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当尾の石仏

京都・当尾地区 摩崖仏めぐり(岩船寺&浄瑠璃寺)

このブログのサブタイトルでもある「お不動さんを探す」ということについては、今回の旅はこれ以上ないものとなった。
あまり聞きなれない石仏がたくさん出てくるが、筆者としては是非とも見ていただきたいという気持ちを持って書いたので、
よろしくお付き合いを願いたいと思う。

京都でも当尾(とうの)という地名はあまりご存知ないのではないかと思う。
そういう筆者も今回まで聞いたことがない地名であった。
京都と奈良の境にある京都府木津川市に当尾地区はある。
この辺りは、京都といっても山を反対側に下りれば東大寺や興福寺がすぐそばであり、
平安仏教よりも奈良仏教の影響を強く受けている。
当時は、奈良の都の世俗化した寺院に嫌気がさした僧侶がここに来て修行・勉学に励んだという記録がある。
その間にこの地域にはたくさんの石仏や摩崖仏(まがいぶつ)が建立され、それが今なお残っている。

歩行日:2019年1月19日
出発地:JR加茂駅(09:40)
到着地:木津川市コミュニティバス・「加茂山の家」バス停(15:40)
総歩行距離:18.1 km

スタートは JR 加茂駅。大阪駅から大和路快速(やまとじかいそく)に乗れば1時間ほどで加茂駅に着く。
大阪駅から1時間ほどで秘境に行けるということだ。

今旅では岩船寺(がんせんじ)と浄瑠璃寺(じょうるりじ)という二寺院を訪れる。
これらの寺院に行くには、通常、加茂駅前からコミュニティバスを利用する。
筆者はもちろん徒歩で行く。

それでは出発。

まずは駅から 100m ほど東に進む。

その後、ひたすら南に進み、山へ向かう。

途中、岩船寺は左という標識が出てきたので、それに従う。



この辺りから、当尾(とうの)地区になるらしい。

だんだんとカーブが増え、車の交通量も減ってきた。

道幅も狭くなってきた。

途中、寄り道して、浦木戸という集落のある交差点を鋭角に曲がる。
この交差点には、何やら不思議な石像や灯籠が置かれていた。
ただ、案内板もなく、何なのか全く不明である。

田舎道を歩くのは気持ちがいい。

途中の建設会社に置いてあった神様。トラックが良く通るためなのか、ススまみれだった。
さて、ここで問題です。
この神様は七福神の一人ですが、大国様、恵比寿様、布袋様のうち、どれでしょう?

正解は、、、数珠を首にかけ、スキンヘッドなので、「布袋様」ですね。

さて、さらに北東方向に進む。

民家もなくなってきた。
木津川市のホームページによると、この辺りにお不動さんがおられるはずなのだが、
何せグーグルマップにも載っていないので、歩いて探すしかない。

ようやく「瀬谷不動尊は左」の看板に到着。

標識の通りに歩いてみる。

山の中にどんどん入っていくと、5分ほどで祠(ほこら)が見えてきた。

小川の向こう岸に祠はあった。
 

拡大写真。ついにお不動さん発見。
不動明王はバックに燃え盛る炎(迦楼羅炎(かるらえん))が見られるが、炎の赤色が結構はっきり見えるのに驚いた。
なぜ驚いたのかというと、これが室町時代(500年以上昔)に造られたものだからだ。

瀬谷不動尊と書かれている。

由緒が書かれているのだと思うが、筆者には解読不能である。

少し離れたところから一枚。

人気は全くないのだが、掃き清められているようだ。

仏花。たわわに実ったナンテンが供えられている。頻繁にお世話されているらしい。

去り際にもう一枚。

お不動さんを参拝し、元の鋭角の交差点に戻ってきた。
これは何ともざっくりとした標識だが、筆者はこれとは反対方向に進む。
 

南に歩く。

「当尾の郷会館」に着いた。廃校となった小学校の跡地を活用しているのだろう。

当尾の郷会館の横には國栖神社(くずじんじゃ)があった。
案内板等何もないのでご祭神や由緒等は不明。
鳥居は塗り直されているのか、まだ新しい。

そこから少し集落の中に入っていく。この辺りの地名は「辻」というらしい。

着いたのが「辻の不動明王と地蔵菩薩の摩崖仏」。
向かって右側が地蔵菩薩。左側が不動明王。
不動明王の岩は祠からはみ出している。
花は活けられて間もないようなので、地域の信仰を集めているのだろう。

