってきた。
受付の横には大講堂がある。

 

 

大講堂内部。中央には弘法大師。

 

 

不動明王坐像。右側は大日如来。

 

 

不動明王立像(りゅうぞう)。

 

 

愛染明王の立像は珍しいかも。

 

 

薬師如来。

 

 

15:30
壷阪寺駐車場の横には高取城跡へのハイキングコースがある。
3km 弱、片道50分程度とのことだったので行くことにした。

 

 

石段を上ると、舗装された道に出た。

 

 

ここから再度山道となる。

 

 

「左 五百羅漢道」の石柱。

 

 

案内に従って進む。

 

 

遊歩道となっている。

 

 

何やら石仏がたくさん置かれているところに着いた。
この辺りは壷阪寺の奥之院となっている。
16世紀末ごろ、豊臣家の重臣・本田利久が高取城を築城した際に、
石工たちに命じて彫らせたらしい。

 

 

五百羅漢像。

 

 

高取城跡の方へ進む。

 

 

結構な登り坂だったが、どうやら目的地に着いたらしい。

 

 

城跡らしく、石垣が見えるようになってきた。

 

 

本丸まで 350m。

 

 

壷阪口門の跡。

 

 

壷阪口の中門の跡。

 

 

思った以上に要塞となっている。
さすが、NHK の番組で「日本最強の城」に選ばれただけのことはある。

 

 

本丸まであと少しと書かれている。
この城を攻めるのは大変だっただろうな。

 

 

十三間多門跡。

 

 

開けてきた。本丸は近そうだ。

 

 

日本三大山城となっている。

 

 

インスタ映えしそうな風景。

 

 

本丸は右という案内。

 

 

本丸に着いた。

 

 

三等三角点もあった。

 

 

三角点を映す。夕方なので影が長い。

 

 

本丸から街並みを見下ろす。

 

 

本丸には石の方角案内があった。

 

 

来た道を戻る。17時半頃に壷阪寺駐車場が見えてきた。
駐車場は17時閉鎖なのだが、高取城まで行くと言うと、17時半くらいまでなら大丈夫と寺の人が言ってくれていた。

 

 

シャガの花。

 

 

この坂を下りて、無事に駐車場に戻ってきた。

さて、西国三十三所の五番と六番札所の二寺を訪れたわけだが、
いずれもユニークな寺であり、大変興味深かった。

葛井寺は駅から徒歩5分以内の住宅地という立地であり、地元の人の信仰を集めているように感じた。
本当に千本の手がある千手観音さんについては次回18日に訪れてぜひ実物をみたいと考えている。
御朱印をいただいた人は、とても親切でたくさんの質問したにも関わらず詳しく回答していただけた。

壷阪寺は眼病封じとしては日本一有名な寺であろう。
真っ白な石室、石仏、石像が所狭しと置かれており、普段行く寺とは異なる、エキゾチックな感覚を覚えた。
本尊さんのお顔もオリエンタルなものであった。
壷阪寺も本堂におられた方がとても親切で、本堂の由緒を教えていただき、写真撮影OKですよとアドバイスいただいた。

これまでいろいろな寺院を見て回ってきたつもりだったが、まだまだ不思議な寺があるものだと感心した旅となった。

次の西国三十三所巡礼も楽しみにしたいと思う。

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