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熊野三山

熊野詣-補陀落山寺編

熊野詣-熊野那智大社と那智の滝編の続きです。

 

「補陀落(ふだらく)」というのは、観音菩薩が住む山のことを意味し、南インドにあると伝説的に信じられている。

平安時代から江戸時代にかけて、僧侶が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った儀礼として「補陀落渡海」が知られている。

補陀落渡海は片道切符であり、一度出発すると二度と陸地に戻ってくることはない。

この捨て身の荒行で知られるのが、今回訪問した補陀落山寺である。

 

 

補陀落山寺の位置。
那智の滝から車で15分ほどの距離。
JR 那智駅あるいは「道の駅なち」からは徒歩で行ける。

 

 

補陀落山寺の本堂。

 

 

ご本尊は十一面千手千眼観音さま。
秘仏で拝見することはできないが、内陣まで入ることができるので、お不動さまなど他の仏様は見ることができる。
また、前回訪れた時は、500円を納めることで、秘仏の観音さまを見させていただけたので、お寺の人にたずねてみるのも良いだろう。

 

 

補陀落山寺の御朱印。「圓通殿」

 

 

ここは、補陀落渡海発祥の地。

 

 

 

補陀落渡海船のモデルを見ることができる。
この渡海船の上に立つ4つの鳥居は「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の四門を表わしている。
補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われたそうである。

 

 

この中に人一人が 30 日分の食料と灯火のための油を載せて入る。
その後、入口を釘で閉ざしてから航海に出発するという凄まじい荒行である。

 

 

平安時代から江戸時代にかけて、20数回の補陀落渡海が行われたとのことである。
平安から鎌倉までは本気で補陀落往生を求めて渡海していたようであるが、室町時代以降は儀式化したようで、補陀洛山寺の住職は60歳くらいになると、渡海する慣わしになっていたとのことである。
そして、その年を過ぎても渡海しない場合は信者に後ろ指を指されたという。
江戸時代には生者の渡海は行われなくなり、代わりに補陀洛山寺の住職が死亡した場合、あたかも生きているかのように扱って、かつての補陀落渡海の方法で水葬を行うようになった。
いずれにせよ、この時代は、即身仏(ミイラ)もそうであるが、捨て身の行が尊ばれていたことが分かる。

 

 

観音さまとお地蔵さま

 

 

補陀落山寺の隣に熊野三所大神社という社があったので参拝する。
熊野三所権現を祀っている。
元「浜の宮王子」であったため、浜の宮大神社ともよばれる。
熊野九十九王子のひとつで、三つの熊野古道、中辺路・大辺路・伊勢路の分岐点となっていた。
那智山参拝前にはこの王子で潮垢離(しおごり)を行って、身を清めたといわれている。

 

 

このお寺、須弥壇の荘厳さに圧倒されるし、お寺の人も大変親切にご説明いただけるので、那智を訪問の際にはぜひ補陀落山寺にもお立ち寄りください。
舟に乗り込むときはどんな気持ちなんだろうなどと想像しながら補陀落山寺を後にした。

次は、熊野詣-神倉神社編に続きます。

 

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