スポンサーリンク

比叡山延暦寺

比叡山延暦寺(魔所探訪)

筆者のブログは長編となることが多いのですが(読みにくくてすみません)、
その中でも今回は特に長くなりそうです(本当にすみません)。

ご存知の通り、比叡山延暦寺は、平安京に遷都した桓武(かんむ)天皇が京都から見て鬼門の方角(北東)の比叡山に、都を守護するための寺を開くよう伝教大師・最澄に勅願して建てられた寺である。
それから 1,200年余り、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、良源、良忍等、あまたの名僧を世に送り出してきた。「山」という言葉を広辞苑で調べてみると、山とは比叡山のことと記されている。百人一首で有名な慈円僧正の歌に「世の中に 山てふ山は多かれど 山とは比叡の 御山(みやま)をぞいふ」というものがあり、平安時代から比叡山は日本仏教の母山として広く認知されており、現在でも「お山」と親しみを込めてよばれている。比叡山に関して誰もが知っていることとしては、信長による焼き討ちにより 500 ほどあったお堂の大部分が消失したことであろう。このように比叡山は日本人なら誰でも知っている著名な山である一方、歴史が長いが故の「魔所」とよばれる場所がいくつかあることはあまり知られていない。

魔所とは何かということであるが、今日でいう「パワースポット」とは少し違う気がする。国語辞典で調べると「魔物が住むと考えられた所」と書いてある。この方が近いように思える。筆者は「魔所」とは「魔物が魔界と現世を出入りする場所」と考えている。比叡山には三大魔所が知られており、それは「天梯権現祠(てんだいごんげんほこら)」、「元三大師御廟(がんざんだいしみみょう)」、「慈忍和尚廟(じにんかしょうびょう)」のことである。そして、これら三箇所を凌ぐ最大の魔所が「狩籠の丘(かりごめのおか)」である。今日の旅は、これら4つの魔所を一日で全て歩いて回りながらその霊気を感じるという、世にも珍奇な旅である。

 

歩行日:2020年10月3日
出発地:京阪電車・坂本比叡山口駅(07:05)
到着地:JR 比叡山坂本駅(15:50)
総歩行距離:25.0 km

 

今日のルート。
筆者がこれまで比叡山を歩くルートは主に無動寺回峰道であったが()、
今回は、魔所を訪れるため、本坂ルート→回峰行ルート→飯室回峰行ルートとした。

 

 

5:35、早朝の大阪駅。早朝でもこの混み具合で、最近は皆さん、どんどん外出されているようである。

 

 

5:40、大阪駅を出発し、京都駅で湖西線に乗り換え、大津京駅で京阪電車に乗り換え、
7時過ぎに坂本比叡山口駅に着いた。

 

 

さて、電車を降り、一路西に進む。奥に見えるのは、比叡山の守護神を祀る日吉大社の鳥居。

 

 

穴太衆積みの石垣の横を好んで歩いていく。

 

 

叡南俊照・阿闍梨様が住職をしておられる律院。お不動さんをお参りさせていただいた。

 

 

日吉大社の横を通り過ぎる。

 

 

7:20、本坂ルートで登山を開始する。ここが取り付き点。

 

 

根本中堂まで二十五丁(約3km)と書かれている。

 

 

それでは上っていく。左は比叡山高校。

 

 

昔はこの本坂ルートが比叡山延暦寺の表参道であったので、
至る所で仏様が見守ってくれている。合掌。

 

 

無動寺坂ルートと今回の本坂(ほんざか)ルートのどちらが体力的にきついかと問われれば、
やはり無動寺坂かな。
無動寺坂は、上って下ってその後さらに上るというような箇所がいくつかあるからね。

 

 

8:30、亀堂に到着。正式には聖尊院堂という。
お堂の前に亀に乗った銅碑があるため、亀堂とよばれる。

 

 

亀堂には石仏(お釈迦さんかな?)が安置されている。

 

 

これがその銅碑。

 

 

「薬樹院之碑」と書かれている。
信長による焼き討ちの後、比叡山復興に尽力した全宗という僧侶を称えた銅碑。

 

 

さて、本日一つ目の魔所である天梯権現祠(てんだいごんげんほこら)であるが、ネットで調べたところによると、
亀堂の裏を上っていくとだけ書かれている。まあ、何とか見つかるだろうと考え、「慈覚大師御廟道」を下っていく。
「上りではなく、下っているぞ」と思いながらも、ネットのは誤字だったのだろうと考え、進んでいく。

 

 

大した距離ではないと思うのだが、知らない道は通常の倍くらい歩いた感覚になる。
そうしてたどり着いたのが、墓碑が群立している場所。この辺りで道を間違えていたことに気付き、
元に戻る。今から思えば、せっかくなら慈覚大師御廟まで行っておけばよかった。
でも白状すると、この時は道が分からず、一人で歩いていたのでかなり不安だったんです。

 

 

備忘録として、天梯権現祠までのルートを記しておく。
慈覚大師御廟の方ではなく、亀堂の裏を進む。

 

