スポンサーリンク

京都歩き その他神社仏閣

京都市内歩き(本願寺~八坂神社~知恩院~青蓮院~平安神宮)

昨日は厳冬の中、高野山を歩いた。
そのため今日は家でのんびりしようと思ったのだが、天気予報では暖かくなるとのことだったので、
外出し京都市内をゆるーく歩くことにした。

 

歩行日:2019年1月13日
出発地:京都駅(11:40)
到着地:東山二条バス停(17:30)
総歩行距離:12.4 km

 

スタートは京都駅。

 

 

京都タワー。昨日とは打って変わって本日は快晴なり。

 

 

京都駅の横にある京都中央郵便局。窓に京都タワーが映っている。

 

 

今日はゆるく歩く予定なので、コースをあまり決めていない。
まずは京都駅前にある西本願寺と東本願寺をお参りして、それから東に向かうことにした。

京都駅は下京区にある。京都駅から北西に5分ほど歩くと、下京区役所が見える。
自動ドアの中に見えるのは下京区のマスコット「シモンちゃん」。

 

 

七条堀川の交差点。奥に見えるのが浄土真宗本願寺派総本山の西本願寺(通称お西さん)。

 

 

西本願寺総門に到着。堀川通りを挟んで奥に見えるのが御影堂門で境内へと続く。

 

 

御影堂門。

 

 

国宝である御影堂(ごえいどう)。通常は「みえいどう」と読むが、西本願寺や東本願寺では「ごえいどう」という。
開祖である親鸞(しんらん)上人を祀っている。

 

 

本願寺のイチョウ。

 

 

西本願寺ではこの日「本山成人式」が執り行われていた。
御影堂の中では晴れ着を着た人も。

 

 

御影堂を出て渡り廊下を歩くと、阿弥陀堂へと続く。

 

 

阿弥陀堂は2022年まで修復中となっていた。

 

 

阿弥陀堂の全景。これも国宝指定されている。

 

 

伝道本部に掲げられた成人式の看板。

 

 

これも国宝の「唐門(からもん)」は2022年まで修復中。

 

 

大玄関。

 

 

ただ屋根はだいぶ傷んでいる。

 

 

境内では刑務所作業品の販売が行われていた。

 

 

西本願寺を出て、次は東本願寺へ行くために東へ進む。と、何やら洋風の建物が見えた。

 

 

これは本願寺伝道院。重文。僧侶の教化育成の道場。

 

 

伝道院の横を通り過ぎる。

 

 

これは京都市立植柳(しょくりゅう)小学校の跡地。
2010年に廃校となり、現在、市が跡地の活用法を検討中とのこと。

 

 

二宮金次郎の銅像。
たいていの小学校には彼の銅像があったのだが、今ではどうなのかな?

 

 

お地蔵さんの道しるべ。

 

 

突き当たりには道案内の看板。
「お気を付けて!!」の言葉がありがたい。

 

 

北に進む。

 

 

東本願寺の堀が見えてきた。
城ではなく、寺に堀があるのはなぜだろう。
堀の幅は狭いので、敵の侵入を防ぐというより、防火のためだろうか。

 

 

堀には澄んだ水が流れており、鯉が泳いでいた。

 

 

堀に沿って、東へ進む。

 

 

烏丸通(からすまどおり)を南下すると、まず勅使門(ちょくしもん)が見えた。
菊の紋章があしらわれている。
当然、開かずの門となっている。

 

 

浄土真宗大谷派総本山である東本願寺(通称お東さん)。正式には真宗本廟(ほんびょう)という。
日本人の宗派では浄土真宗が最も多く(本願寺派800万人弱、真宗大谷派300万人強)、
日本人の十人に一人は浄土真宗ということになる。
ちなみに筆者の家の宗派は真宗大谷派である。
筆者は般若心経を好んで唱えるが、浄土真宗では般若心経を否定している。
日本は信仰の自由が認められていて、ほんとに良かったと思う。
これは入口にあたる御影堂門。

 

 

鐘楼。

 

 

手水舎。

 

 

本堂となる御影堂(ごえいどう)。親鸞上人が祀られている。

 

 

御影堂の左横には阿弥陀堂があり、渡り廊下でつながっている。

 

 

阿弥陀堂。本尊はもちろん阿弥陀如来。

 