お地蔵さん。造られたのは室町時代というから、500年以上も前のもの。

お地蔵さんの隣にはお不動さん。

お不動さんのアップ写真。

辻の摩崖仏を出発し、山道を南に歩く。

まだまだ歩く。

どんどん歩く。

標識に到達した。
加茂駅から寄り道をしながらなので、既に 8km 以上歩いている。
岩船寺(がんせんじ)の方へ向かう。

「右・岩船寺」の道しるべ。
廃屋のように見えるのはコミュニティバスのバス停。

岩船寺近くの民間駐車場に着いた。
ご覧の通り、広い駐車場があるので車で来ることもできる。
無人なので、料金は奥にある集金箱に入れる仕組み。

さらに岩船寺方面へ進む。門前町といった雰囲気。

参道に着いた。奥の石段を上れば山門に着く。

付近の地図。
この案内にも書いてあるように、地図は、 
http://0774.or.jp/pdf/tounomap.pdf  
からもダウンロードすることができる。
ここの岩船寺から西にある浄瑠璃寺までの間に沢山の石仏・摩崖仏がある。
今日は全部見て回るのが目標。

石段までの途中には、漬物が並べてあった。
筆者のリュックの中には、加茂駅前のローソンで買ったおにぎりが入っている。
というわけで、渡りに船とばかりに100円を料金箱に入れ、紅心大根の漬物をいただいた。

石段の上には山門が見える。

岩船寺(がんせんじ)に到着。奥には三重塔が見える。
岩船寺の山号は「高雄山(こうゆうさん)」。宗派は真言律宗。
奈良時代の 729 年、聖武天皇が行基(ぎょうき)に建立させたのが始まりとされる。
ここに書かれているように、「花の寺」としても知られている。

これは鎌倉時代に建立された十三重石塔。重文。

阿字池(あじいけ)。
暖かくなると黄菖蒲や水連などが咲くらしい。

住職が「自由に撞いてもらって構わない」とおっしゃったので、遠慮なく撞かせていただいた。
「優しくつくように」と書かれていたが、比叡山延暦寺の梵鐘の感覚で撞いた結果、
橦木(しゅもく)が予想以上に軽く、「ゴォ~~~ン」と山中に響かせてしまった。
生かされていることには感謝しているのでお許しを。
鐘撞き禁止の寺院も多い中、こうやって撞けるのはありがたい。

コンパクトなお寺だが、石段の上には立派な三重塔が見える。
これも重文。
秋には内部が公開されて、不動明王を含む五大明王図が拝観できるとのことなので、
ぜひまた来よう。

三重塔の垂木を支えているのは隅鬼(すみおに)とよばれる天邪鬼(あまのじゃく)。
上の写真を拡大してみた。
この隅鬼も重文。

歓喜天堂。

三重塔から阿字池を見下ろす。左に見えるのは本堂。

逆に、本堂から三重塔を見上げる。

これが本堂。中には住職がおられた。
参拝客は筆者を含めて三人ほどだったので、詳しく説明をしていただけた。

本堂内部は撮影禁止なので、パンフレットから紹介したい。
本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)とそれを取り囲む四天王。
全く素晴らしく、五分ほどぼうっと見とれていた。

須弥壇(しゅみだん)の裏側も拝観でき、そこにも沢山の仏像が安置されていた。
その中で、特に紹介したいのがこの普賢菩薩(ふげんぼさつ)。
元々、三重塔に置かれていたらしい。

