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奈良歩き その他神社仏閣

奈良市内巡り(興福寺~春日大社~東大寺)

新年あけましておめでとうございます。
いつものさぼり癖で、昨年の歩行記を書き終えてなかったので、年が明けてから書き始めることとなった。

奈良は平城京として栄え、華厳宗(けごんしゅう)や法相宗(ほっそうしゅう)などの奈良仏教の本山となる寺が立ち並んでいる。
奈良の第一回目は近鉄奈良駅から歩いてみた。



歩行日:2018年12月24日
出発地:近鉄奈良駅(12:00)
到着地:近鉄奈良駅(17:00)
総歩行距離:10.8 km



スタートは近鉄奈良駅から。
仏教の町らしく、駅前に托鉢僧がいたのでお布施させていただいた。

 

 

近鉄奈良駅から東に5分ほど歩くと、興福寺の参道に着く。

 

 

興福寺(こうふくじ)は法相宗大本山。藤原不比等(ふじわらのふひと)が開基。
仲が悪いという意味の四字熟語「南都北嶺(なんとほくれい)」の「南都」とは興福寺のことを指す。
ちなみに「北嶺」とは比叡山延暦寺のこと。
平安末期(1160年頃)には興福寺と延暦寺は教義の正当性を巡って激しく対立し、僧兵が互いに武力闘争を行った。
現在の日本から考えれば、各寺が自身の教義を守るために僧兵をかかえていたというのが驚きである。
イスラム教のスンニ派とシーア派のような対立状態が日本にもあったということか。
話はそれたが、その興福寺と延暦寺が2018年10月に和解したというのでニュースになった。
興福寺中金堂(ちゅうこんどう)が300年ぶりに再建され、その落慶法要に天台座主(てんだいざす:天台宗(=比叡山延暦寺)のトップ)がよばれた。
この写真が中金堂。2018年10月に再建されたばかりなので、とても色鮮やかである。

 

 

興福寺の境内。ほとんどの伽藍(がらん)は国宝か重文となっている。
ここに記載されているだけでも四つの国宝がある。
日本には国宝のない都道府県が二県もあるというのに(ご自分で調べてくださいね)。

 

 

国宝である東金堂(とうこんどう)。
興福寺には本堂である金堂が二つ(東金堂と中金堂)ある。
本尊は薬師如来。脇を日光菩薩と月光菩薩が固めている。

 

 

国宝の五重塔。

 

 

中金堂。昨年できたばかりなので国宝ではないが、300年後には国宝の有力候補???
本尊は釈迦如来。

 

 

中金堂の外から本尊のお釈迦様が見える。

 

 

南円堂は重要文化財。西国三十三所の第九番札所。
西国三十三所の一つなので、本尊は不空羂索観世音菩薩(ふくうけんさくかんぜおんぼさつ)という、あまり聞きなれない観音さん。

 

 

南円堂を裏から。八角形の形をしているのが特徴的。

 

 

南円堂の横には不動堂。本尊は不動明王。
これまで多くの護摩供養(ごまくよう)が行われてきたのだろう。
護摩は火を焚くので、外壁までススまみれであった。

 

 

中にはススまみれのお不動さん。

 

 

三重塔(国宝)

 

 

摩利支天(まりしてん)石

 

 

北円堂(国宝)も八角形の形をしている。

 

 

興福寺にある国宝は建造物だけではない。
数多くの仏像を所蔵しており、なんと日本の国宝彫刻の1割以上も興福寺が所有しているらしい。
誰もが一度は見たことがある阿修羅像も興福寺所蔵。
国宝館内部は撮影禁止だったので、公式HPから。

 

 

興福寺の国宝を堪能し、奈良公園を東へ進む。

 

 

「右・新薬師寺、左・大ぶつ、すぐ・かすがたいしゃ」の道しるべ。

 

 

参道に置かれた常夜燈。

 

 

鹿ちゃん

 

 

春日大社「二の鳥居」に到着。

 

 

手水場にも鹿。

 

 

石段の上には楼門が見える。

 

 

