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高野山

高野山ハイキング(京大坂道)

高野参詣道(町石道、京大坂道、黒河道)とは

大阪側から高野山へ徒歩で向かう場合、3つのルートがある。

西から順に町石道(ちょういしみち)、京大坂道(きょうおおさかみち)、黒河道(くろこみち)であり、これらは高野参詣道とよばれる。

 

高野参詣道に対する筆者の持っているイメージとしては、、、

町石道・・・ふもとの慈尊院に母を住まわせた空海が月に9回、この道を通って高野山から母に会いに行った道。
だから、ふもとの町は九度山とよばれる。距離が長い(21km)。

京大坂道・・・昔の人も今と同じでなるべく楽な道を歩いて高野山へ行きたいというところからできた道。距離も短く、歩きやすい。登山というよりはハイキング。
女人堂へ行きたいならこの道を通るしかない。

黒河道・・・距離は長くない(17km 程度)が、高低差があり体力的には最もきつい。クマが出たと聞くのはこの道の場合が多い。
高野山で禁じられていた能狂言を催した豊臣秀吉が、急な雷雨に見舞われ、「弘法大師の怒りだ」と言ってこの道を馬で駆け下りたという伝説は有名。

 

 

高野山・京大坂道

筆者は、上記の3つの道を全て歩いたことがある。

 

しかしながら、京大坂道だけは途中の南海・極楽橋駅から歩き始めたので、初めから歩いたわけではなかった。

そこで本日は、京大坂道をスタートの学文路(かむろ)駅から歩いてみた。

 

歩行日:2021年4月10日
出発地:南海電車・学文路駅(07:05)
到着地:高野山・女人堂(10:50)
総歩行距離:13.4 km

 

今日のルート。
学文路駅から女人堂までほぼ一本道。
また、全ての道が舗装路であった。

 

 

全てが舗装路であったが、息があがる場所がいくつかあり、言われているほど楽ではなかった気がする。
歩行軌跡をダウンロードしたい方はこちらからどうぞ。

 

今日のスタート地点は南海・学文路駅。
難読のこの駅は「かむろ」と読む。
近くに学問の神様・菅原道真公が祀られている学文路天満宮がある。

 

 

踏切を横断して北に進む。

 

 

ここは高野参詣道・京大坂道。

 

 

5分ほど歩くと、「人魚のミイラ」で知られる西光寺に着く。
まだ朝早かったので、今日は見ることができず。残念。

 

 

人魚のミイラ。
一説によると、江戸時代にミイラ細工師というのがいて、魚とサルを合わせてミイラを作って見世物にしていたらしい。

 

北に進んでいく。

 

 

京大坂道も古くからの高野山参詣道なので、ところどころお地蔵さまが迎えてくれる。

 

 

法花一字一石塔

 

 

この時期は道端にいろんな花が咲いている。
ツルニチニチソウ。

 

 

ハナニラ

 

 

筆者の好きなシャガの花

 

 

ここからはいったん標高差で 100m ほど下る。

 

 

7:58、日輪寺に到着。
日輪寺と丹生神社は同じ境内にある。

 

 

自分で自分のことを名刹と紹介している点が面白い(^^)
でも、古文書も残っており、名刹であることは確かなようである。
この付近の地名は河根(かね)といって、高野街道(京大坂道)の宿場町として発達し、室町時代には集落を形成していた。
江戸時代には、高野参詣道の旅人の大半はこの地を通るようになり、本陣、旅籠、茶屋などが立ち並び、賑わいをみせた。

 

 

このような宿跡が今なお残っている。

 

 

千石橋を渡る。

 

 

ここから再び上り道となる。

 

 

右に咲いているのは全部シャガの花。

 

 

京大坂道はずっとこのような舗装路だった。

 

 

日本最後の高野の仇討ち」が行われた場所に到着。
赤穂藩主・森家の家督争いが原因で、赤穂藩老・執政の森主税(ちから)と参政の村上真輔が、尊王攘夷派の藩士、吉田、西川ら13人に暗殺された。
その後、村上一族の遺児らは仇討ちの決心を固めたと言われている。
殺生禁断の高野山に入山すれば村上一族の復讐から逃れられると判断した吉田であったが、村上一族は復讐の決意を固め、仇討ち事件の当日朝、河根宿の本陣・中屋に泊まり、吉田たちを待ち伏せし本懐を遂げた。
日本で最も有名な仇討ちは赤穂藩士によるものであり(忠臣蔵)、日本最後の仇討ちも赤穂藩士によるものだったということ。

 

 

縁結びのお地蔵さま。

 

この付近も宿場町という雰囲気。

 

 

南海電車終点の極楽橋駅まであと少し。
極楽橋方面へ進む。

 

 

いろとりどりの山桜

 

 

極楽橋が見えてきた。

 

 

9:50、極楽橋に到着。

 

 

極楽橋駅も見える。

 

 

極楽橋を渡って左に進む。

 

 

ケーブルカーの下をくぐる。

 

 

古くは、「外の不動堂」とよばれていたお堂があり、この道は不動坂とよばれる。

 

 

