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西国三十三所 大阪歩き

西国街道をゆく西国三十三所巡り 総持寺&勝尾寺

西国三十三所は全て、観世音菩薩(観音さん)を本尊とする寺院であり、前回訪れた長命寺もそのうちの一つ(第三十一番札所)である。
本日は大阪府北部(北摂)に位置する二つの寺院、総持寺(第二十二番札所)と勝尾寺(第二十三番札所)を訪れた。
二寺間は西国街道を経由したが、西国街道沿いも見どころ満点であった。


歩行日:2018年12月23日
出発地:JR総持寺駅(7:40)
到着地:勝尾寺(16:30)
総歩行距離:19.2 km

JR茨木駅に立つ看板。
後でも出てくるが、川端康成は尋常小学校時代を茨木で過ごした。

本日の出発地はJR総持寺駅。2018年3月に開業したばかりで駅舎も真新しい。
近くに阪急電鉄の総持寺駅があるので、この駅は駅名に「JR」が付く珍しい駅だ。

JR総持寺駅から北東に進み、清風会茨木病院の横を通ると、総持寺への参道に行ける。

JR総持寺駅から10分弱で総持寺に到着した。

総持寺は西国三十三所の一つで、二十二番札所。宗派は高野山真言宗。

総持寺を開基したのは藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)。
山蔭の父・高房は、以前いじめられていた亀を助けてやったことがあった。
その後、山蔭卿が幼き頃に淀川で溺れているのをその亀に助けられたことから「亀の恩返し」となった。
総持寺の本尊は千手観世音菩薩である。ふつう、観音さんは蓮の上に乗っていることが多いのだが、
総持寺の観音さんは亀の上に乗っておられる。
この石碑も亀の上に乗っている。総持寺の山号は「補陀洛山(ふだらくさん)」。

ガオーッ

石段の上に山門(仁王門)が見える。
そもそも北摂の寺院でこのような山門があるのは三つだけで、他の二つは久安寺(池田市)と午後から訪れる勝尾寺(箕面市)。

 阿形(あぎょう)の金剛力士。

吽形(うんぎょう)の金剛力士。

山門をくぐると正面に本堂が見える。

手水舎(ちょうずしゃ)。都会の寺らしく、自動で水が出るハイテク機構を備えている。

お釈迦さんの弟子の一人である賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。
古来より病気やケガを持つ人が、自らの患部と同じところを撫でると治るといわれている。

本堂。地震と台風の影響で甚大な被害を受けていた。

本尊は千手観音。亀の上に乗っておられる。

江戸時代に建立された鐘楼(しょうろう)。

閻魔(えんま)大王が祀られた閻魔堂。これも亀の甲羅の上に建てられている。

亀さん

これも亀さん。ガーッ。

開山堂(別名包丁式殿)。毎年四月に寺を開いた藤原山蔭にちなんだ山蔭流包丁式が開かれる。
料理人の信仰も厚いのだとか。

金堂。ふつう金堂というと本堂のことを指すことが多いのだが、総持寺では本堂とは別に金堂がある。
本尊は薬師如来。

宝蔵は校倉造(あぜくらづくり)。

鎮守社。大黒天、弁財天、庚申(こうしん)が祀られる。神社らしく、屋根はこけら葺(ぶき)。

ぼけ封じの観音さん。
また、この観音堂では西国三十三所と四国八十八ヵ所のお砂踏みができ、お遍路さんと同じご利益を賜れる。

弘法大師・空海を祀った大師堂。しかし、台風の影響で大変なことになっていた。

寺務所。総持寺はいろんな札所になっている。
ぼけ封じの札所なんていうのは初耳だった。

西国三十三所では遍路のかたわら、各寺院ゆかりの甘味物を購入することができ、
「スイーツ巡礼」とよばれている。
総持寺のスイーツは「亀の恩返し」。

総持寺を出て、来た道を戻る。

JR京都線をくぐって少し北に進むと疣水磯良神社(いぼみずいそらじんじゃ)に着いた。

御神水「疣水」はイボ取りだけでなく、種々のご利益があるとのことで、ペットボトルに汲みに来る人がいた。

本殿。本日の歩行の安全を祈ろう。

疣水神社を出て北に進むと、国道171号線(通称イナイチ)に出る。西河原の交差点。

西河原交差点の北西の角にあるのは新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)。
この日は初詣に備え、しめ縄が取り換えられていた。