春日大社は全国に約1,000ある春日神社の総本社であり、
奈良時代に平城京の守護と国民の繁栄を祈願する為に創建され、藤原氏の氏神を祀っている。
四体のご祭神が祀られている。
武甕槌(たけみかづち)は古事記に登場する雷神、藤原氏の守護神。
経津主命(ふつぬしのみこと)は日本書紀に登場する神、藤原氏の守護神。
天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、前回のブログでも出てきた藤原氏の氏神。
比売神(ひめがみ)は天児屋根命の妻。
いずれも藤原氏ゆかりの神である。

 

 

本殿。初詣の準備万端。

 

 

春日大社は回廊の灯籠も有名。

 

 

阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の歌碑。
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」は小倉百人一首にも組み込まれている。

 

 

春日大社を出発し、少し北に行くと、山焼きで有名な若草山が見えてきた。

 

 

ここにも鹿ちゃん。

 

 

早春を告げる山焼きは2019年は1月26日に行うらしい。

 

 

さらに北に進むと、東大寺の境内に入る。
ただし、この辺りは大仏殿からは高台にあり、東の方向にあたる。
通常は南大門から参拝するのだろうが、この日は山の中腹にあるお堂から参拝した。

 

 

東大寺には大仏さんだけでなく、お不動さんもちゃんといらっしゃるのです。
しかも、お堂の中にも入れてもらうことができた。

 

 

法華堂(三月堂)は国宝。本尊は不空羂索(ふくうけんさく)観音菩薩。

 

 

これも国宝の二月堂。毎年三月に行われる「東大寺のお水取り」といえばここ。
京都・清水寺の本堂と同じく、舞台造りなのが特徴。

 

 

二月堂前の手水舎。

 

 

二月堂前の山門。

 

 

二月堂から見た東大寺の境内。

 

 

二月堂の本尊は十一面観音。西国三十三所の番外札所にもなっている。

 

 

登廊を下りる。

 

 

東大寺の鐘楼。

 

 

麓に下りると、誰もが知っている南大門。もちろん国宝。
扁額には「大華厳寺(だいけごんじ)」と書かれている。東大寺は華厳宗の総本山。
山上とは異なり、この辺りには沢山の観光客がいた。
もったいない気がするが、皆、大仏さんだけ見て帰っているのだろうな。

 

 

大仏の手の実物大モデル。

 

 

東大寺の中門。ここをくぐると大仏殿が見える。

 

 

以前来たときは無料だったと思うが、今は外国人観光客が増えたこともあり、拝観料600円だった。
ちょっと高いような気もするが。
目の前には大仏殿。

 

 

奈良の大仏。
これを知らない人はいないだろうが、では何という仏様かご存じだろうか。
釈迦如来でもなく、阿弥陀如来でもなく、薬師如来でもない。
盧舎那仏(るしゃなぶつ)という華厳宗特有の仏様で、大日如来の近縁とされている。

 

 

東大寺を出て北西に進むと、正倉院に着いた。
閉門されていた。

 

 

この奥に正倉院があるはず。

 

 

大仏池を通り過ぎる。

 

 

五分ほど西に行くと転害門(てんがいもん)に着いた。昔はここまでが東大寺の境内であったということ。

 

 

転害門を過ぎ、さらに西へ300mほど進むと、聖武(しょうむ)天皇陵に着いた。
聖武天皇といえば、奈良時代に三世一身の法をさらに改良した「墾田永年私財法」を発令した天皇として知られている。
また、東大寺を建立したのも聖武天皇である。

 

 

聖武天皇陵を後にし、近鉄奈良駅に向かう途中、奈良女子大の前を過ぎる。

 

 

奈良駅に着いたが、少し通過し、中谷堂のよもぎ餅を食べてから再び奈良駅に戻った。

 

 

興福寺、春日大社、東大寺、と有名な神社仏閣を見て回ったが、さすがに古都奈良だけあって見どころ満載であり、
全然時間が足りないと感じながらの歩行であった。
京都とはまた違った性格の街並みをまた近いうちに歩こうと思う。
本日のルート。

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