眼下をケーブルカーが通過する。

 

 

筆者は黒河道を歩いたときクマの糞を見つけたが、京大坂道にも出没するのだろうか。

 

 

最後の上りなので、がんばって歩く。

 

 

清不動堂(きよめのふどうどう)が見えてきた。

 

 

10:30、清不動堂に到着。
お不動さまを参拝する。

 

 

清不動堂を後にして歩き始める。

 

 

5分ほど歩くと、再びお不動さんが安置されているので、ご挨拶する。

 

 

このお不動さんを過ぎると、女人堂はもうすぐである。

 

 

バスが通る道路に出た。

 

 

先に見えるのが女人堂。

 

 

10:50、京大坂道の終点である女人堂に到着。
高野山は女人禁制だったため、明治までは女性はここで参拝したので女人堂とよばれる。
高野山境内をぐるっと一周するように女人道があり、その道中に七つの女人堂があったが(高野七口)、現存するのはここのみである。

 

 

ここから高野山の境内。

 

 

女人堂には、大日如来、役行者、弁財天が祀られている。
高野山で役行者が祀られているのは珍しい。
役行者は吉野からここまで歩いて来られたとのことである。

 

 

女人堂は写真撮影 OK であるが、今回は撮っていないので、前撮ったものを再掲する。

 

 

当初は女人堂から奥の院まで歩く予定だった。
しかし、今日は15時から高野山で聖火リレーが行われるということを聞き、密になったら困るので早めに下山するため、バスで奥の院に向かった。

 

 

 

高野山・奥の院参拝

 

女人堂は目の前にバス停があるので、そこから奥の院行きのバスに乗った。
奥の院前バス停に到着すると、まずは腹ごしらえ。
『はちよう』さんで山かけそばをいただく。

 

 

 

11:15、今日は聖火リレーがあるので、早めに下山するため、奥の院から参拝することにした。

 

 

しばらく企業墓を見ながら進む。
新明和工業さんの企業墓はロケット。

 

 

日本しろあり対策協会のお墓。「しろあり やすらかに ねむれ」

 

 

福助さん

 

 

アデランス

 

 

左右にいろんなお墓を見ながら進む。

 

 

トーヨータイヤ

 

 

ヤクルト

 

 

UCC コーヒー

 

 

パナソニックさん

 

 

馬酔木(あせび)の花が満開となっている。

 

 

お化粧した弘法大師さん。
こんなことして良いのかな。。。

 

 

もうすぐ奥の院。

 

 

水行場に到着。

 

 

御廟橋。ここから先は聖域なので写真撮影厳禁である。

 

 

奥の院で弘法大師さまを参拝してきた。

 

 

大黒天さまを参拝する。

 

 

お不動さまを参拝する。
高野山のお不動さんの御朱印は、縁日の毎月28日のみいただくことができる。
筆者はまだ高野山のお不動さんの御朱印をもっていない(泣)

 

 

帰りは戦国武将の墓を巡る。
弘法大師御廟から最も近い所にあるのは織田信長と筒井順慶の墓。
以前と比べると、きれいに清掃されていて、消えかかっていた名札も書き直されていた。

 

 

次は、豊臣秀吉の墓。
高野山焼き討ちを取りやめた秀吉は、実際に焼き討ちを行おうとした信長と違い、丁重に扱われているように見える。
信長も本能寺の変のため、結局高野山焼き討ちはできなかったのだが。

 

 

松平秀康およびその母公の墓。秀康は徳川家康の次男。

 

 

法然さんの墓が高野山にあるのも面白い。

 

 

西に進んでいく。

 

 

覗いて姿が映らないと3年以内に亡くなるという『姿見の井戸』。
今日もしっかりと自分の顔が映っているのが見えた。
筆者は高野山に来るたびに毎回覗いているが、見えなかったことは一度しかなかった。
そのときは2か月後に見ることができ、事なきをえた(^^;)

 

 

汗かき地蔵さん。
姿見の井戸はこの隣にある。

 

 

 

明智光秀公の墓。

 

 

光秀公の五輪塔は、何度修復してもすぐにひびが入り、信長の祟りだといわれている。

 

 

 

伊達政宗の墓。

 

 

上杉謙信の霊屋(たまや)。

 

 

 

空海さんの腰掛け石。

 

 

武田信玄とその息子・武田勝頼の墓。
宿敵・上杉謙信の墓とは道を挟んで反対側に安置されているのが、川中島の戦いをみているようで面白い。

 

 

奥の院参道の起点の『一の橋』が見えてきた。
奥の院ツアーはこれで終わり。

 

 

金剛峯寺

今日は金剛峯寺で用事があるので、奥の院参道を出てからもさらに西に進む。

 

 

金剛峯寺に到着。

 

 

しだれ桜が迎えてくれた。

 

 

境内に入る。

 

 

火災用に樽の中には水が入っている。

 

 

 

金剛峯寺への用事というのは、参与会に入会するためである。
参与会というのは、「弘法大師・空海のファンクラブ」らしい。
毎年1万円納めると、高野山の壇上伽藍、霊宝館、金剛峯寺の参拝料が不要になるだけでなく、輪袈裟がいただけるなど、いろいろな特典がある。
郵送でも入会できるが、せっかくなので金剛峯寺で入会してみた。