 

御影堂と阿弥陀堂をつなぐ渡り廊下があるのは西本願寺と同じ。

 

 

雪の中、巨木を運搬するための「おおぞり」

 

 

女性の髪で結った毛綱(けづな)。

 

 

東本願寺を後にする。
ちなみに、西本願寺と東本願寺では御朱印というものはない。
ここは渉成園(しょうせいえん)。東本願寺の飛地境内にある庭園。

 

 

渉成園の横を東に進む。

 

 

河原町通りに出た。

 

 

河原町通りに沿って、少し北に進む。

 

 

市比賣神社(いちひめじんじゃ)の看板が見えた。

 

 

ここは女人厄除けの神様として、女性全ての願い事にご利益があるらしい。
女性参拝客でいっぱいだった。
筆者も勇気を出して入ってみたが、さすがに男性の参拝客は一割もいなかった。

 

 

絵馬もピンク色。

 

 

ご神水は美味しかった。願いが叶うらしい。

 

 

ここは神社ではなく、珍社であると言ったら怒られるか。
この神社の変わった点は、社の上は普通のマンションだということ。
御朱印は残念ながら書置きのみということだったので、いただくことはしなかった。

 

 

さて、市比賣神社を出発し、鴨川の方向へ向かい、五条大橋に着いた。
ここは牛若丸と弁慶の出会いの場所。

 

 

特にルートは決めていないので、気分の赴くままに高瀬川に沿って北に歩く。

 

 

京都一の繁華街である四条河原町に着いた。

 

 

東華菜館(とうかさいかん)。大正十五年に竣工した北京料理店。
日本最古のエレベーターがある。

 

 

鴨川を渡って祇園地区へ。

 

 

南座(みなみざ)。昨年末にリニューアルした。

 

 

お腹がすいてきたので、昼食としよう。
着いたのはうどん屋「おかる」。
舞妓さん・芸妓さんたち贔屓の店であるとテレビで紹介していた。
深夜2:30まで営業している。

 

 

注文したのは「チーズきつねカレーうどん」。こしが全くない麺であったが、まあまあいける。

 

 

そのまま、甘味処へ直行する。祇園といえば花見小路(はなみこうじ)。

 

 

着いたのはこれまた同じ番組で紹介されていた「徳屋」。

 

 

徳屋で並んでいる横には、八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)の授業案内の黒板が掛けられていた。
八坂女紅場学園は舞妓・芸妓のための教育施設。

 

 

注文したのは「本わらびもち」。くずもちは売り切れだった。

 

 

わらび餅の真ん中の白いのは氷。黒蜜か黄粉につけて食べる。

 

 

徳屋を出て、東へ向かう。
この建物が先ほどの八坂女紅場学園。

 

 

着いたのが八坂神社(やさかじんじゃ)。ご存知の通り、祇園祭(ぎおんまつり)は八坂神社の祭礼。
ご祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)や櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)などの十三座。

 

 

参拝客でごった返していたので、お参りだけして退散。

 

 

円山公園(まるやまこうえん)に着いた。有名なしだれ桜。

 

 

円山公園の横には浄土宗総本山の知恩院がある。山号は華頂山。開基は法然(ほうねん)上人。
この立派な山門(三門)は京都三大門のひとつで日本最大。もちろん国宝である。

 

 

手水舎。

 

 

大鐘楼。デカい!
ここの梵鐘は年末のテレビでよく流れる、助走をつけて後ろ向きに鳴らすアレである。
詳しくはYouTubeで見てください。


 

 

本堂となる御影堂(みえいどう)は大改修中で、落慶法要は2020年4月とのこと。

 

 

阿弥陀堂。奥に阿弥陀如来がうかがえる。南無阿弥陀仏。

 

 

知恩院を出発する。

 

 

知恩院のすぐ隣には青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)がある。
青蓮院は天台宗五門跡(妙法院、三千院、青蓮院、毘沙門堂、曼殊院)の一つで、別名・粟田御所(あわたごしょ)とよばれる。
江戸時代、御所が火災の際にはここに避難された。

 

 

青不動明王を拝見したかったのだが、現在は将軍塚の青龍殿に移設されているとのこと。
次回、ご開帳の際にはぜひ見に行きたいものだ。

 

 

