高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)は今から 1,200 年前に弘法大師・空海によって開基された真言宗の総本山である。
高野山全体が金剛峯寺の境内であり、比叡山延暦寺(天台宗)と並んで平安仏教の中心地となっている。
一月の高野山は寒さが厳しいのではとも思ったが、それもまた一興であると考え、行くことにした。
歩行日:2019年1月12日
出発地:南海橋本駅(09:40)
到着地:南海橋本駅(18:40)
総歩行距離:13.1 km
高野山へは公共交通機関を使うとなると、通常、ケーブルカーで行くことになるのだが、
現在ケーブルカーは新造のため、2019年2月末まで運休している。
そのため、橋本駅から高野山大門近くの大門南駐車場まで臨時シャトルバスが運行している。
橋本駅から大門南駐車場まではバスでおよそ1時間ほどで、11時前に着いた。
この辺りは雪が舞っていた。
大門南駐車場の全景。連休といえども、この天気ではさすがに参拝客は少ないようだ。
さあ、いよいよ出発!
大門の方に向かって道路を歩いていると、「お助け地蔵尊」の看板が見えたので寄り道する。
石段を上ると、地蔵尊があった。
お地蔵さんに旅の安全を祈願する。
この辺りは「女人道」とよばれる。
高野山は明治初めまでは女人禁制だったため、女性は山内に入れず、そのため各入り口には「女人堂」が設けられ、
女性は外から参拝できるようになっていた。
女人堂どうしをつなぐ道が女人道である。
現在では、ケーブル高野山駅近くの不動坂口付近の女人堂のみが残存している。
本日は雪のため、女人堂へ行くのは断念した。
女人道の道しるべ。大門の方へ向かう。
滑るのを注意しながら、道を北に進む。
5分ほど行くと、大門が見えてきた。
高野山の入口にあたる大門(仁王門)。
金剛峯寺の山号はもちろん「高野山」。
金剛力士のうち、口を開けている方は阿形(あぎょう)さん
こちらは口を閉じているので、吽形(うんぎょう)さん
大門から北の方向に見える鳥居は弁天岳の登山口。
今日は登らずに東へ進む。
大門をくぐって東へ進む。
高野山中にはホテルがなく、泊りがけの参拝客は全て宿坊に宿泊することになる。
沢山の宿坊があるが、この西南院もそのような宿坊のひとつ。
高野山の塔頭寺院(たっちゅうじいん)であり、写経や朝のお勤めなども体験できる。
高野山名物ごま豆腐とゆるキャラの「こうやくん」
さらに東へ進む。
中門に着いた。
これをくぐると、奥之院と並ぶ、高野山の中心地である壇上伽藍(だんじょうがらん)に行ける。
ご覧のように、この辺りの建造物は全て石段の上に建てられている。
石段の上の伽藍ということで壇上伽藍と称される。
中門は金剛力士ではなく、四天王が守っている。
この仏さんは、手に塔(宝塔)を持っているので多聞天(たもんてん、別名・毘沙門天(びしゃもんてん))。
刀を持っておられるのは持国天(じこくてん)。
四天王は邪鬼(じゃき)を踏みつけたものが多い。
持国天に踏みつけられた邪鬼。
少しかわいそうな気もするが。
これは矛を持っておられるので、増長天(ぞうちょうてん)。
これは現代の大仏師・松本明慶師の作。
どこかで見たことがあると思ったら、このブログでも取り上げた宮島・大願寺の不動明王大仏も師の作。
増長天に踏みつけられた邪鬼。
筆と経巻を持っているので、広目天(こうもくてん)。これも松本明慶師の作。
広目天に踏みつけられた邪鬼。
広目天像と先ほどの増長天像は平成27年に西宮・門戸厄神(もんどやくじん)から寄進された。
