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西国三十三所 その他神社仏閣

西国三十三所観音巡礼 第二十一番札所・穴太寺と光秀公ゆかりの谷性寺

西国三十三所観音巡礼について、前回は第二十番札所の善峯寺であり、その次は第二十一番札所で丹波の名刹・穴太寺(あなおうじ)である。
しかし、COVID-19 の影響で穴太寺はずっと閉山されたままとなっていた。
そして5月23日にようやく解禁されるとの情報を得て、早速参拝することにした。
この日は、第二十二番札所(総持寺)と第二十三番札所(勝尾寺)も参拝する計画としたので、車で移動した。

参拝日:2020年5月23日
京都縦貫道・亀岡IC で降り、そこから車で15分ほどのところにある。

穴太寺山門から50mほどにある駐車場に停めた。
駐車場のおじさんからは「穴太寺は今日から開いてるんやで」と言われ、
「へえ、そうでしたか」と答えておいた。ホントは知ってたけど(^^)

駐車場を出て、奥に見えるのが穴太寺山門である。

穴太寺(あなおうじ)の山門。
穴太寺の山号は菩提山、宗派は天台宗。
西国三十三所の第二十一番札所である。
確か、天台座主の登竜門とされる戸津説法(とづせっぽう)の昨年の説法師が穴太寺のご住職だったと思う。

阿形さん。

吽形さん。

穴太寺の鐘楼。

手水舎。

多宝塔。

本堂。本尊は薬師如来だが、札所本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)となる。

本堂内は撮影禁止なので、テレビ放送から紹介する。
このように三体の仏様が並んでおり、中央が本尊・薬師如来(秘仏)、
左側が札所本尊・聖観世音菩薩(秘仏)、右側が札所本尊御前立・聖観世音菩薩となっている。
特に、中央の薬師如来は絶対秘仏となっており、まだ誰も目にしたことがないらしい。

御前立(おまえだち)の聖観音さん。

「安寿と厨子王丸(あんじゅとずしおうまる)」という姉弟の悲話の中で、彼らが山椒大夫(さんしょうだゆう)のもとで酷使されていたとき、
その苦しみを代わりに背負ったのが、この厨子王丸肌守(はだまもり)御本尊だったといわれる。
今日は、わずか 5cm ほどの厨子王丸肌守観音様が特別公開されていた。

また、本尊の右側にはフトンをかぶった釈迦涅槃木像が安置されていた。
本来は、参拝客が自分の調子の悪い部位を撫でることで改善するご利益があるのがこの仏様なのだが、
今はコロナのために触れるのは遠慮くださいとのことだった。

寺務所で御朱印をいただく。

穴太寺の御朱印。「聖大悲殿」と書かれている。
ご詠歌は「かかる世に 生まれあふ身のあな憂やと 思はで頼め十声一声 」

本堂の隣には、穴太寺の方丈と庫裏を兼ねた円応院があり、ここの庭園は有料だが拝観することができる。
枯山水ではなく、本当の水を引いている。

塔を借景にした庭は珍しいとのこと。

孝明天皇、明治天皇の御召し物。

本堂へと続く渡り廊下。

穴太寺を後にする。
せっかく亀岡まで来たので、光秀公ゆかりの場所までちょっと寄り道する。

ききょうの里。
桔梗の花は7月が見ごろなので、時期的にまだ少し早く、オープンしていない。
あと、桔梗といえば明智家の家紋。

ききょうの里の前の道を進む。

のぼり旗には、桔梗の家紋と「光秀公のまち 亀岡」と書かれている。

谷性寺(こくしょうじ)の参道。

水車と恵比寿さん。

谷性寺に到着。
谷性寺(こくしょうじ)の山号は清瀧山、宗派は真言宗大覚寺派。
明智光秀が信仰していた不動明王が本尊であり、彼の首塚がある古刹である。

明智山門。

山門にも桔梗紋が彫られている。

明智光秀の首塚。
以前のブログで京都・東山にある明智光秀の首塚を紹介したが、どちらの首塚が本当なのだろうか。
光秀は山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、坂本へ敗走中に山科・小栗栖(おぐるす)で落ち武者狩りによって殺された。
その首は家臣によって粟田口に埋められたとのことなので、本当の首塚は東山にあり、
ここの首塚は供養碑の意味合いが込められているのではないかと思う。

お庭にお不動さんがおられたのでご挨拶。

谷性寺を後にする。至る所に桔梗紋を見ることができる。

のどかな田園風景。

まだまだ時間が有ったので、このまま亀岡から茨木に向かい、次の札所である総持寺を訪れることにした。

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