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歴史 西国三十三所

西国三十三所観音巡礼 第十番札所・三室戸寺~第十一番札所・醍醐寺

本日(令和元年10月22日)は西国三十三所観音巡礼の続きに出かけた。
醍醐寺に行くことになるので、最近の筆者の関心である明智光秀ゆかりの史跡(明智藪と胴塚)にも立ち寄った。

 

西国三十三所巡礼も奈良を離れ、今回は京都・宇治に入る。
第十番札所の三室戸寺(みむろとじ)。山号は明星山(みょうじょうざん)。宗派は本山修験宗。

 

 

三室戸寺の山門。

 

 

山門をくぐり、奥の本堂に向かう。右は「与楽苑」という庭園で、六月のアジサイが有名。

 

 

この石段を上ると本堂に行ける。

 

 

石段を上り終えると人頭蛇身の宇賀神(うがじん)さんが迎えてくれた。

 

 

手水舎にはお不動さんが安置されている。

 

 

鐘楼。三室戸寺の梵鐘は参拝客が撞くことができる。ゴーン。

 

 

三室戸寺は源氏物語ゆかりの古刹である。
源氏物語の宇治十帖は、薫中将(かおるちゅうじょう、男)と匂宮(におうみや、男)との間の恋に揺れる浮舟(女)を描いたものである。
三角関係に悩んだ末、浮舟は入水をはかるが、比叡山・横川の僧都に助けられ、ついには出家して尼となる。
かつては浮舟社があったのだが、今では古蹟となっている。

 


正面に本堂が見える。本堂の下にはウシとウサギが見える。

 

 

玉子が立ちました\(^_^)/

 

 

さて、線香を香炉に立てて、本尊の千手観音さんにお参りする。

 

 

本尊の千手観音は秘仏である。秘仏が安置された厨子の前には、御前立(おまえだち)の千手観音が安置されている。
撮影禁止のため、テレビ放送から紹介する。
千手観音なのに、腕が二本しかないのはなぜだろう???

 

 

三室戸寺の御朱印。観音さんが本尊なので「大悲殿」と書かれている。
三室戸寺のご詠歌は「夜もすがら 月を三室戸わけゆけば 宇治の川瀬に立つは白波」。

 

 

三重塔。

 

 

本堂を後にする。

 

 

与楽苑という庭園。

 

 

三室戸寺を後にし、次の札所である醍醐寺(だいごじ)に車で向かった。

醍醐寺の境内は通常の参拝所である下醍醐の他に、一時間ほど山を上ったところに上醍醐がある。
本日はその両方を参拝した。

 

歩行日:2019年10月22日
出発地:醍醐寺駐車場(12:00)
到着地:醍醐寺駐車場(16:20)
総歩行距離:11.0 km


本日のルート。

 

 

 醍醐寺の境内。図の下部が下醍醐で、山の上が上醍醐。

 

 

駐車場に車を置き、まずは腹ごしらえに向かう。

醍醐寺境内の「雨月茶屋」で「三宝そば」をいただいた。

 

 

さて、拝観を始める。これは唐門。
菊花紋章が入っていることから分かるように、皇室ならびに勅使の方のみが通れる門なので、普段は閉ざされている。
壁に入った五本の線(筋塀(すじべい)という)が格式の高さを物語っている。

 

 

醍醐寺(下醍醐)の境内。
拝観料は筆者がこれまでに訪れた寺院の中で最も高額であった。
上醍醐の入山料も含めると、全部で 2,100 円もかかる。

 

 

参道を進むと仁王門が見えてきた。

 

 

阿形さん。

 

 

吽形さん。

 

 

醍醐寺の本堂となる金堂。このお堂は国宝指定されている。本尊は薬師如来。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ。
オン ビセイゼイビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ。

 

 

951年に完成した、京都で最も古い木造建築となる五重塔(国宝)。

 

 

奥に見えるのは不動堂。五大明王が安置されている。
また、不動明王の石像があり、その前に見えるのは護摩を焚く炉。

 

 

不動堂の横にはたくさんの石像がある。

 

 

お不動さん。

 

 

お地蔵さん。

 

 

不動堂。

 

 

真如三昧耶堂(しんにょさんまやどう)。涅槃像(ねはんぞう)が祀られている。

 

 

祖師堂。
弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝とが祀られている。

 

 

西国三十三所の札所本尊が祀られている観音堂。本尊は准胝観音(じゅんていかんのん)。

 

 

奥に安置されているのが阿弥陀如来で、その前に秘仏の准胝観音が祀られた厨子が見える。

 

 

普段は公開されていないので、テレビ放送から札所本尊の准胝観音さんを紹介する。

 

 

醍醐寺の御朱印。「根本准胝尊」と書かれている。
御詠歌は「逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな」。

 

 

ここまでが下醍醐で、この橋を渡ると上醍醐へ行ける。

 

 

