以前、京都一周トレイルというハイキングコースを使って、伏見稲荷大社から北上するというルートで歩いたが(京都一周トレイル(伏見稲荷大社~泉涌寺~今熊野観音寺~将軍塚青龍殿))、その時行き忘れていた場所が2つあった。それは、伏見稲荷大社の神田(しんでん)と泉涌寺の月輪陵(つきのわのみささぎ)である。
そこで、今日はその2か所を訪れることを目的として再訪した。
歩行日:2020年9月26日
出発地:JR 稲荷駅(08:45)
到着地:JR 京都駅(14:30)
総歩行距離:13.0 km
今日のルート。伏見稲荷大社から泉涌寺までは京都一周トレイル道を歩いた。
8:45、スタートは JR 稲荷駅。駅舎自体が朱色に塗られている。
伏見稲荷大社は全国稲荷信仰の総本宮である。
稲荷大神が稲荷山に鎮座したのが 711 年。
そこから 1,300 年以上、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全等、庶民に広く信仰されている。
なお、稲荷大神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)の総称となっている。
楼門。1589年、豊臣秀吉の造営とされている。
外拝殿。
本殿。
本殿修繕の際、ご神体を一時的に遷す権殿(ごんでん)。
伊勢神宮にも式年遷宮(しきねんせんぐう)というものがあるが、一般的に神社はお寺と異なり、
「新しいものを尊ぶ」という考え方がある。そのため定期的にご神体を安置する本殿は新しくする必要があり、そういうときにこの権殿が使われる。
そしてこれが前回行けなかった神田(しんでん)。
伏見稲荷大社の境内に田んぼがあるってご存知でした?
もともと豊穣を祈願する神社なので、ここで田植祭などが執り行われる。
収穫された稲は稲荷大神にお供えされる。
外国人にも広く知られている千本鳥居。
奥宮。この右が有名な千本鳥居の入口。
千本鳥居。
千本鳥居の先には奥社奉拝所(奥の院)があり、そこから先に進む。
おもかる石のある奥の院を過ぎると、人もだいぶ少なくなる。
四つ辻に到着。
前回は四つ辻から時計回りに回って稲荷山山頂に向かったので、今日は反時計回りから進む。
時計回りが正式ルートだそうだが。
三の峰(下ノ社)。白菊大神を祀る。
二の峰(中ノ社)。青木大神を祀る。
稲荷山山頂となる一の峰(上ノ社)。末広大神を祀る。
山を下りる。
四ツ辻から京都一周トレイル道を北に進み、しばらく下っていくと、
皇室の菩提寺である泉涌寺(せんにゅうじ)に着く。
御寺(みてら)の称号が付く寺は日本でもここだけである。
山門をくぐってすぐ左にある楊貴妃観音堂。美人祈願のお堂である。
正面には本堂にあたる仏殿が見える。
天智天皇と光仁天皇から昭和天皇に至る歴代天皇皇后の尊牌(位牌)が安置される霊明殿。
菊の御紋。
そして、前回行けなかった月輪陵(つきのわのみささぎ)に到着。
ここへの行き方ですが、泉涌寺の拝観料を支払って、仏殿や舎利殿の南側の道から行くことができる。
四条天皇から始まり二十五陵五灰塚九墓あり、制札にこんなにびっしり書かれた天皇陵は筆者は初めて見た。
泉涌寺を北口から出て東に進む。
後堀河天皇陵(観音寺陵)。
孝明天皇陵(後月輪東山陵)。孝明天皇は明治天皇の父で、江戸幕府最後の天皇であり、
京都に住まわれた最後の天皇でもある。
幕末でたいへんご苦労された天皇陛下であり、わずか35歳で崩御された。合掌。
泉涌寺の北には西国三十三所の第十五番札所である今熊野観音寺がある。泉涌寺の塔頭(たっちゅう)寺院である。
観音さんにお参りして、京都駅まで歩き帰途に就く。
伏見稲荷大社は今でこそ、商売繁盛祈願の社として知られているが、もともとは五穀豊穣を願う神社であった。
境内に神田があり、そこで毎年神事が行われているのがその名残である。
また、月輪陵については、存在自体は知っていたのだが、行き方が分からずにいた。
今回、両方とも訪れることができ、筆者にとって非常に満足な旅となった。