 

入会すると、早速お線香をいただいた。

 

 

参与会の輪袈裟を着用していると参拝料が不要となるのだが、この日はまだ輪袈裟がないので、領収書を見せると参拝料が無料になるとのことだった。
高野山の拝観料は2020年10月に改訂され、値上げとなったが、これが無料になるのはありがたい。
ちなみに全部見てまわると、金堂500円+根本大塔500円+金剛峯寺1000円+徳川家霊台200円+霊宝館1300円=3500円になる。

 

まずは金剛峯寺の拝観。

 

 

 

蟠龍庭(ばんりゅうてい)。石は龍を表現している。

 

 

今回、金剛峯寺を訪問したかった理由の一つは参与会に入会するためであるが、もう一つ理由があった。
それが、この襖絵を見ることだった。
千住博さんによりニューヨークで描かれたこの水墨画はNHK でも放送され、ぜひ生で見たいと思っていたのだった。
写真撮影 OK だったので、遠慮なく撮らせていただいた。
崖と滝の迫力がすごいと思った。また、少し霧がかかっているのも美しい。

 

 

空海の甥にあたる真然の御廟。

 

 

 

金剛峯寺の寺紋であり「五三の桐」と「三頭右巴」。

 

 

竈と釜

 

 

金剛峯寺の寺紋を見ながら後にする。

 

 

せっかく参与会に入会したので、博物館である霊宝館にも立ち寄った。
写真撮影はできないので、入口の弘法大師さんのみ掲載する。

 

 

壇上伽藍

高野山の本堂である金堂やランドマークである根本大塔は壇上伽藍(だんじょうがらん)という境内にある。

 

壇上伽藍の入口である中門。
このように、石垣の壇の上にいろんなお堂が立ち並んでいるので「壇上伽藍」とよばれる。

 

 

中門は四天王がにらみをきかせている。

 

 

高野山全体の本堂である金堂。
薬師如来さまが祀られている。
中に入るには500円必要だが、参与会会員は無料とのこと。

 

 

そして高野山のシンボルである根本大塔。
中には大日如来さまを中心に曼荼羅が祀られている。
ここも中に入るには500円必要。
今日はここで聖火リレーが行われるので、動線用の柵が設けられていた。

 

 

三鈷の松。
唐に留学した弘法大師が帰国する時、「さて日本のどこに修行道場を作れば良いものか?」と言って、唐から日本に向けて三鈷杵を投げたところ、海を渡ってここの松に引っかかり、そして高野山を開いたという言い伝えが残っている。
四つ葉のクローバーと同じく、ここの三葉の松を見つけて持っておくと幸せになれるらしい。

 

 

高野山の鎮守社の拝殿。
奥に本殿がある。

 

 

以前使われていた鐘楼。
今は「高野四郎」という白い鐘楼が使われている。

 

 

西塔。ご本尊は金剛界大日如来さま。

 

 

孔雀明王さまを祀った孔雀堂。

 

 

准胝観音(じゅんていかんのん)さまを祀った准胝堂。

 

 

御影堂(みえどう)。
弘法大師さまが祀られている。

 

 

六角経蔵。ぐるっと押しながら一回転すると、中のお経を読んだのと同じ功徳が得られるという。

 

 

聖火リレー用の柵

 

 

愛染明王さまを祀った愛染堂。

 

 

これは国宝の不動堂。
ここのお不動さまは秘仏であるが、中の須弥壇までは公開されたことがあるらしい。
ぜひまた公開してもらいたいものだ。

 

 

大会堂(だいえどう)。
阿弥陀・観音・勢至の阿弥陀三尊さまが祀られている。

 

 

三昧堂。
ご本尊は金剛界大日如来さま。

 

 

東塔。
ご本尊は、後白河法皇等身大の尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)さま。
脇侍は、不動明王さまと降三世明王さま。

 

 

紅葉で有名な蛇腹道(じゃばらみち)も聖火リレーの動線が設けられていた。

 

 

筆者は壇上伽藍には何度も来ているが、まだ参拝したことがないお堂があったので行ってみた。
それが智泉(ちせん)大徳廟である。
智泉は空海の甥にあたり、将来を有望視されていたが、空海より先に亡くなってしまった。
その時、喜怒哀楽を捨てたはずの空海でさえも「哀しい哉(かな) 哀しい哉(かな)」といって悲嘆したという。
壇上伽藍の裏の方にひっそりと佇んでいるので、皆さんもぜひ訪れてみてください。

 

 

14:15、そろそろ聖火リレーが始まるので、その前にバスに乗り下山した。

 

今日は、高野参詣道のうち、まだ歩いてなかった京大坂を歩いてみた。
全て舗装された道なので正直言って少し味気なかったが、しかし、ところどころ祠や史跡などを見ることができ、歴史ある道であることは確認できた。
また、参与会に入会でき、千住博さんの襖絵を見ることができ、智泉大徳廟を訪れることができ、大変満足な旅となった。

 

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