前回、京都・西山を歩く中で、少し南の方にも面白い道と興味深い寺院があることに気付いた。
そこで本日は、大阪府高槻市から登り始め、京都府大山崎町に下山するルートを歩いてみた。
歩行日:2020年1月18日
出発地:高槻市営バス・神峰山口(かぶさんぐち)バス停(8:30)
到着地:JR 山崎駅(16:45)
総歩行距離:25.4 km
本日のルート。
筆者にしては長距離となる 25.km 以上を歩いた。
途中、柳谷観音(やなぎだにかんのん、下図の16-18km付近)で長居しすぎたため、
日没を気にしながらの歩行となり、何とか 17 時前に下山することができた。
JR 高槻駅から高槻市営バスに20分ほど乗車し、8:30 に今日の出発点となる神峰山口バス停に着いた。
バス停付近に掲げられていた案内板。
神峰山寺と本山寺を経由してポンポン山へ向かうのが今日のルート。
バス停から東に進む。
案内通りに進む。
ぶら下がっているのは勧請掛(かんじょうがけ)。
米商人らは、シキミを結んだ縄の高低長短によって、毎月の米価を占ったという。
金毘羅飯綱大権現(こんぴらいづなだいごんげん)。神峰山を守護する神様。
役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山(金剛山)で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、
ここ神峰山にやってきた。
ここで天童(金毘羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、
役行者は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源とされている。
神峰山寺の駐車場。
参道を進む。この道は東海自然歩道の一部にもなっている。
神峰山寺の境内。
8:55、神峰山寺(かぶさんじ)に到着。
神峰山寺の山号は根本山。宗派は天台宗。
平安京遷都を命じた桓武天皇の実父にあたる光仁天皇の勅願所であり、
息子の開成皇子に対し、既に役行者(えんのぎょうじゃ)により開山されていた神峰山寺の中興を命じたところから始まる。
阿形さん。
吽形さんは入院中。
境内に入る。これは手水鉢。
直進すると本堂に行ける。
「毘沙門不動護摩」という護摩供が行われる化城院。
化城院の扁額は三千院門跡の門主である堀澤祖門老師によるもの。
正面に見えるのが本堂。本尊は日本最初の毘沙門天(秘仏)。
筆者はハイカーの格好をして歩いているが、
普通のハイカーと異なる点は、ロウソク入れと念珠を持ち歩いている点かな。
百均で買ったケースに線香とロウソクとライターを入れて持ち歩いている。
本堂前のロウソク立て。
本尊の毘沙門さんにお参りした後は御朱印をいただいた。
さらに石段を上ると役行者を祀る開山堂へ行ける。
観音堂と鐘楼の案内板。
観音堂。
鐘楼。
9:23、神峰山寺を後にする。
次に、東海自然歩道を北に進み、本山寺へ向かう。
ここから本山寺までは徒歩 1 時間弱。
あと 2km で本山寺。その後はポンポン山山頂へ向かう予定。
本山寺の駐車場。
さらに進む。
10:17、本山寺(ほんざんじ)に到着。
本山寺の山号は北山、宗派は天台宗。
もともと神峰山寺の奥之院という説もあるが、本山寺の縁起によれば神峰山寺とは別寺と記載されており、
神峰山寺との関係は不明。
開山は役行者、開基は開成王子というのは神峰山寺と同じ。
先ほども出てきたが、昔の米商人が米価を占った勧請掛(かんじょうがけ)。
境内を進む。
石段を上ると本堂が見える。
手水舎。
お不動さん。
お不動さんの横には伝教大師・最澄さんの幼き頃の像。
「一隅を照らす」というのは比叡山でよく見かけた言葉。
鐘楼の梵鐘は撞くことができた。ゴーン。
本堂の横にも本山寺の縁起が紹介されている。
本堂。本尊は毘沙門天。
ここの毘沙門天は、鞍馬寺、朝護孫子寺とともに「日本三毘沙門天」とも言われている。
オン ベイシラマナヤ ソワカ
本山寺の御朱印。
「南無不動明王」の旗がたくさん立っていたので、お不動さんの場所をたずねたところ、
向いのお堂が護摩堂だということを教えていただいた。
これがその護摩堂。残念ながらお不動さんは護摩供の日しか開帳されないとのこと。
十三重石塔が前に建てられていた。
10:47、本山寺を後にする。
このように、本堂の右横から東海自然歩道につながっている。
次にポンポン山を目指す。ここから 3km 程度。
至るところで「クマ注意」の案内を見かけた。
暖冬といえども1月に出没することはないと思うのだが。。。
念のため、熊鈴を用意し、足跡、糞、獣の匂い等に注意しながら歩く。
山道を北に進む。
11:05、本山寺の縁起にも書かれていた「天狗杉(てんぐすぎ)」という神木にたどり着く。