長くなったが、中門をくぐると、高野山の本堂である金堂(こんどう)に到着する。
本尊は阿閦如来(あしゅくにょらい)。
金堂の中は200円で拝観できた。
六角経蔵。出っ張り棒を押して、一周回転させる。
山王院(さんのういん)。高野明神を祀った御社の拝殿。
高野山を祀った御社。
現役引退(?)の鐘楼。
西塔。本尊は大日如来。
孔雀堂の中の孔雀明王。
根本大塔(こんぽんだいとう)。高野山のランドマーク的存在。
三鈷の松と拾った三葉の松の葉。
日本で四番目に大きい梵鐘のため、高野四郎とよばれる鐘楼。白鐘楼ともよばれる。
高野四郎の横では御朱印をいただけた。
少し雪をかぶった愛染堂。
阿弥陀如来を祀る大会堂(だいえどう)。
壇上伽藍の中で唯一の国宝である不動堂。
東塔。
拝観順序を間違えたのか、ようやく手水舎に着いた。これも鐘楼と同じく白色。
壇上伽藍を後にする。
しかし、この参拝口の近くに手水舎があったということはこちらから入るのが正しいのかな。
でも、雪の足跡は、筆者と同じく東に向いてるのが多いのでこれで良しとしよう。
少しややこしいが、高野山は山全体が総本山金剛峯寺であり、その中に金剛峯寺というお寺が存在する。
しばらく東に歩くと金剛峯寺に着いた。ワンちゃんが出迎えてくれた。
手水舎。
金剛峯寺の玄関。ここの拝観料は500円。
鐘楼。袴腰付入母屋造り(はかまごしつきいりもやづくり)の構造。
こうやくんの出迎え。
蟠龍庭(ばんりゅうてい)。全体で見ると、雲海の中で龍が向き合っているように表現されているらしい。
ただここに映っているのはほんの一部であり、庭はまだまだ広いので、縁側からでは分からなかった。
新別殿(しんべつでん)。
以前来たときはここで法話を聞くことができた。
今日は参拝者の休憩所となっていた。
寒かったので、温かいお茶のご接待がありがたかった。
新別殿に置かれていた「鎮魂の松」。高田松原の松。
引き続き蟠龍庭を見ながら歩く。
金剛峯寺の台所。
食物保管庫。棚の上部に和紙を張ってネズミの侵入を防ぐ。ネズミ落としとよぶらしい。
二石釜。この釜三個で280キログラムのご飯が炊ける。
金剛峯寺を後にする。
さらに東へと進む。
見えてきたのは、ビルマ戦没者供養塔。中では戦時中のビルマ(現ミャンマー)の資料をみることができる。
苅萱堂(かるかやどう)。
苅萱童子の話を紙芝居的に読み進んでいける。
個性のあるお坊さんがおられます。
さて、高野山の二大聖地といえば壇上伽藍と奥之院。奥之院とは弘法大師が入定(にゅうじょう)されている場所のこと。
その奥之院の入口がこの「一の橋」である。
ここまでは、道路脇に土産屋や食事処が並んでいたり、バスや車が走っていたりと、観光地らしさがあったが、
ここからは二十万基を超える墓の間を歩いていく、なかなかシュールな空間となっている。
ここから弘法大師・御廟(こうぼうだいしごびょう)までおよそ 2km 歩くことになる。
一の橋からの風景。
では、進むとしよう。
薩摩・島津家の墓所。この参道は名だたる大名や武将の墓が数多く安置されている。
弘法大師御廟へ向かって、さらに進む。
大名や武将だけでなく、企業墓が置かれているのも特徴である。
企業墓については、各企業にとってタブー視されていることも多く、ブラタモリなどのテレビでもなかなか紹介されない。
ここは個人のブログなので、しがらみもなく、どんどん紹介しようと思う。
これはグリコの墓所。
暴れん坊将軍・徳川吉宗公の墓所。
北条氏の墓所。豊臣秀吉に降伏した小田原城城主・北条氏直は高野山に送られている。
蝦夷地・松前藩の墓所。
風林火山・武田信玄とその息子・勝頼の墓所。
筆者お気に入りの武将である、長尾景虎こと上杉謙信のたまや。