本堂の外に出ると、ほぼ正面に見えるのが石室不動明王立像。重文。
眼病平癒の仏様。

拡大してみた。これも鎌倉時代の彫刻。

鎌倉時代の五輪石塔。重文。
東大寺の別当であった平智僧都の墓と考えられている。

石風呂。鎌倉時代。修行僧が身を清めるために使った。

岩船寺を堪能し、石仏巡りに出発する。

山道に入る。

三体地蔵の摩崖仏に着いた。写真左上に三体のお地蔵さんが見える。

今では六地蔵が一般的だが、ここにあるのは六体地蔵信仰よりも以前の形態と考えられる。

さらに進む。

舗装された道に出た。

少し行くと、「ミロクの辻」に着いた。ここには弥勒菩薩(みろくぼさつ)の摩崖仏がある。

弥勒菩薩。ここは山道どうしの交差点となっており、おそらく道しるべ代わりになっていたのだろうと予想する。
「弥勒さんの交差点を右に曲がって、、、」などのように。

再び山道に入る。

田舎道を歩く。この辺りには誰もいない。

三叉路が見える。

標識があって助かった。このような道ではグーグルマップは役に立たない。

筆者は「一願不動」の方向に進む。写真では右上の方向に向かう。

では、上っていこう。

途中、湿地帯を過ぎていく。

遠くに加茂の街並みが見える。

一願不動の標識に着いた。ここは岩船寺奥の院不動にもなっている。
手すりに沿って下っていく。

下りた先にはお不動さんが待っておられた。
弘安10年(1287年、鎌倉時代)に造られた一願不動。
ただ一つだけのお願いを、一心にお願いすれば、叶えてくださるというお不動さん。
お不動さんの面前では、毎月来ておられるというご夫婦がきれいに清掃してくれていた。
こういう人たちのおかげで、長い間仏様が守られてきたのだろう。合掌。

次に進む。ここからは手すりに沿ってひたすら下りていく。手すりがありがたい。

一願不動から 400m 歩いたところで、標識に着いた。
「わらい仏 すぐそこ」とあるので、行ってみる。

当尾の代表的な石仏である、わらい仏に着いた。

永仁7年(1299年)の作。
確かに微笑んでいらっしゃるように見える。
真ん中は阿弥陀如来(あみだにょらい)。阿弥陀さん特有の指の添え方(定印(じょういん)という)をしておられる。
右側で蓮台を持っておられるのは観音菩薩(かんのんぼさつ)。
左側で合掌しておられるのは勢至菩薩(せいしぼさつ)。

造られてから700年以上も経っているにも関わらず、輪郭がくっきり見えるのは、
上部の石が「ひさし」となって風雨から守られてきたためだと考えられる。
この写真からも分かるように、長年の地盤の動きからか、斜めになっている。

わらい仏のすぐ横には土に埋もれた「眠り仏」さん。

浄瑠璃寺方面に向かう。

着いたのは「カラスの壺」交差点。唐臼がなまってカラスとなったらしい。

これがカラスの壺。

ここには二体の仏様を見ることができる。カラスの壺二尊とよばれる。
写真右に見えるのが阿弥陀如来。

阿弥陀さんの横にはロウソクをたてる四角い穴がある。

90度向いたところにはお地蔵さん。

阿弥陀さんとお地蔵さんがお互い90度向いている。
やはり、ここも両方の仏様は道しるべの代わりをされていたということであった。

カラスの壺二尊の全体写真。

本来ならばここから浄瑠璃寺に向かうところなのだが、ついこの案内につられて寄り道してしまった。
今から思えば大変なことになるところだった。
「内ノ倉不動明王」なるものは木津川市の HP にも書かれていないし、何か新しいものでも発見したかのように進む。

この辺りは普通の山道。

倒木が現れる。またいで先に進む。

狭くて急斜面の道を注意しながら進む。

この道で合っているのか不安だったが目印を見つけたので、一応正しいようである。

ジャングルに入ってきた。足元にはシダが生えている。
どれが道なのか分からなくなってきた。

いよいよやばくなってきた。

さすがにこれ以上進むと遭難すると思ったので、あきらめて元に戻ろうとすると、目印が見えた。

目印のそばには「内ノ倉不動明王」の柱があった。1334年に彫られたものとのこと。

拡大写真。だいぶ風化が激しいが、お不動さんの両目と剣は何となく判読できる。
暗くなったら大変なので、合掌して早めに戻ることにする。
ここでは、さすがに清掃してくれる人もいないだろう。一応、落ち葉は除いておいた。
この付近は夏にはマムシも出るそうなので、どうりで石仏案内図にも載らないはずだ。
興味深いところではあるが、来ることをお勧めはしません。

「カラスの壺」交差点に戻ってきた。ここから浄瑠璃寺へ向かう。

歩きやすい山道だ。

集落が見えてきた。

集落の中を歩く。

舗装道路に出た。

しばらく行くと、「藪の中三尊摩崖仏」に着いた。

1262年に造られたもので、作者まで判明している。

阿弥陀如来が真ん中ではない、非常に珍しい石仏。
750年以上も前に彫られたもの。
これを造った橘さんという人は何を考えながら、どういう生活をしながら造ったのだろうなどと、
浪漫をかき立てられる。

