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北近畿・神社仏閣巡りー三島由紀夫『金閣寺』の舞台となった金剛院

三島由紀夫とは

プロフィール欄にも記載したように、筆者は三島由紀夫のファンである。
なぜ好きなのかというと、とても一言では言い表せない。
三島由紀夫は、ノーベル文学賞を受賞する一歩手前までいったのだが、最終的には師匠でありライバルでもあった川端康成が受賞してしまう。

筆者は明智光秀のファンでもあるが、本能寺の変により天下を取る一歩手前までいったのが光秀であり、そういう意味では筆者は二番手を愛する人間なのかもしれない。

話を三島由紀夫に戻すと、華奢(きゃしゃ)な体だった彼は、それをコンプレックスとして筋トレに励み、マッチョな体を手に入れる。
彼は今で言う LGBT であり、美輪明宏さんとは親密な仲であったらしい。
LGBT であることは『仮面の告白』を読めば良く分かるが、いずれ「読書評」として皆さまにご紹介したいと考えている。

そして、ご存知のように、1970年、市谷駐屯地で多くの自衛官やマスコミの前で割腹自決する。
米国から自立せよという自分の主張を自衛官たちに聞き入れてもらえず、失望ゆえの自決である。
このようなある種の悲哀を感じさせる彼の生き方が魅力的に映るのである。

三島はこの演説の直後自決する

しかし、筆者が最も感嘆させられるのは、この人ほど日本語を上手く操ることができる人はいないということである。景色一つ、建物一つをとっても、それを巧みな表現により抒情詩的なレベルにまで昇華させることができる。

巧みな表現の具体例について、筆者の頭の中には今いくつか浮かんでいるのだが、話がずれるのでいずれご紹介するつもりである。

 

『金閣寺』について

これは三島由紀夫の代表作であるが、1950 年に実際におきた金閣寺放火事件を題材にした小説である。

主人公の「私」は生まれつき吃音(どもり)で、彼女もできないほどの内向的な性格だった。
ただ一つ、僧侶であった父親から金閣寺の美について聞かされており、「私」の中で未だ見たことのない金閣寺を究極の美として夢想していた。
そして、金閣寺に小僧として修行生活に入る。
大学にも通うようになり、数少ない友人から女を紹介される。
しかし、美の対象としての女を抱こうとしたとき、目の前に金閣が現れ、失敗する。
美というものは儚いものであると考えていた「私」は、太平洋戦争による攻撃で破壊されると予想していた金閣寺が終戦後もそのまま建っているのを見て幻滅する。
美しいものは儚くなくてはならないという自らの信念と美の対象(女)を得ることを金閣に邪魔された「私」は、ついに『金閣を焼かなければならぬ』という想念に包まれた。

 

『金閣寺』の中の金剛院

中学時代を舞鶴で過ごした主人公の「私」は、初恋の女・有為子(ういこ)に対して後ろからついていき、今でいうストーカーまがいのことをしていた。
その有為子からひどく罵られ、「私」は有為子の死を願うようになった。
その有為子は、海軍からこの地に脱走してきた脱走兵と仲睦まじくなり、やがて妊娠した。
脱走兵を追いかけてきた憲兵は有為子を詰問し、有為子は脱走兵の居所が金剛院であることを白状する。

夜になって、有為子は憲兵につれられて金剛院にやってきた。
このとき、「私」は、これで有為子は自分のものになるとほくそ笑んだ。
有為子は、百五段の石段を上り御堂に隠れていた脱走兵に耳打ちする。
すると突然、脱走兵は石段の茂みに隠れていた憲兵に向け銃を放ち銃撃戦となった。
そして脱走兵は有為子の背中に向けて撃ち、自らのこめかみも撃った。

 

金剛院参拝

『金閣寺』を読んでいるうちに、筆者はいずれ金剛院を訪れてみたいという気持ちをずっと持っていた。
そして、今回、近くの松尾寺を参拝することになったので、ついに来る機会を得たというわけである。
三島由紀夫も小説執筆の取材のために、この金剛院を訪れている

金剛院の位置。松尾寺からは車で10分くらいの距離。ここも車で向かうのが賢明だろう。

 

参拝日:2021年2月6日

 

金剛院の山門。
金剛院の山号は鹿原山(かわらさん)、寺号は慈恩寺。宗派は真言宗東寺派。

 

拝観料 300 円を納めて入山する。

 

本堂の方へ歩いていく。

 

樹齢千年の榧のご神木

 

三重塔に到着。ここは紅葉の名所として知られる。

 

手水舎

 

最近、手水舎の龍を見るのが楽しみになってきた。

 

本堂へと続く百五段の石段。
『金閣寺』では、この石段で脱走兵と憲兵との銃撃戦が行われた。

 

えっこらえっこら百五段を登り、本堂に到着。
本尊は秘仏の波切(なみきり)不動尊。
お寺の人によると、ここのお不動さまは剣を下に向けて、海面を切り裂いているとのこと。
この日は何かの法要があったのか、五色幕が飾られていた。

 

松尾寺と同じく、蟇股(かえるまた)は龍の彫り物で、その上には飛天の彫り物。

 

『金閣寺』の作中、脱走兵が隠れていた御堂。
三島由紀夫が言うように、清水寺のような懸け造りの舞台となっている。

 

そして、有為子が撃たれたのがこの辺りだと思われる。
三島由紀夫はこの景色を見て小説を書いた。

 

弁天堂。オン ソラソバテイエイ ソワカ。

 

袴腰(はかまごし)の鐘楼。

 

おっ、滝があるではないか。せっかくなので行ってみる。
たぶん奥の院となっているのだろう。

 

弘法の滝

 

本堂から見た三重塔。

 

金剛院の御朱印。もみじ寺「不動尊」。

 

南無大師遍照金剛

 

金剛院を後にする。

 

三島由紀夫がなぜ『金閣寺』の舞台にここを選んだのかは分からない。
しかし、『金閣寺』の金剛院の箇所を読み返してみると、同じ風景を見ているのにも関わらず、筆者は到底そのような表現で書き表すことはできないと思い知らされ、三島由紀夫の文才に改めて感心させられた。

皆さんもぜひこのブログの写真を見ながら『金閣寺』を読んでみてください。

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