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天王山 登山(宝積寺~山崎の合戦跡)

前日、明智光秀ゆかりの史跡を歩いたので、この日は羽柴秀吉 VS 明智光秀の大決戦「天下分け目の天王山の戦い」が行われた場所を訪れた。

歩行日:2019年10月20日
出発地:JR 山崎駅(10:10)
到着地:阪急電車・西山天王山駅(15:30)
総歩行距離:7.3 km

今日のルート。2.5km 地点が天王山の山頂(標高270m)。

10:10、JR 山崎駅を出発した。今日は7人という大所帯での登山である。
駅を出発して5分後には踏み切りを渡り、登山口へと入る。

10:20、道なりにすすむと宝積寺(ほうしゃくじ)の山門に着いた。宝積寺は宝寺(たからでら)ともよばれる。
この寺が有名なのは、1582年6月13日、羽柴秀吉と明智光秀の「天下分け目の天王山の戦い」で秀吉が本陣を置いたからである。この戦いは明智光秀による本能寺の変(1582年6月2日)から11日後である。
「三日天下」という言葉は光秀が天下を取った期間がかなり短期間であることを表しているが、実際には11日である。

宝寺の山号は天王山。奈良時代、聖武天皇の勅願により、行基により開山された。
宗派は真言宗智山派。

仁王門の阿形さん。

境内に入る。境内が登山道にもなっている。

不動堂。

三重塔。別名、一夜之塔。
山崎の戦いに勝った秀吉が戦勝祝いと兵の弔いを兼ねて一晩で建てたという逸話からこの名が付いた。

宝寺の本堂。本尊は十一面観音。

宝寺の御朱印。

秀吉がこの石に座って陣頭指揮をとったため、「出世石」とよばれる。

大黒堂。オン マカキャラヤ ソワカ

焔魔堂。日本最古の閻魔大王さんが安置されている。
本堂と焔魔堂は400円を納めると中に入ることができる。

お不動さん。

さて、登山道へ続く。

途中、青木葉谷展望広場で昼食をとる。

12:45、旗立松(はたたてまつ)展望台に着く。
秀吉軍がここに千成瓢箪(せんなりびょうたん)の旗を立てて士気を上げた結果、戦局が有利に傾いたとのこと。

さらに進むと、「十七烈士(じゅうしちれっし)の墓」に着いた。

昨日のブログで京都御所の蛤御門(はまぐりごもん)を訪れていたのは、本日ここを訪問するためであった。
1864年、幕府軍と長州藩とで京都市内において壮絶な死闘が繰り広げられた(蛤御門の変、禁門の変ともいう)。
このとき、幕府軍(新選組)に追われた長州藩がここで見方を山口県に逃し、真木和泉(まきいずみ)を含む残った十七人が自刃したのがこの場所である。
捲土重来した長州藩は後に幕府軍を倒し、明治維新を成し遂げたので、ここで英雄として祀られている。

すなわち、ここ天王山は、1582年の「天王山の戦い」と1864年の「蛤御門の変」という二つの大きな歴史的事件の舞台となっている。

さらに進むと酒解神社(さかとけじんじゃ)に着いた。
大山崎地域の産土神。
かつて、牛頭天王を祭神としていたため、この山は天王山と名付けられた。

もう少しで山頂である。

13:20、天王山山頂に到着。標高は 270.4m である。またここは、秀吉が築城した山崎城の跡地でもある。

山頂からは、北東の方向に下山し、小倉神社を目指した。
小倉神社の主祭神は比売大神(ひめだいじん、神道の女神)と天児屋命(あめのこやねのみこと)。
秀吉も戦勝祈願したことが知られている。

現在地は写真の赤い所。

小倉神社からは住宅街を通って、阪急電車・西山天王山駅まで歩き、帰途についた。

天王山に登ってみて、あらためて思ったのは、天王山からだと長岡京市街が良く見渡せた。
羽柴秀吉が天王山に陣を構えたのに対し、明智光秀は長岡京市街(恵解山古墳(いげのやまこふん)の辺り)に陣をとった。これでは秀吉軍から光秀軍の布陣が丸見えであり、とても勝てないだろうと思った。
歴史に「たられば」はないが、もし光秀が天王山に陣をとって、「中国大返し」の秀吉軍を高槻辺りで迎え撃っていれば、光秀にもチャンスはあったのではないか。

また、天王山を歩くうち、光秀の最期の場所を見てみたい衝動にかられたので、明後日に行ってみることに決めた。

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