宸殿(しんでん)内部。襖絵が見事であり、さすが門跡寺院だと感心させられる。

 

 

今上天皇(きんじょうてんのう)も行幸されている。

 

 

夕陽を浴びる庭園。

 

 

一文字手水鉢(いちもんじちょうずばち)。これは豊臣秀吉が寄進したもの。
しかし、筆者の旅の中でも、豊臣秀吉は本当にいろんな所でいろんな物を寄進していることに驚かされる。
これが彼にとっての人心掌握術ということか。

 

 

お不動さん。有名な青不動さんは将軍塚にいらっしゃるとのことなので、いずれまたの機会に。

 

 

青蓮院の御朱印。「熾盛光如来(しじょうこうにょらい)」は青蓮院の本尊。

 

 

青蓮院を出て、北に進む。

 

 

立派な門の小学校。しかし、この白川小学校も2011年に廃校となっている。

 

 

しばらく北に進むと、巨大な鳥居が見えてきた。

 

 

三条神宮道の交差点を渡る。

 

 

平安神宮の鳥居だ。

 

 

平安神宮は1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して、平安京復元事業の一環として建立された。
ご祭神は「鳴くようぐいす平安京」の桓武天皇(かんむてんのう)と最後に平安京で過ごした孝明天皇(こうめいてんのう;明治天皇の父)。
楼門となる応天門(おうてんもん)。平安京の応天門を5/8のスケールで模したもの。

 

 

応天門の扁額を拡大したもの。應天門の「應」の字に注目してください。
平安京の應天門は795年に建立された。
当時の應天門の扁額を書いたのは、何を隠そう弘法大師・空海であった。
弘法大師は筆の達人として有名であるが、扁額を書いたとき、あろうことか「應」の字の上部の点を書き忘れたのであった。
それを指摘された弘法大師は「エイヤッ」と筆を扁額に向けて投げ、見事に点を書き加えたとの逸話がある。
「弘法も筆の誤り」という諺はここから来たとされている。

 

 

拝殿となる大極殿(だいごくでん)。

 

 

平安神宮は四神相応(しじんそうおう)の考え方のもとに作られている。
四神とは東(青龍、せいりゅう、蒼龍ともいう)、西(白虎、びゃっこ)、北(玄武、げんぶ)、南(朱雀、すざく)であり、各方角の守り神となっている。
ちなみに平安京の場合、北の玄武はこのブログでも取り上げた船岡山(ふなおかやま)のことであり、
南の朱雀は巨椋池(おぐらいけ、今は埋め立てられている)、東の青龍は鴨川、西の白虎は山陽道(西国街道)を見立てている。
これは東の蒼龍楼。

 

 

そして、これは西の白虎楼。

 

 

「右近(うこん)の橘、左近(さこん)の桜」の「左近の桜」。

 

 

こちらは「右近の橘」

 

 

参拝を済ませたので、フードコート兼おみやげ屋の「時代祭館十二十二(トニトニ)」へ。
提灯にもトニトニと書かれている。
トニトニの由来は平安遷都が794年10月22日だから。平安神宮の時代祭も毎年10月22日である。

 

 

店内にも鳥居がある。

 

 

筆者が立ち寄ったのは「京生麩のお店 愛麩(まなふ)」さん。
その場で焼いてくれる。

 

 

たくさんの中から3種を選ぶ。筆者が選んだのは、ガーリックペッパーと明太マヨとパンプキンピーナッツ。

 

 

おみやげは満月さんの「阿闍梨餅(あじゃりもち)」。

 

 

包み紙には、比叡山延暦寺の千日回峰行の阿闍梨さんがお加持(かじ)をする場面が描かれている。

 

 

もう一つのおみやげは京漬物の「すぐき」。

 

 

平安神宮を出て、ロームシアター(昔の京都会館)の中を通る。

 

 

外はだいぶ暗くなっていた。
東山二条のバス停から京都駅行きのバスに乗って帰宅。

 

 

あらかじめルートを決めずに歩いた旅であったが、興味の赴くまま歩いていると結構な距離になった。
しかも、季節によって風景が全く違って見えるということで、京都を見て回るというのは本当に大変だが、楽しいことだと実感した。
今日のルート。

スポンサーリンク

-京都歩き, その他神社仏閣