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銀閣寺参拝

日本人なら誰でも知っている銀閣寺は、室町幕府八代将軍・足利義政により建立された寺院で、室町時代後期に栄えた東山文化を象徴する建築物である。

今日は大文字山に上って、そこからふもとの銀閣寺に下りてきた。

 

参拝日:2021年2月20日

 

銀閣寺の位置。

 

 

実は銀閣寺という名のお寺はない。
慈照寺(じしょうじ)とよばれているが、これも正確ではない。
正式には、相国寺(しょうこくじ)の境外塔頭(たっちゅう)の一つである。

 

ちなみに、金閣寺も相国寺の境外塔頭の一つである。
山号は東山(とうざん)、宗派は臨済宗相国寺派。
東山慈照寺というのが正確な呼び名ということになる。

 

金閣寺と同じく、お札が参拝券となっていた。

 

境内に入ると、いきなり庭園で、いかにも臨済宗寺院といった佇まい。
銀閣寺の庭園には、写真のような「銀沙灘(ぎんしゃだん)」とよばれる砂盛りがある。
月を鑑賞するときに月光を反射させて本堂を照らす役割があったといわれているが、正確なところは不明らしい。
左に見えているのが本堂(方丈)。
そして、正面に見えているのが国宝の東求堂(とうぐどう)。

 

本堂となる方丈。
臨済宗なので、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)が祀られている。
正面の額には「東山水上行(トウザンスイジョウコウ)」と書かれている。

 

洗月泉(せんげつせん)

 

 

もう一つの砂盛りである「向月台(こうげつだい)」。
上賀茂神社の「立砂(たてずな)」のようにも見える。
この上に座って月が昇るのを待ったという話もあるが、正確なところは分からないらしい。
形が崩れないように、毎日手入れされているとのこと。

 

国宝の東求堂(とうぐどう)。
足利義政が自身の隠遁生活の場として建造したもの。

 

義政公

 

東求堂の中の同仁斎(どうじんさい)とよばれる書斎。

 

四畳半の和室」の原型とのこと。

 

そして銀閣。
観世音菩薩が祀られているので、観音殿という。

 

金閣と同じく、閣上には鳳凰(ほうおう)が配置されている。

 

銀閣の観音さま。

 

銀閣寺の御朱印。

 

足利義政といえば、京の都を内戦状態にした「応仁の乱」の原因を作ったともいわれる。

また、将軍にも関わらず政務を放棄して、茶の湯等の文化に没頭していたが、争いごとが好きではないのかもしれない。

この人自身は銀閣の完成を見る前に亡くなってしまったのだが、東山文化(=和の文化)を勃興した人物であることは間違いないと思う。

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