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永平寺

曹洞宗大本山 永平寺

永平寺は、道元により開創された曹洞宗の大本山であり、福井市から東の山奥に位置する。
道元は少年期を比叡山延暦寺の横川(よかわ)で修業したが、「本来本法性・天然自性身」、すなわち、
人はもともと仏性を有しており、生まれながら悟りを開いているという天台教学をどうしても理解できなかった。
つまり、もともと仏性を持っているのなら、なぜ厳しい修業をする必要があるのかという当然の疑問である。
道元は比叡山を下り、建仁寺の栄西(臨済宗開祖)に師事しようとしたが、栄西はちょうど亡くなっていた。
そこで、宋に渡り、本場の禅宗を学ぶことにした。
帰国後は時の政権である北条時頼から鎌倉に来て寺を開くよう懇願されたが、丁重に断り永平寺で曹洞宗を開いた(鎌倉の項参照)。

筆者は永平寺には何回か訪れているが、いずれも真冬の参拝であり、辺りは白銀の世界であった。
山奥の森の中の永平寺を味わいたいと思い、本日は早朝に大阪を車で出発した。

 

訪問日:2019年6月15日

 

高速を使うと、大阪から永平寺参道 IC までおよそ2時間半であり、そこから永平寺までは15分ほどである。
永平寺参道の門前町には多くの駐車場がある。
この写真の奥には永平寺がある。

 

 

永平寺にはこれまで何回か訪れたが、いずれも真冬に訪れていた。
この辺りはとても雪深くなるので、筆者にとってこの時期の風景は逆に新鮮である。

 

 

永平寺の山号は吉祥山。横浜の總持寺と並ぶ、曹洞宗の中心寺院である。

 

 

緑に囲まれた参道が美しい。

 

 

苔で覆われた石壇の上には聖観音菩薩が祀られている。

 

 

こちらにも聖観音さん。
永平寺では聖観音菩薩がたくさん祀られており、十一面観音や千手観音は見受けられなかったが、何か理由があるのかな?

 

 

当たり前だが、冬は真っ白だったので、苔の絨毯が新鮮に見える。

 

 

永平寺の境内。たくさんのお堂(伽藍)があるが、
黄色で書かれた七つの伽藍は七堂伽藍(しちどうがらん)とよばれ、重要なお堂である。
①東司(とうす;トイレのこと)、②山門(一般の参拝客は通ることができず、僧のみが通ることができる)、
③浴室(永平寺では風呂、トイレ、食事、睡眠、全てが修業であり、それぞれに作法が定められている)、
④僧堂(修行僧(雲水とよばれる)の座禅、食事、睡眠の場所)、⑤仏殿(本尊は釈迦如来)、
⑥法堂(はっとう;本尊は聖観音菩薩)、⑦庫院(くいん;食事を作る台所がある)
あと、最も神聖な場所は左上に書かれた承陽殿であり、道元禅師の遺骨が祀られている。
承陽殿は高野山の奥之院や比叡山の浄土院にある最澄御廟のようなものか。
承陽殿の名の由来は、道元は承陽大師とよばれていたためである。

 

 

永平寺の唐門(からもん)。良く見れば右の壁には五本の白線が入っており、筋塀(すじべい)とよばれる。
格調高い門であり、皇族およびその勅使以外通ることはできない。
ただし、ゆく年くる年でも放送されたように、永平寺の唐門は大晦日4時間のみ開門されるとのこと。

 

 

一般の参拝客は左上の通用門から入る。

 

 

六角形の形をした納経塔。

 

 

一葉観音さん。

 

 

いよいよ境内に入る。正面は通用門。

 

 

もちろん、こちらは五本の線は入っていない。

 

 

拝観料は500円。

 

 

まず、吉祥閣という建物に入り、御朱印をお願いしておく。
また、永平寺の修行僧は雲水(うんすい)とよばれるが、雲水さんから七堂伽藍の概略や諸注意事項を説明された。

 

次に入る建物は傘松閣(さんしょうかく)。別名、天井絵の大広間といわれる。

 

 

ちなみに、5枚の絵(リス、開口した青い獅子、閉口した白い獅子、2匹の白鯉、黒鯉)を探し出してお願いすると、
願いが叶うとのこと。
筆者は白い鯉と黒い鯉しか見つけることはできなかった(泣)。

 

 

傘松閣に掲げられたお釈迦さんの絵。手前は布袋さん。

 

