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奈良歩き その他神社仏閣

興福寺~春日大社~東大寺

奈良二日目は、興福寺から春日大社へ東に進み、若草山のふもとを通って東大寺へ。

 

 

歩行日:2021年1月3日
出発地:近鉄奈良駅(9:55)
到着地:近鉄奈良駅(15:25)
総歩行距離:18.1 km

 

 

今日のルート。
ごちゃごちゃしているが(見にくくてすみません)、奈良駅から興福寺を通って東へ春日大社へ行く。
その後、北に進み、東大寺の二月堂から大仏殿へ下る。

 

 

 

今日のスタートは近鉄奈良駅。
元旦は混んでいたとのことであったが、この日は比較的空いていた。

 

 

 

まずは興福寺へ向かう。

 

 

 

さっそく鹿ちゃんがお迎えしてくれた。
しかせんべえを200円で購入。

 

 

 

10:00、興福寺に到着。
法相宗の大本山は、興福寺と昨日参拝した薬師寺である。
開基は藤原不比等(ふひと)で、平城遷都と同じ710年。
国宝に指定された仏像の所蔵数は18件で日本一。ちなみに2位は法隆寺の17件。
今日も目の保養になりそうである。

 

 

 

境内でも普通に鹿がくつろいでいる。

 

 

 

まずは国宝の東金堂(とうこんどう)。境内の東側に建っており、東方浄瑠璃浄土を模倣している。
そのため、本尊は薬師・日光・月光の薬師三尊(重文)。
その他に、文殊菩薩坐像(国宝)、維摩居士(ゆいまこじ)坐像(国宝)、四天王立像(国宝)、十二神将立像(国宝)とすごい仏像が立ち並んでいる。

 

 

 

興福寺は多くの御朱印があるが、これは東金堂の御朱印。

 

 

 

国宝の五重塔。
解説に書かれている光明皇后とは、藤原不比等(ふひと)の娘。

 

 

 

興福寺のもう一つの本堂である中金堂(ちゅうこんどう)。
興福寺といえば火事が有名で何度も焼けることがあった。
特にこの中金堂は6度も消失・再建を繰り返している。
しばらく放置されていたが、平成30年に再建落慶が行われた。
比叡山延暦寺と興福寺は、「南都北嶺」とよばれるくらい強大で、互いに犬猿の仲であった。
この再建落慶法要に、延暦寺の天台座主が参列し「仲直りした」ということでニュースにもなった。
本尊は釈迦如来。あと、柱に描かれた14人の法相宗祖師の絵も有名。

 

 

 

南円堂。八角形の円堂で本尊は不空羂索観音。
西国三十三所の第九番札所となっている。

 

 

 

南円堂の向かいにはお不動さまが安置されている。

 

 

 

お護摩のすすで真っ黒である。

 

 

 

三重塔。これも国宝。
北円堂とともに興福寺で最古の建物。

 

 

 

興福寺のお坊さんが、猿沢池(さるさわいけ)から興福寺の良い写真が撮れるとテレビでおっしゃっていたので、隣の猿沢池に行ってみた。
確かにこの風景だけは昔から変わっていないのだろうななどと思った。

 

 

 

猿沢池の七不思議。

 

 

 

再び興福寺の境内に入る。
国宝の北円堂。本尊は弥勒如来坐像。
昨日訪問した薬師寺や唐招提寺もそうだが、弥勒菩薩ではなく如来なのは奈良仏教だからかな。

 

 

 

最後に国宝館に立ち寄り、たくさんの凄い仏像を拝観した。
代表的なものは、八部衆の中の阿修羅像。

 

 

 

興福寺を出て東に進む。
途中の奈良公園。

 

 

 

11:50、しばらく行くと、春日大社の一の鳥居に到着。

 

 

 

参道を進む。
初詣は寺より神社に行く人が多いと聞く。
興福寺はあまり人がいなかったが、春日大社にはそこそこの人が歩いていた。

 

 

 

筆者はふと立ち止まった。
ここでは鹿は人より多いので、鹿に反応したのではない(鹿ちゃんごめんね)。
その後ろの燈籠に注目したのである。
「砂糖商 大阪伊藤茂七」と書かれている。
帰宅後に調べてみると、製糖業黎明期に活躍した大阪商人で、
現在の大日本明治製糖(ばら印の砂糖)の前身の大日本製糖株式会社(日糖)成立の立役者であった。
これだけの燈籠を建てるのだから、豪商だとは推測できたが、ここまでの人物だとは想像できなかった。