昔はここから上が女人禁制だったため、今も女人堂が残っている。ここで600円を納めて上醍醐へ上る。

 

 

13:15、ここから登山開始。およそ1時間15分の山登りである。

 

 

町石が置かれていた。十八丁が上醍醐である。一丁は110m。

 

 

つづら折りになった道をどんどん上る。

 

 

醍醐寺は豊臣秀吉ゆかりの寺である。
13:25、山の中腹に、秀吉が全国から桜の名木を集めて花見をした「醍醐の花見」に到着した。

 

 

七丁石。

 

 

八丁石。

 

 

九丁石。

 

 

13:35、不動滝に到着。
准胝観音堂(上醍醐)まで30分と書かれているが、准胝観音堂は2008年に落雷により焼失している。
今は、准胝観音堂跡となってさら地になっているので注意。

 

 

不動の滝。

 

 

不動滝の横には休憩場所が置かれていた。

 

 

さて、さらに上る。

 

 

十丁石。

 

 

十二丁石。

 

 

音羽魔王大権現とよばれる御社。

 

 

さらに進む。

 

 

13:55、どうやら上醍醐の境内に入ったようだ。

 

 

十七丁石。

 

 

町石は最後となる十八丁石。

 

 

上醍醐の寺務所。筆者は左の参道を進む。

 

 

さらに上る。

 

 

国宝となる薬師堂。石垣の上に建てられている。

 

 

薬師堂からさらに東へ進むと五大堂が見えた。

 

 

五大堂に到着。醍醐天皇の勅願により建立され、五大明王が安置されている。

 

 

さらに東へ進む。

 

 

上醍醐で最大の伽藍となる開山堂に到着した。

 

 

開山堂には、醍醐寺を開山した理源大師、弘法大師、初代座主(ざす)の三名が祀られている。

 

 

開山堂の横を通る。

 

 

白山社。

 

 

開山堂からの風景。

 

 

そしてこれが上醍醐寺の本堂であった准胝堂(じゅんていどう)があった場所。
准胝堂は2008年に落雷により焼失している。

 

 

さら地となった場所を歩いていると、金属でできた准胝観音さんの散華(さんげ)が落ちていた。
これも何かの縁と思い、ありがたく頂戴した。

 

 

准胝堂(じゅんていどう)の下には「醍醐水」という霊水の泉があり、理源大師により発見された。
今でもこの水は飲むことができる。

 

 

コップが備えられており、ありがたく頂戴した。

 

 

上醍醐には薬師堂ともうひとつ国宝があり、それがこの「清瀧宮拝殿」である。

 

 

上醍醐を満喫したので、山を下りる。

 

 

15:40、麓の下醍醐に下りてきた。

 

 

せっかく、お金を払ったので、霊宝館を見学する。
仏像がたくさん展示されており、目の保養になった。

 

 

最後に三宝院という、枯山水庭園を有した伽藍も見学。

 

醍醐寺を後にする。
せっかく醍醐まで来たので、小栗栖(おぐるす、おぐりすともいう)にも立ち寄ることにした。
ご存知の通り、小栗栖は山崎の合戦で敗れた明智光秀が敗走中、落ち武者狩りによって討たれた地である。

 

小栗栖近くのコインパーキングに駐車して少し歩く。

 

 

小栗栖のバス停。

 

 

狭い路地を歩いていく。

 

 

先ほどのバス停から5分ほど歩くと、光秀が討たれた「明智藪(あけちやぶ)」が案内されていた。

 

 

ここがその明智藪である。
天正十年六月十三日だから、本能寺の変から11日後、山崎の合戦の当日である。

 

 

合掌。

 

 

このようにして光秀は藪からでてきた落ち武者狩りにやられたのだろう。
ただし、光秀をやったのは、土民ではなく、飯田家一党(信長近臣)ともいわれているが正確なところは分からない。

 

 

石碑も建てられている。

 

 

「本能寺で悪魔退治をした光秀公」と書かれている。

 

 

明智藪から 2km ほど北にいくと、光秀の胴塚がある。
落ち武者狩りにやられた光秀は自刃し、自分の遺体は知恩院へ奉納するよう家臣に依頼したが、周りが敵だらけではそれも叶わず、
この付近で首と胴体に分け、胴体の方はこの胴塚に埋められたと伝えられている。
案内板もなくパッと見ただけではどこに胴塚があるのか分からないが、写真右にあるコイン精米所が目印となっている。
そして写真左が胴塚。

 

 

「明智光秀之塚」とだけ書かれている。

 

西国三十三所巡礼もようやく三分の一を参拝した。次の札所は滋賀県・岩間寺である。
昔の人はこれを全て徒歩で巡礼していたのだから頭が下がる。

また、明智光秀についてはこのブログでもだいぶ史跡を巡り歩いてきた。
近いうちに「番外」として筆者がこれまでに訪れた光秀史跡をまとめようと考えている。

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