しばらく進む。

昔ながらの土産屋の横を通る。もうすぐ浄瑠璃寺だ。

浄瑠璃寺の参道。

当尾と浄瑠璃寺を説明してくれる看板。

浄瑠璃寺の山門に着いた。浄瑠璃寺の宗派は真言律宗。山号は「小田原山」。

鐘楼。ここは残念ながら撞くのは禁止。

ここも岩船寺と同じように池と三重塔がある。広さも岩船寺と同程度。

三重塔から見た本堂。この本堂は国宝である。

三重塔。これも国宝。

正面から見た三重塔。薬師如来が祀られている。

本堂から見た三重塔。

400円を払って本堂も拝観した。
もちろん撮影禁止だが、通常一体のはずの阿弥陀如来が九体(修復中で実際には七体)もあるのは壮観であった。
この寺は別名・九体寺ともいう。

猫ちゃん。

浄瑠璃寺の境内図。何と、奥の院もあるではないか。これは行くべし。
しかし、奥の院へ行くには、実際にはこの地図のような単純なものではなく、今から思えば大変であった。

途中にあった「長尾の阿弥陀摩崖仏」

しばらく歩くと標識が見つかった。
ここまで来て、「危険なため、奥の院へ単独で行くのはお勧めしません」と書いてある。
もっと早く言ってくれれば良いのに。
迷ったが、少し行って、無理そうなら引き返そう。

いざ、出発。

ここから竹藪となる。

特に問題なさそうので、どんどん進む。

急な下りを下りていくと、橋が見えてきた。橋の向こうには立て看板が見える。

橋を渡る。

どうやら着いたようだ。
特に危険はなかったが、急な下りを下りてきたので、帰りが心配だ。

お不動さんとその他二体の仏様を発見。
ここが浄瑠璃寺の奥の院だが、結構荒廃している。
なかなか来ることが難しいのだろう。

真ん中に立っておられるのは、もちろん我らが不動明王。

不動明王はしばしば三体であらわされる場合が多く、その場合向かって左のやんちゃそうな子供は制多迦童子(せいたかどうじ)、
向かって右のおとなしそうな子供は矜羯羅童子(こんがらどうじ)である。
こちらが制多迦童子。

そして、こちらが矜羯羅童子。

三体の写真。
注)しかし、この三体の仏像は昭和になってから造られたことを「弥勒の道プロジェクト」さんから教えていただいた。
どうもありがとうございます。
そして1296年に彫刻された瑠璃不動摩崖仏は、不動明王像の後ろの白っぽい岩におられるとのこと。
下の写真に映っているはずなのだが、分からないので、これはぜひ再訪せねば!

説明文は解読できなかった。

さて、お不動さんにお会いできたので戻ることにする。

かなり急な上りなのだが、お分かりだろうか。

これは食べれるのか不明。

まだまだ上る。

ヘトヘトになりながら、ようやく元来た道に戻ってきた。
摩崖仏がもう少しあるはずなので、坂道を下りていく。

これは「たかの坊地蔵」

脇道にそれて歩く。

棚田が見えてきた。

そして着いたのが、「ツジンドの焼け仏」。
ツジンドとは「辻のお堂」のことらしい。
本当は三体なのだが、昭和二年の火災で焼失したらしく、ほとんど判別不可能。だから焼け仏というわけか。
地元の人に愛されているらしく、きれいに手入れされていた。

あと一つ、ここに書かれている「大門仏谷摩崖仏」を見たかったので、標識に従う。

田舎道を歩く。

10分くらいこのような道を歩く。

そして着いたのが、仏谷の摩崖仏。

遠くに見えるとのこと。

遠くに見える石に刻まれているのだが、お分かりだろうか。

拡大写真。いつ造られたのか不明らしい。

全て見終わったので、帰途に就くことにする。
現在地点から加茂駅までは 4km ほど。

加茂駅まで歩こうと思っていたのだが、都合よくバス停発見。
ここがコミュニティバスの終着点らしい。
しかも、現在15時38分なので、あと3分でバスが来る。
これは乗るしかあるまい。

というわけで、ほどなく加茂駅行きのバスが来たので、これに乗って帰宅。


岩船寺の御朱印。住職自ら書いていただいた。
ご本尊の「阿弥陀如来」


浄瑠璃寺の御朱印。
阿弥陀如来が九体安置されているので「九体仏」。

テレビでこの辺りのことを放送していたので、始めて知ったのだが、
摩崖仏を見つけるのは宝探しのようで楽しかった。
途中、危なげなところもあった。
これからも歩行を楽しみたいので、諦めるところは諦めて、無理なく進んでいこうと思う。
今日のルート。

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