昨今の真夏の気温は尋常ではなく、正しく暴力的な暑さである。
高野山は通常、真夏でも25度程度と過ごしやすく、大阪からの避暑には最適なのだが、
その高野山でも今年は30度を超えているとの話を聞き、なかなか参拝できずにいた。
8月も終わりに近づき、ようやくマシになってきたと感じたため、久しぶりに参詣することにした。
高野山に向かうのは2月以来なので、半年ぶりとなる。
歩行日:2020年8月29日
出発地:南海電車・極楽橋駅(07:45)
到着地:南海バス・奥の院前バス停(13:00)
総歩行距離:14.2 km
本日のルート。
本当は九度山駅から町石道を 25km 歩こうと考えていたのだが、
今日は午後から土砂降りの雨になるとの予報だったので、早めに高野山に到着する必要があり、
そのため極楽橋駅まで電車で行き、そこから歩くことにした。
もともと、九度山から 25km を歩く予定にしていたので、早朝自宅を出発し、
南海電車・なんば駅には 5:50 に着いた。
橋本駅には 6:50 に到着し、ここで極楽橋駅行きに乗り換える。
極楽橋駅行き普通列車の車内。空いていて快適である。
車窓からの風景。午後から雨が降るとは信じがたいほどの良い天気。
極楽橋駅には 7:45 に着いた。
この駅の付近には民家もお店もなく、降車した乗客は皆ケーブルカーに乗って高野山に向かった。
筆者だけが、徒歩で向かうため、駅を降りる。
路地裏のような改札口。
さて出発とする。ここから高野山の入口にあたる女人堂まではおよそ 3.5km ひたすら登っていく。
駅名にもなっている極楽橋。
京大坂道も、町石道(ちょういしみち)や黒河道(くろこみち)と同じく、古くからある高野山参詣道である。
京大坂道はずっと下りていくと、南海・学文路(かむろ)駅まで行ける。
お地蔵さんに道中の安全を祈願する。
道中、このような石柱がたくさん建っており、古道であることを偲ばせる。
この付近は既に標高530mくらいなので、麓よりは涼しい。
紀伊山地はツキノワグマ生息地であり、年に1,2回はクマ目撃のニュースを聞く。
筆者はこの道を 5 回歩いたことがあるが、いろは坂は歩いたことがない。
今日は舗装道を外れ、山道となる「いろは坂」を歩くことにした。
急登のつづら折りとなっており、昔の人は「い・ろ・は」と数えながら上ったことからいろは坂とよばれる。
涼しいとはいえ、さすがに汗が滴り落ちてくる。
刑場跡であり、罪人は手足を縛られ、ここから突き落とされたとのこと。
そして生存していれば釈放されたというのだから、罪人とはいえ人権も何もない時代だわ。
この付近にはかつて不動堂が建っていたとのこと。
今は「清不動」という名で移転されているので後で訪れる。
南無大師遍照金剛。空海さんもこの道を通ったのかな。
清不動堂が見えてきた。
8:30、清不動堂(きよめのふどうどう)に到着。大正9年に外不動からここに移築された。
さらに上っていく。
お不動さんとお地蔵さん。
少し進むと車道に出た。
9:05、女人堂(にょにんどう)に到着。
高野山は明治初期まで女人禁制であった。
そのため、高野山へ向かう7つの参詣道(高野七口)の各入り口には女人堂とよばれるお堂を建て、
女性は弘法大師御廟を拝みたいと女人堂から女人堂へと歩いて拝んだ。
これらの道は女人道とよばれる。
現存する女人堂はここだけであり、残りは跡地となっている。
大日如来、弁財天、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ;役行者のこと)が祀られている。
高野山で役行者(えんのぎょうじゃ)が祀られているのは珍しい。
修験の聖地・吉野から高野山へも向かわれていたのだろう。
女人堂の向かいにはバス停があり、その奥にある石段が女人道なので、そこを歩く。