新屋坐天照御魂神社のご祭神は天照大御神。新屋坐天照御魂神社は茨木市内に三か所あるとのこと。
先ほど訪れた疣水神社もかつてはここの分社であった。

新屋坐天照御魂神社を出て、さらに北に進むと、左手には西河原公園が見える。

右手にはかつての東芝大阪工場跡地に追手門学院大学の新キャンパスが建設されていた。
2019年4月開設とのこと。

西国街道に到着。西国街道は京都・東寺から西宮までを結ぶ旧街道であり、
かつては参勤交代の大名がこの道を通って、九州や四国から京都さらには江戸まで向かっていた。

旧街道沿いらしく、蔵のある屋敷が立ち並んでいる。
昔の大地主だと思うのだが、同じ苗字の表札がずっと続くのも特徴的であった。

西国街道の案内板。

安威川

安威川を渡ると西国街道は名神高速道路と交差する。

立派な松の木

阿為神社御旅所(あいじんじゃおたびしょ)。御旅所とは祭礼の際に本宮から出た神輿が仮にとどまるところ。
本宮はここから1.5km北にある。

幣久良橋(てくらばし)が見えてきた。

ここの茨木川(勝尾寺川)一帯では元亀二年(1571年)に激しい合戦があった。
中川清秀はここで活躍し、織田信長方の和田惟政を討ち取った。
しかし、中川清秀は最終的には織田方に寝返り、豊臣秀吉の家臣となる。

西国街道を西に進むと道標と案内板が見えてきた。

中川清秀はこの中河原付近で生誕した。

交通の要衝らしく、石のみちしるべがある。

さらに西へ進む。

西国街道は国道171号線と交差する。

この辺りの地名は宿川原。

街道を西へ進む。

この辺りの西国街道は茨木街道とよぶらしい。

少し進むと郡山宿本陣(椿の本陣)に到着した。
西国街道は奈良時代より重要な道として存在しており、江戸時代には参勤交代の大名の宿場として栄えた。
宿本陣とは大名などの高位の人のみが宿泊を許される宿場のこと。
当時、京都・東寺から西宮の間には山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の五つの宿本陣があったが、
現存するのはここだけである。
今でも当主が住まれているが、春と秋には一般公開される。

台風の影響で見学はできなくなっていた。

宿帳も残っており、各大名や忠臣蔵で有名な赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が宿泊したことが判明している。
また、明治天皇もお立ち寄りになったとのこと。

郡山宿本陣は別名「椿の本陣」とよばれている。後ろに見えるのは椿の木。

宿本陣を過ぎてさらに西へ進む。

豊川・春日神社の参道に到着した。
春日神社は藤原氏の氏神を祀った神社であり、おそらくこの辺り一帯を藤原氏が支配していたのだろう。
今回の旅で三つの春日神社を訪れることになった。
全国に3000ある春日神社の総本社が奈良の春日大社である。

豊川四丁目(道祖本(さいのもと))はいわゆる同和地区であり、昔でいう隣保館などがある。
また、どうも多文化地区のようであり、コリア学園やモスクなども存在する。

さらに進むと大阪モノレール・豊川駅に着いた。

ここから西国街道を少し逸れて、北に進む。

着いたのが茨木市立豊川小学校。
最初の写真でお見せしたように川端康成は茨木ゆかりの偉人であり、この豊川尋常小学校で学んだ。
康成は18歳まで茨木に住み、茨木中学校(今の茨木高校)を卒業している。
また、「世界は一家、人類は皆兄弟」でおなじみの笹川良一と川端康成は同じ明治32年生まれで、
共にこの学校で学んでいる。

豊川小学校から西へ進み、モノレールの高架橋をくぐると、清水・春日神社(元・須久久神社)の鳥居に着く。

その横には「月の清水」跡の石碑。
清和天皇が勝尾寺に行幸の際、村人が神社前の井戸(山の井)に桃の花を飾って歓待したところ、
天皇は大層お喜びになり、「月の清水」と命名された。

春日神社の参道

2010年に火災で焼失したが、2012年に再建された本殿。
ご祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)であり、藤原氏の祖先といわれている。

清水の春日神社を出て、南に進み、国道171号線を横断し、再度西国街道に戻る。
ここは「小野原・春日神社御旅所」

小野原・春日神社の御旅所。
中央に二つある石座は、秋祭りのときに神輿を置く台座。

御旅所を過ぎると、次に「楠水龍王(くすすいりゅうおう)」というお堂に着いた。
楠木正成が兵庫・湊川(みなとがわ)の戦いに赴く際、ここの井戸水を大層美味いと言って飲んだと伝えられている。
現在でも井戸はあるらしいが、個人宅となっている。

楠水龍王の前には「左・京ふしみ」と書かれた道しるべ。

西国街道を西へ進む。

こっぺぱん屋「こぺてりあ」があったので、本日のランチをとる。



注文したのはメンチカツこっぺぱんと「セレブのミックスジュース」

ランチ後、西国街道を少し進み、そこから南に外れると小野原・春日神社に到着する。

小野原・春日神社の主祭神も藤原氏の氏神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)。

手水舎(ちょうずしゃ)

拝殿が見える。

途中、小野原で生まれた笹川良一の石碑があった。
「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛」 笹川良一