 

その後、まっすぐに進む。

 

 

2,3分歩いて石仏が見えてくれば正解。この左横をさらにまっすぐ進む。

 

 

分岐っぽいところに出て、左を上っていくのが正解。左には石段があるので見逃さないように。
筆者は最初ここでも間違え、まっすぐ進んでしまい、遭難しかけました。

 

 

ようやく天梯権現祠にたどり着いた。

 

 

この巨大な杉が目印。

 

 

かつてこの地には本殿や拝殿を持つ社殿があった。しかし信長の焼討ちに遭い、その後はこの天梯権現祠が建てられただけである。
また、社殿があった頃からこの辺りは魔所として考えられており、木や石さえも持ち出すことを禁じられていた。
この祠には次郎坊という大天狗が棲んでいて、天へ伸びる梯子を使って、中国の天台山と比叡山を行き来するという。
この天狗は僧の修行を邪魔する魔物なのだが、比叡山への表参道(本坂)を別の魔物が通って入ってくるのを防ぐため、
祠を天狗の出入り口として天狗を使って魔物を追い払ったとのことである。
ここから天狗の棲む魔界につながっているのかと思うと、しばし時がたつのを忘れて1000年前の時代に思いを馳せた。

 

 

さて、本坂コースに戻り比叡山を上っていく。

 

 

法然堂の横を通り過ぎる。南無阿弥陀仏。

 

 

さらに上っていく。筆者は以前、この道を真冬にアイゼンを装着して下りた経験がある

 

 

左に宿坊である延暦寺会館が見えてきた。

 

 

延暦寺会館でしばし休憩。

 

 

延暦寺会館横のお不動さんに挨拶。

 

 

横には行者さんの草鞋が祀られていた。

 

 

いつもなら、延暦寺会館から文殊楼を通って根本中堂に向かうのだが、今日は訪れたいお堂があるので別道で進む。

 

 

蓮如堂。浄土真宗の蓮如上人は17-22歳までの間、ここで修業された。

 

 

筆者が行きたかった総持坊。
今では外されているが、正面の扁額には以前「一眼一足」の妖怪が置かれていた。

 

 

これが一眼一足の妖怪。
正体は慈忍和尚(じにんかしょう)。慈忍和尚は亡くなった後、
修行を怠ける不心得の僧に対し、この姿で現れては戒律を守るよう戒めたという。
慈忍和尚の御廟は三大魔所の1つなので、今日は後でその御廟を参拝する。

 

 

少し行くと比叡山の総本堂である根本中堂が見えてきた。

 

 

根本中堂でお薬師さんをお参りする。オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ。

 

 

根本中堂を後にする。

 

 

三面大黒天さん。

 

 

鐘楼。ゴーン。

 

 

大講堂前の手水鉢。

 

 

大講堂。本尊は大日如来。

 

 

戒壇院は修繕中。

 

 

西塔方面へ向かう。先に見えるのは弁慶水。

 

 

弁慶水。筆者のブログでは何度もご紹介している。

 

 

山王院。

 

 

石段を下りていく。昨年は台風による倒木などの被害があったが、最近になってきれいに整備された。

 

 

先に浄土院が見える。

 

 

いつ来てもここの庭は美しい。

 

 

拝殿の裏には最澄御廟がある。

 

 

垂木には魔除けの猿が置かれている。

 

 

比叡山三大弁財天の一つ、箕淵(みのふち)弁財天。

 

 

西塔エリアに入る。にない堂が見えてきた。

 

 

常行堂。
ちょうど常行三昧が行われている最中であり、中から修行僧が「南無阿弥陀仏」と唱える声が聞こえてきた。
90日間このお堂に籠って、眠らずに唱え続けるという厳しい行である。合掌。

 

 

こちらは反対側の法華堂。

 

 

10:13、釈迦堂。ちょうど今は内陣を公開している。

 

 

内陣の配置図。許可を得て撮影しました。

 

 

釈迦堂の横から瑠璃堂へ向かう。

 

 

瑠璃堂でお薬師さんをお参り。

 

 

元来た道を戻る。

 

 

観音さん。

 

 

観音さん横の道を上っていく。

 

 

相輪橖(そうりんとう)。重文。中に写経が収められている。

 

 

弥勒の石仏。信長による焼き討ちによって欠けたとされている。

 

 

裏には梵字が彫られている。

 

 

西塔を離れ、道路を横断して横川(よかわ)に向かう。

 

 

11:00、そして、少し進むと大きな石が三角形に配置された広場に出るが、こここそが最大の魔所「狩籠(かりごめ)の丘」である。
最澄が、平安京に跋扈(ばっこ)する魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちをこの三角形の中心に封じ込めたとされる。
筆者は阿闍梨様とここを夜中に歩いたことがあるが、その時には「ここから玉体杉までは、決して声を出さず、後ろを振り向かず、歩いてください」と戒められた。

 

 

行者道をさらに北に進む。

 

 

ここで休憩するために右側の道路方向に進む。

 

 