この道を行くと、山頂の弁天岳を経て、高野山の入口である大門へ行くことができる。
女人道を進む。結構な急坂である。
鳥居が見えてきた。
9:45、弁天岳山頂に到着。「オン ソラソバテイエイ ソワカ」と弁天さんにご挨拶。
標高は 984m。
かつらき町の街並みが見渡せる。
さて、ここから大門に向かう。
途中、高野山高校と根本大塔が見えた。
コガネムシは金持ちだ~
10:15、大門に到着。筆者はこの門をくぐって、始めて高野山に来た気分になれる。
阿形さん。
吽形さん。
境内に入る。
といっても、境内の中に警察署も消防署も役所も郵便局も学校もコンビニもあり、
一つの町を形成している。
皆、避暑を求めてなのか、そこそこに渋滞している。
10:40、壇上伽藍の入口となる中門に到着。
この中に高野山の本堂である金堂や、シンボルである根本大塔が建っている。
金堂。本尊は薬師如来。
根本大塔。中には二種の曼荼羅があり、大日如来が祀られている。
手前は「こうやくん」。
筆者のブログでいつも紹介する三鈷の松。
今日は競争率が激しく、三葉の松を見つけることはできなかった。
このブログのメインテーマはお不動さんを探すことなので、不動堂にはちゃんとお参りしておかないといけない。
これは国宝である。
東に進む。この辺りは秋には紅葉がきれいな場所。
金剛峰寺を通り過ぎる。
予報通り、少し曇ってきた。
奥の院参拝の入口となる一の橋。合掌と一礼をして中に進む。
ここから 2km 歩くと弘法大師御廟に行ける。
御廟から壇上伽藍への道も町石道とよばれており、このように町石が110mおきに建てられている。
ここはいつ来ても、心が洗われる気持ちになれる。
武田信玄公とそ息子・勝頼公の墓所。
奥に立派な五輪塔が見える。
その向かいには上杉謙信公廟がある。武田・上杉の墓がこんなに近くに建っているのも面白い。
あちらの世界では酒を酌み交わしているのだろうか。
豊臣秀吉に最期まで忠誠を誓った不運の武将・石田三成。
いつか佐和山城跡にも行きたいなあ。
そして光秀公の墓所。
やはり五輪塔石にヒビが入っている。信長の恨みというが。
汗かき地蔵さんと姿見の井戸。
前回は井戸に自分が映らなくて焦ったが、今日は無事に映りました。
これであと3年は大丈夫(^^)
名立たる武将は五輪塔を建て、供養することができる。
しかし、そうではない一般農民にとっても高野山は自分の死後供養してもらいたい場所であることに違いはなく、
そのため無名の一輪塔がそこかしこに見受けられ、その人たちに思いを馳せてみた。
筆者も次回高野山に来るときは石を持ってこようか。
お不動さん。
そして、これ。
化粧地蔵といって、参拝すると女性がきれいになれるというが、、、
この仏さん、右手に三鈷杵を持って、左手に数珠を持っておられる。
つまり、お地蔵さんではなく、弘法大師・空海さんではないか。
ああ、おいたわしや~
12:10、御廟橋に到着。
奥に見えるのは燈籠堂で、さらにその奥に弘法大師御廟がある。
ここから先は撮影禁止。
御廟への参拝を無事に終えた。
燈籠堂の地下へも普段は行けるのだが、コロナ禍の影響で立入禁止となっていた。
御朱印をいただく。
お不動さんにもご挨拶。
奥の院を後にする。雨は何とか大丈夫だった。
筆者の家は浄土真宗なので、親鸞さんにもご挨拶。
高野山を後にする。
そういえば朝から何も食べていなかったので、親子丼と冷やしうどんをいただいた。
奥の院前バス停からバスに乗り、ケーブルカー高野山駅からケーブルカーに乗って帰宅。
さすがに平地と違い、25度前後で高野山境内は涼しかった。
コロナのせいで燈籠堂地下に行けなくなっていたのは残念であり、疫病退散を祈願しておいた。
次回はがんばって町石道を歩こうか。