ライバルであった武田信玄の墓所とほど近い場所にあるのも何かの所以か。
弘法大師の腰かけ石。
座った石でさえ、パワースポットになってしまうのが空海さんのすごいところ。
豊臣秀吉に仕えた徳島・蜂須賀家の墓所。
関ケ原の合戦で徳川家打倒を果たせなかった石田三成の墓所。
このブログでも、妙心寺や比叡山の箇所などで頻繁に登場する明智光秀公の墓所。
徳川家康の忠臣・本田忠勝の墓所。
市川團十郎の墓所も。代々の墓かどうかは不明。
さらに進むと、汗かき地蔵と姿見の井戸に着いた。
ここからは少し怖い話となるので、苦手な方は写真を数枚読み飛ばしてくださいね。
汗かき地蔵。
姿見(すがたみ)の井戸。
井戸をのぞきこんで自分の姿が映らなければ、三年以内に亡くなるらしい。
筆者ものぞいてみたが、ちゃんと映りました。
企業墓であるパナソニックの供養塔と松下幸之助の石碑。
雰囲気のある道をさらに進む。
お不動さん
太閤・豊臣秀吉の墓所。秀吉は信長に引き続き、高野山を攻めようと考えていたが、思いとどまった。
織田信長の墓所。
比叡山に続き、高野山も焼き討ちしようと考えていた信長だったが、その前に本能寺の変により討ち死にした。
自身を攻めようとした信長の墓を建てるのは、高野山の懐の深さからか。
ただ、さすがに豊臣秀吉の墓ほど立派ではないが。
そういえば、比叡山延暦寺も信長の供養をしていると聞いたことがある。
横は信長の忠臣である筒井順慶の墓所。
やがて着いたのが御廟橋。奥に見えるのが燈籠堂で、さらにその先に弘法大師の御廟がある。
ここから先は聖域なので脱帽かつ撮影禁止。
弘法大師にお参りを済ませ、御朱印をいただいた。
ここにもお不動さんが。
奥之院を後にし、別の道で戻ることにする。
これはキリングループの企業墓。
なぜか親鸞上人の墓所も高野山にある。
さらに戻る。
ヤクルトの企業墓。向かって右にはヤクルトがのっている。
これはアデランスの企業墓。
お墓にロケットがあるのはここだけでは?
新明和工業株式会社さん。
奥之院参道入口まで戻り、遅めの昼食は「はちよう」さんで。
この近くに「高野山大霊園」があり、そこに筆者の母校の供養塔があるはずなので行ってみる。
何せ高校生のときに行ったきりなので、三十年以上たっている。
数多くの墓の中から見つかるか不安であったが、何とか見つけることができ、般若心経を唱えておいた。
この霧の中、よく発見できたものだ。これもお大師様のお導きか。
池は半分凍っていた。
来た道を戻ると、すでに灯籠には灯がともっていた。
なかなかに幻想的な雰囲気である。
バスまで時間があったので、どこかで休憩をとろう。
見つけたのが「光海(こうみ)コーヒー」さん。
ここのコーヒーは何と生卵を入れて飲むとのこと。
筆者も早速試してみた。
生卵をかき混ぜればミルクコーヒーのようにも見える。
まろやかで美味しかった。
話を聞くと、ここの女将さんは高野山がたいそうお気に入りで、得度までしてしまったとのこと。
僧名は「光海(こうかい)」さんとおっしゃり、そこから光海(こうみ)コーヒーという名前を付けたとのことであった。
滝で修行もなされているらしく、何ともすごい人がいるものだと思った。
17:12発の大門南行きのバスに乗り、そこから橋本駅行きのシャトルバスに乗った。
南海橋本駅に到着。帰路に着いた。
最初は何もなかったはずの山奥にこれだけ多くの伽藍、というか町を建てたものだと感心した。
特に今日は雨と雪と霧ということもあって、幻想的な雰囲気の中歩くことができた。
女人堂や大師教会など、まだまだ見ていない箇所も多いのでいずれ再訪しよう。
今日のルート。