拝殿に到着した。
拝殿の鈴緒にも笹川家寄贈と書かれており、この付近の笹川氏の影響力の強さを示している。

ここにも笹川良一の名前が。

春日神社を出て、西国街道に合流しようと歩いていると、屋敷の裏戸に笹が描かれていた。

目立つ色彩の屋敷であるが、ここにも「笹川」の表札があった。
とにかく、あちらの屋敷もこちらの屋敷も「笹川」と書かれてあり、圧倒された。

常夜灯(じょうやとう)。江戸時代、疫病の流行を抑えるのを祈願して建立されたもの。

少し進むと勝尾寺鳥居に着いた。
奥に見える信号の場所は国道171号線。

ここから勝尾寺参道が始まるのだろうが、勝尾寺まではまだ4kmもある。
筆者はここから勝尾寺に向かうが、西国街道をさらに西に進むと赤穂浪士で有名な萱野三平の旧邸がある。

国道171号線の勝尾寺口交差点
 

国道171号線を渡って北に進むと、石の道標があったが、年季が入っており、もはや解読不能であった。

途中、帝釈寺に立ち寄る。
帝釈寺の山号は宝生山。宗派は高野山真言宗。
清和天皇が勝尾寺に行幸の際、ここにお立ち寄りになり、「勝尾寺を内院と表し、ここ帝釈寺は外院と称す」と給った。
今でもこの辺りの地名は「外院(げいん)」という。

帝釈寺の鐘楼。

水掛け不動さん

愛らしい観音さん

本堂。本尊は帝釈天であり、脇侍(きょうじ)には弁財天と毘沙門天が安置されている。

帝釈天降臨の松の木

帝釈寺を出て、北に進み、外院二丁目の交差点に来た。
ここから登山道に入る。

北に進む。

途中、通行止めかと思って肝を冷やしたが、イノシシ止めの柵であった。

ウツギ谷ルートで登る。

山道に入ると、急激に気温が下がってきた。

ここも台風の影響で倒木が散乱している。
GPSかコンパスがないと道に迷うだろうと思った。

「左・大坂」のみちしるべ

これは現代版のみちしるべ

平坦な道を進む。

しらみ地蔵。高さは2メートルくらいあった。
しらみ地蔵の謂れはいくつかあるのだそうだが、しらみ→白巳→白蛇、すなわち雨乞いの水神信仰にちなむと考えられている。
いずれにせよ、ルートが正しいことが分かり、ホッとする。

先を急ごう。

現代版みちしるべ

ようやく参道らしくなってきた。

勝尾寺旧参道の石標と案内板

勝尾寺に到着。
勝尾寺の山号は応頂山。宗派は高野山真言宗。
また、西国三十三所の一つで、二十三番札所。

お地蔵さんに出迎えられる。
「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」

立派な仁王門。豊臣秀頼により再建された。
「勝つぞ」という気迫が伝わってくるが、筆者としては「負けてもいいんだよ」と言ってくれるお寺の方が好みかな。

池にかかる橋にはマイナスイオンのミストが撒かれている。

向こうに見えるのは弁財天。寺院の中に鳥居があるのも見慣れてきた。

上に見えるのは多宝塔。

お不動さんの真言を唱える。
不動真言の出だしは、勝尾寺は真言宗なので「のうまく~」となる。
これが天台宗だと「なーまく~」となる。

勝尾寺といえばこの勝ちダルマ。

三宝荒神

水掛け観音

真言宗の寺院なので大師堂がある。祀られているのはもちろん弘法大師・空海さん。
両脇には四国遍路のお砂踏み。

八十八か所踏んでおいた。
「南無大師遍照金剛」

ようやく本堂。筆者は普通は本堂からお参りするのだが、勝尾寺は拝観順路が決まっているため、
本堂は後回しになってしまった。
西国三十三所なので、本尊はもちろん観音さん。

ここまでお参りして、ようやく鐘楼が見えてきた。
通常、山門→鐘楼→本堂→他のお堂、と参拝する筆者からすれば少し違和感がある。

不動堂。中では立派なお不動さんを拝めた。

多宝塔

さらに、高いところに登れたので行ってみると、二階堂があった。
ここは法然上人の第五番霊場。
真言宗のお寺に浄土宗開祖の法然上人とは変な話だが、勝尾寺の中でもここだけは浄土宗とのこと。
じゃあ、「南無阿弥陀仏」で良いのかな。

二階堂から勝尾寺全景を望む。

麓に降り、弁天さんにご挨拶。

寺務所

バスまで時間があったので、ぜんざいを食べながら休憩。

勝尾寺のスイーツ巡礼

筆者は「勝ちグミ」と勝ちダルマ・クランチチョコを購入した。
UHA味覚糖とのコラボ商品。

16:48 発の最終バスにて帰宅。

本日のルート

昔の人はこうやって巡礼してたのだなと思いながらの歩行であった。
各寺院には個性があって、それを発見していくのが面白かった。
見どころ満載の西国街道については、いずれ東寺~西宮を歩いてみたいと思った。

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