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比叡山延暦寺

比叡山延暦寺 登山 無動寺明王堂での一日萬拝

本日は筆者が良く参拝する無動寺明王堂での一日万拝日であった。
「一日万拝」とは、その日参拝すると、一万日参拝するのと同じだけのご利益があるという、ありがたい日である。
毎年6月23日が一日万拝日なのだが、今年は日曜日なので、筆者も仲間と一緒に参拝することにした。

 

歩行日:2019年6月23日
出発地:京阪・松ノ馬場駅(9:40)
到着地:JR 比叡山坂本駅(18:15)
総歩行距離:18.8 km

 

今日のルート。いつもより遅いスタートなので、東塔エリアから横川エリアまではバスで移動した。

 

 

9:40
出発はいつもと同じように京阪・松ノ馬場駅。
法要は10時半スタートと聞いていた。今日は11時過ぎに着くので、遅刻は覚悟の上での登山である。

 

 

無動寺坂の入口。

 

 

 

浄刹結界跡の石碑。女人禁制だった頃の名残り。
ここから一つ目の祠(ほこら)までは、最も坂がきつい箇所である。


 

 

正井観順(まさいかんじゅん)大阿闍梨の祠。3回目の千日回峰行の行中 2,555 日目に、ここで亡くなられた。合掌。

 

 

正井行者(まさいぎょうじゃ)と刻まれている。

 

 

 

頭のないお地蔵さんの祠。明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のときに壊されたのだろう。
いずれの祠にも青岸渡寺の修験道行者のお札が納められていた。
ところで、どちらが先にできたのだろう?後ろの巨木が先か、祠が先か。

 

 

 

途中、大きな岩のある、開けた場所にて休憩。

 

 

 

いつも通る、紀貫之の墓へ通ずる道との分岐点。左側が無動寺坂である。

 

 

 

がんばって登る。

 

 

大乗院に着いた。

 

 

今日は一日万拝の日である。受付にて、願いを書いた護摩木を奉納した。

 

 

いつもの明王堂とは違って、お堂に入れない参拝客(遅刻した筆者も含めて)が外にまで溢れていた。
しかし、ちゃんと叡南浩元大阿闍梨様からお加持を受けることができた。ありがたや。

 

 

法要後は、お接待を受けた。

 

 

 

お腹がすいていた筆者としては、おこわが有難かった。

 

 

お斎(おとき)をいただいた後は、この日に限って行われる、明王堂内陣の拝観に参加させていただいた。

 

 

何度か明王堂には通っているが、内陣に入ったのはこれが初めてである。
秘仏の本尊・不動明王を始め、計10体くらいのお不動さんが安置されていたのには驚いた。
本尊の不動明王は、黒光りを放ちながら鎮座されており、ただただ心惹かれて見とれるばかりであった。
内陣の拝観後は散華をいただいた。

 

 

明王堂を出て、眼下に琵琶湖を眺める。

 

 

明王堂の今後の行事も書かれていた。夏の風物詩である比叡山の荒行・葛川夏安居(かつらがわげあんご)ももうすぐである。

 

 

明王堂を後にし、東塔エリアに向かう。
東塔・延暦寺バスセンターから京阪バスに乗り、横川(よかわ)に向かう。

 

 

横川エリアに到着。

 

 

北に進む。

 

 

龍ヶ池弁財天。千日回峰行の行者が堂入りを行っているとき、九日間の断食・断水・不眠・不臥のうち、断水が特にきついらしい。
そこで、堂入りの際には、少しでも楽になるため、他の僧侶はここで雨乞いの祈祷を行う。

 

 

横川の中心本堂である横川中堂。清水寺のような舞台造りが特徴。
本尊は聖観音(しょうかんのん)。

 

 

 

横川中堂の御朱印。観音さんが本尊なので、「大悲殿」と書かれている。

 

 

 

横川中堂を出て、元三大師(がんざんだいし)堂へ向かう。

 

 

 