古来より、鞍馬(くらま)、愛宕(あたご)、本山寺、箕面(みのお)を飛翔する天狗の休息地といわれている。
ポンポン山を目指して歩く。
11:38、ポンポン山の山頂に到着した。標高は 678.9m。覚えやすい。
ポンポン山の由緒。
温度計も設置されていた。
山頂からの景色。高槻市街が見渡せる。
11:53、出発する。
次は釈迦岳を目指す。
12:15、釈迦岳山頂に到着。標高 630.8m。
釈迦岳を出発し、次は柳谷観音を目指して下山する。
気温も高めで、すすきが秋のように感じられる。
柳谷観音への案内板。
前回も歩いた西山古道。
シダの中を歩く。
瀬を渡りると、大体はそこから急登となることが多く、この日も結構な坂を登りきり、
柳谷観音がある集落に出た。
これは獣除けの柵。
右は柳谷観音の石垣。五本の筋塀が格式の高さを物語っている。
13:34、柳谷観音(楊谷寺;ようこくじ)に到着した。
楊谷寺の山号は立願山(りゅうがんざん)、宗派は西山浄土宗。
このお寺は前回訪れたのだが、未だ拝観していない伽藍がいくつかあるので再訪した。
柳谷観音の山門。
向かって右側には雷神さん。
左側には風神さん。
柳谷観音の境内図。かなり広いが、今日は全て見て回る予定である。
まずは手水舎で心身を清める。
山門をくぐると、本堂が見える。本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。
柳谷観音の御朱印。
本尊が観音様なので、「大悲殿」と書かれている。
あと、お土産としてブルーベリー飴を購入した。
このお寺は眼病封じの寺として良く知られている。
弘法大師がここの水を使って祈祷し、サルの眼病を平癒させたという独鈷水(おこうずい)。
筆者も一杯いただいた。
阿弥陀堂。南無阿弥陀仏。
護摩堂。
地蔵堂。
中陽門を通って、奥の院に向かう。
弁天堂。
秘仏の弁財天の御前立(おまえだち)として淀殿(豊臣秀吉の側室)を祀っている点が珍しい。
本来は弁天さんを拝むのですが、ここでは、淀殿の冥福も祈る形になっている。
お堂の傍には淀殿が毎日この水で顔を洗っていたという伝聞の残る湧き水がある。
淀殿の人形は伊東久重氏の作によるもの。
観音さんの前には落ち葉でハートが作られていた。
十三重石塔。
正面に奥の院が見える。
向かって左側には観音様の眷属二十八部衆が祀られており、
向かって右側には歴代天皇の位牌が安置されている。
奥の院の裏手には愛染堂とお稲荷さんが祀られていた。
ここから回廊を通って本堂まで下りることができるということなので、
靴をナイロン袋に入れて進む。
この辺りは左右がアジサイに挟まれている。6月頃にまた来よう。
心琴窟(しんきんくつ)という水琴窟。
これまで様々なところで水琴窟の音を聞いてきたが、ここの水琴窟は木琴というより鉄琴のような、
それでいて非常に上品な音であった。
皆さんも機会があればぜひ試してみてください。
浄土苑という名勝庭園。
山の急斜面を巧みに利用した造りで、書院に座って眺める鑑賞式の庭園。
14:40、柳谷観音を出発する。見どころが多く長居しすぎたので、日暮れまでに帰れるか心配になる。
この辺りはバス停はないので、自分の足で歩いて山一つを超えるか、あるいはヒッチハイクか、になる。
まずは柳谷観音から麓に下りていく。
15:00、いったん下りたので、ここから登山道に入り、小倉山や天王山を超えて山崎方面へ向かう。
登山道に入る。
どんどん上っていく。既に 20km 歩いているので、足の痛みをこらえながらの歩行である(泣)
15:20、分岐点に着いた。
天王山山頂方面に進むが、天王山は何回も通ったことがあるので、そこから少し南にそれて小倉山に向かう。
15:25、小倉山山頂に到着。百人一首の小倉山とは場所が少し異なる。
先に進む。
15:35、十方山(じっぽうやま)山頂に到着。標高 304.4m。
ポンポン山、釈迦岳、小倉山に続く、この日4つめのピーク。
さて、後は下山するのみ。
落ち葉で何度も滑りながら下りていく。
町が見えてきた。
名神高速道路の天王山トンネル付近を渡る。
住宅街を進む。
横は JR 京都線(東海道本線)。
サントリーの山崎蒸溜所。
踏切を渡って、西国街道を北に進む。
関大明神は山城・摂津の関所があった場所。
16:45、JR 山崎駅に到着。
神峰山寺、本山寺はあと安岡寺(あんこうじ)と合わせて「北摂三山」とよぶらしい。
安岡寺には行ったことがないが、この近くなので近いうちに訪れよう。
また、日本三毘沙門(鞍馬寺、本山寺、朝護孫子寺)のうち、奈良にある朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)も未訪問なので、
ここにもぜひ寄ってみたい。
このようにして、行きたいところがどんどん増えていくのを嬉しく思う。
今日は予想以上に長距離になったので、熱い風呂につかりながら疲れを取りたいと思う。