 

傘松閣を出て、七堂伽藍に向かう。

 

 

まずは、僧堂。

 

 

僧堂は、雲水が寝泊まりし、食事や座禅を行う場所。
この写真のベンチのようなところで食事や座禅を行う。

 

 

雲水の撮影は厳禁である。テレビで雲水さんの食事や座禅が放送されていたのでご紹介する。

 

 

また寝るスペースは一人当たり畳一畳分であり、写真の寝袋のようなものに包まって寝る。

 

 

これはテレビで放送されていたもの。

 

 

僧堂の前の庭。

 

 

さらに階段を上る。毎朝、雲水さんがきれいに掃除されているとのこと。
永平寺では、全ての伽藍がこのような階段と回廊で結ばれている。

 

 

仏殿。「覚皇宝殿」の扁額が掲げられている。

 

 

仏殿内部。中央に見えるのが釈迦如来。右には弥勒如来。左には阿弥陀如来。

 

 

大庫院の一部である瑞雲閣。

 

 

大庫院の中は入ることができないため、これもテレビ放送から。
普通の調理場のように見える。

 

 

さらに上っていく。

 

 

法堂(はっとう)。「法王法」の扁額が掲げられている。
本尊は聖観音菩薩だが、秘仏であるためなのか、見ることはできない。

 

 


法堂から眼下を望む。

 

 

東司(とうす)。

 

 

左側には、永平寺の中で最も神聖な場所である承陽殿がある。

 

 

承陽殿。道元禅師の遺骨と歴代住職の位牌が祀られている。

 

 

この承陽という字は明治天皇の宸筆(しんぴつ)。

 

 

承陽殿前の香炉。

 

 

反対側には手水もあるが、一般の参拝客は使うことはできない。
しかし、この辺りが湧水が豊富なことは良く分かる。

 

 

白山水。
永平寺だけでなく、高野山でも比叡山でもそうだが、どれだけ山奥でも豊富な湧水があれば、
寺を構えることができるということを教えてくれる。

 

 

上に承陽殿を望む。

 

 

大庫院の正面には「法喜禅悦(ほうきぜんえつ)」の扁額が掲げられており、韋駄天が祀られている。

 

 

大庫院の前には長さ4mのすりこぎ棒。撫でると料理が上手くなるとのこと。
皆から撫でられまくっているようだ。

 

 

足が速いことで有名な韋駄天(いだてん)さん。温かいものは温かく、冷たいものは冷たい状態で食事を運べるようにとのこと。

 

 

浴室。

 

 

下には山門が見える。

 

 

山門には四天王が祀られている。
これは宝塔を左手に持っているので、多聞天(たもんてん)。
四天王ではなく、一体で祀られるときは毘沙門天とよばれる。

 

 

これは持国天(じこくてん)。邪鬼が良い踏まれ方をしている。

 

 

筆と経文を持つのは広目天(こうもくてん)。

 

 

長い戟(ほこ)を持つのは増長天(ぞうちょうてん)。

 

 

山門からは、除夜の鐘で有名な鐘楼が見える。ゆく年くる年でもよく鳴らされていた。

 

 

永平寺といえば座禅であり、3分ほど座禅できる場所があったので、筆者もやってみた。
目は開けたままであることに注意。
これで「身心脱落(しんじんだつらく)」し、宇宙と一体化できるはず(?)

 

 

参拝後は御朱印を受け取った。「承陽殿」。

 

 

昼食は永平寺の門前町の「井の上」というお店で、永平寺そばと福井名物のソースかつ丼を注文した。
永平寺そばはこしがあり、お餅のような触感のそばで美味しかった。
ソースかつ丼は初めて食べたが、ソースが甘くてこれまた美味しかった。

 

さて、今から800年以上も昔に、このような雪深い山奥に寺を建立しようと考えた道元はやはりすごいと思う。
それが現在まで続いていて、座禅は日本のみならず今や世界中に広く知れ渡っている。
また、雲水による托鉢、地元の方の熱心な信仰、「梅花講」とよばれる御詠歌を歌唱する全国のサークル活動などによって、
伝統が固く守られているのも素晴らしいと感じた。
次回は、雪が積もったときに再訪し、その時は温泉と蟹も楽しもう。

さて、この後は越前大名・朝倉氏の遺跡に訪れたのだが、それは次回ご紹介します。

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