元三大師堂に到着。ここは珍しく、実在の人物を祀ったお堂で、参拝の対象は慈恵大師(じえだいし)・良源。
良源は元旦の三日に亡くなったので、元三大師ともよばれる。

 

 

 

元三大師が霊験(れいげん)あらたかで、熱を出した赤子の額をさするだけで治したといわれる。
また、写真の角大師(つのだいし)に変化し、魔物を退治することもできたという。

 

 

さらに、ここはおみくじ発祥の地でもある。

 

 

元三大師堂の扁額。

 

 

横には行者が履いたわらじが掛けられていた。

 

 

元三大師堂(別名・四季講堂)の御朱印。角大師のスタンプがかわいらしい。

 

 

角大師の魔除けのお札も購入した。

 

 

15:30
元三大師堂を後にする。

 

 

甘露山王社は建築中。

 

 

元三大師堂から裏手に10分ほど行くと、元三大師御廟(みみょう)がある。
鳥居の奥に見えているのは拝殿で、そのさらに奥に御廟がある。

 

 

元三大師御廟。北東(=丑寅)の方角は鬼門であり、桓武天皇は平安京を開くにあたり、京都から北東にある比叡山の位置に延暦寺を建てさせた。
横川は比叡山延暦寺の中でも北東の位置にある。横川の中でも北東の位置にあるのが、この元三大師御廟である。
つまり、鬼門中の鬼門中の鬼門である。

 

 

ここで元三大師は亡くなられてからも魔物が京都に侵入するのを防いでいる。御廟の中が荒れ放題なのは、
「ここを掃除する暇があるなら、その分修行せよ」という元三大師の遺言があるからなのだとか。
中央のキノコのようなものが墓石である。
知らずにここを掃除すると、怪我したりするらしい。

 

 

横川エリア最後に訪れたのは恵心堂。本尊は阿弥陀如来。
恵心僧都(えしんそうず)は、元三大師の弟子で、往生要集の作者。
「南無阿弥陀仏」という念仏を始めに唱えた人で、法然や親鸞はここの影響を受けて浄土宗や浄土真宗を開いた。

 

 

ここからは麓の坂本まで下っていく。

 

 

恵心僧都の御廟。

 

 

滋賀医科大学での献体を供養する墓碑。

 

 

途中、杉の木が植樹されていた。

 

 

17:00
八王子山の山頂を通る。標高 381m。

 

 

眼下に坂本の街並みを見下ろす。直下には日吉大社の奥宮が見える。

 

 

奥宮まで下りてきた。これは牛尾宮と三宮の間に挟まれた場所に鎮座する金大巌(こがねのおおいわ)。
日吉大社の信仰の始まりといわれている。

 

 

そこから「回れ右」をすると、坂本の街並みが見える。
一日回峰行の時にも皆が写真を撮っていた場所。

 

 

三宮を見上げる。

 

 

奥宮を後にする。右が牛尾宮。左が三宮。

 

 

そろそろ膝が痛くなってくるが、がんばって下りる。前方にいる仲間からは離されていく(泣)

 

 

17:30
日吉大社まで下りてきた。参拝時間は終わっているので、ほとんど人はいない。

 

 

西本宮の楼門(ろうもん)。

 

 

この楼門は重要文化財で、垂木の神猿(まさる)が有名。

 

 

山王鳥居をくぐり、坂本の町に出る。

 

 

18:15
JR 比叡山坂本駅まで戻り、皆で晩ご飯を一緒に食べて帰宅。

 

一日万拝に初めて参加したが、沢山の信者さんが熱心に参拝しているのに感動した。
筆者のように、これで1万日(=27 年)分のご利益ゲット!とか言ってるようではダメなのか。

しかし、明王堂の内陣は感動ものだった。もちろん写真撮影は禁止なので、皆さんにご紹介できないのは非常に残念である。
機会があればぜひご覧になってください。
絵ハガキか写真集を発売していただけたら絶対買うのだが。。。明王堂さん、いかがでしょう?

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