道路を少しだけ進む。

 

 

11:15、駐車場に到着。

 

 

最澄さん。

 

 

お昼ご飯は比叡そば。

 

 

11:48、玉体杉に到着。

 

 

玉体杉から見た京都の街並み。左の黒いところが京都御所。

 

 

玉体杉のある場所はちょうど西塔と横川の中間地点。

 

 

玉体杉を出発し、横川(よかわ)エリアに向かう。

 

 

12:15、横川の駐車場に到着。

 

 

横川エリアの本堂である横川中堂を参拝する。本尊は聖観音(しょうかんのん)。

 

 

次の魔所である元三大師御廟(がんざんだいしみみょう)方面へ進む。

 

 

12:40、元三大師御廟に到着。ここに見えているのは拝殿であり、この裏に御廟がある。
京都から見て鬼門の方角(北東)に比叡山延暦寺があり、比叡山延暦寺の鬼門の方角に横川があり、
横川の鬼門の方角に元三大師御廟がある。鬼門中の鬼門中の鬼門である。

 

 

拝殿の裏にひっそりと佇む御廟。

 

 

御廟にロウソクと線香をお供えする。

 

 

キノコのような石柱が中央に置かれた御廟。
この御廟の興味深い点は、周りはきれいに掃き清められているのに、御廟内だけは草ぼうぼうで
手入れが一切されていない点である。
これは、元三大師・良源さんの遺言として、「ここを掃除する暇があるなら、その分修業しなさい」
というものがあるからである。ここの草むしりをすると、不思議なことにケガをするのだとか。
しかし、鬼門中の鬼門のここで、元三大師様は今も鬼が入ってくることから守ってくださっているのである。合掌。

 

 

神仏習合の名残から比叡山延暦寺には多くの社が今も残っている。
この甘露山王社もその一つ。

 

 

修行道場の行院。

 

 

比叡山三大弁財天の一つの箸塚(はしづか)弁財天。

 

 

12:50、元三大師堂に到着。

 

 

元三大師様とお不動様をお参りする。元三大師様の化身である角大師さんが貼られている。
元三大師様は変身の達人(?)であり、ご真言も「オン バダラ ハンドメイ ウン」であり、
これは如意輪観音様と同じであり、如意輪観音の化身としても知られている。

 

 

恵心僧都(えしんそうず)が往生要集を執筆した場所である恵心堂。
念仏発祥の場所として知られる。「南無阿弥陀仏」。

 

 

横川行者道を坂本方面に進む。

 

 

今日はいつもと異なる「飯室谷(いむろだに)回峰道」を進む。
この標識が目印となるのだが、すぐに酷い目に会うことになる。

 

 

飯室谷回峰道は、遷化された酒井雄哉大阿闍梨様や藤波源信大阿闍梨様が千日回峰行で用いられたルートであるが、おそらく10年以上この道は回峰行に使われておらず、たまにハイカーが通るくらいであろう。したがって、道は荒れており、このように道なき道を行かねばならなかった。
皆さんもここを万一通られるときは、複数人で行かれることをお勧めします。
また、地図とコンパスは必ず携行してください。
筆者は一人で進んで、土まみれになり、とんでもない目に会いました。

 

 

先ほどの分岐点から10分も進むとようやく道らしきものに出る。

 

 

荒れた道を進む。

 

 

観音さんと休憩所。

 

 

つづら折りの急勾配を下っていく。逆にこれを登るのは大変だろうな。

 

 

もうすぐ飯室谷。

 

 

13:45、飯室谷(いむろだに)に到着。

 

 

阿闍梨様による護摩供が行われる飯室谷不動堂。

 

 

飯室谷不動堂から南に5分ほど歩くと、本日最後の魔所である慈忍和尚廟(じにんかしょうびょう)に着く。

 

 

このコケの生え具合は、高野山の奥の院参道を思い起こさせる。

 

 

慈忍和尚廟。慈忍和尚は、天台座主まで務められたが、そこまでなられた後も修業に明け暮れたという。不届きな僧には一眼一足の妖怪となって山から下ろさせたという。

 

 

慈忍和尚廟を後にする。

 

 

一般道に出た。

 

 

前方右側に西教寺(さいきょうじ)が見える。

 

 

14:30、西教寺に到着。西教寺は次回ご紹介する。

 

 

西教寺を後にする。

 

 

坂本の町に戻ってきた。まだ彼岸花が咲いている。

 

 

もうすぐ比叡山坂本駅なのだが、電波塔の柵には明智家の家紋である水色桔梗。

 

 

15:50、JR 比叡山坂本駅に到着。

 

一日のうちに三大魔所+巨大魔所を訪れたが、比叡山を一周することになったので、
さすがにくたびれた。三大魔所といっても、そこには祠や御廟が建てられており、その由緒を知ると敬意をもって参拝すべき場所であることを確認させられた。
ただし、狩籠の丘だけは「触らぬ神に祟りなし」なので、皆さんもご注意を。

スポンサーリンク

-比叡山延暦寺