 

 

 

春日大社の二の鳥居。

 

 

 

手水鉢は鹿ちゃん(伏鹿手水所(ふせしかのてみずしょ))。
春日大社本殿をお参りする際の正式な作法としては、あらかじめこの手水舎で身を清め、
隣接する祓戸神社でも罪・穢れを取り払った上で参拝する。

 

 

 

楼門(南門)。結構混んできた。

 

 

 

本殿。
春日大社は全国に約1,000ある春日神社の総本社。
ご祭神は春日神(たけみかづち、ふつぬしのかみ、天児屋命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ))であり、藤原氏の氏神である。

 

 

 

春日大社の御朱印。三が日は書置きとなっている。

 

 

 

参拝を終えたので、次は東大寺方面へ向かう。

 

 

 

春日大社が一番人が多かったが、それでもこの程度で、特に問題はない。

 

 

 

若草山の横を歩く。
今月の23日には、春の訪れを告げる、有名な山焼きが行われる。

 

 

 

てくてく歩く。

 

 

 

東大寺の隣にある手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)。
749年、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された。
もともと、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治初期の神仏分離の際に東大寺から独立した。
ご祭神は応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇。

 

 

 

さて、12:40、東大寺境内に入る。
東大寺といえば、大仏とお水取りが行われる二月堂が有名だが、
お不動さまもいらっしゃるのです。
これは東大寺の不動堂。
お堂の中も自由に入ってお不動さま不動明王を拝観することができる。

 

 

 

不動堂の鬼瓦。

 

 

 

隣で御朱印もいただける。
五大明王が祀られているので、「五大力尊」と書かれている。

 

 

 

三月堂。本尊は不空羂索観音。

 

 

 

四月堂。本尊は騎象の普賢菩薩。

 

 

 

これは二月にお水取りが行われる二月堂。
本尊は十一面観音さま。

 

 

 

お水取りで使われる松明。

 

 

 

火のついた松明を持ってこの階段を駆け上がってくる。

 

 

 

閼伽井屋。

 

 

 

念仏堂。本尊はお地蔵さま。

 

 

 

国宝の鐘楼。梵鐘(ぼんしょう)も国宝である。

 

 

 

大仏殿の中門まで下りてきた。
兜跋(とばつ)毘沙門天と持国天が祀られている。

 

 

 

大仏殿。
この辺りまで来ると人が増えてくるということは、多くの人は大仏さんだけ見て帰っているということか。
何とももったいない気がするけどなあ。

 

 

 

大仏さん。正式には廬舎那仏(るしゃなぶつ)。

 

 

 

脇侍は虚空蔵菩薩さまと如意輪観音さま。

 

 

 

四方を守護する広目天。

 

 

 

筆者は、四天王を見るときは邪鬼の踏まれ方に注目する。
うーむ、良い踏まれ方をしている(笑)

 

 

 

増長天さまは頭部のみ。踏まれている邪鬼を見れないのは残念。

 

 

 

多聞天(=毘沙門天)さま。

 

 

 

踏まれている邪鬼。邪鬼に同情してしまう筆者である。

 

 

 

持国天さまも頭部のみ。

 

 

 

観光客が必ずくぐる「柱の穴くぐり」は現在封鎖されている。

 

 

 

大仏殿を出る。

 

 

 

大仏さんの実物大の手。

 

 

 

そして筆者が東大寺で一番好きな南大門の仁王さま。
運慶・快慶作のこれらの金剛力士像は本当に圧倒される。
凄いのひとこと。

 

 

 

南大門。

 

 

 

東大寺は華厳宗の総本山。

 

 

 

14:40、東大寺を満喫し、遅めの昼食をとる。
「和風レストラン三山 (みやま)」さんで。

 

 

 

空腹を満たし、奈良駅へ向かって帰宅。

 

 

二日連続で奈良の古刹を訪れたが、さすがに歴史は京都以上のものがあると感じた。
これは小乗仏教と大乗仏教の差だろうか。
戦(いくさ)で考えると、京都は応仁の乱という大きな戦があり、京都市内が壊滅状態になったが、奈良にはそこまで大きな戦はなかったためだろうか。
それとも興福寺が守護職を務めていたため、統治機能がしっかりしていたためだろうか。
(その興福寺は何度も火事に遭っているのだが。)

いずれにせよ、奈良と京都は何が違うのか言葉では言い表せにくいのだが、見ると違いが分かるのである。この「違い」を見つけるため、今後も歩いていこうと思う。

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