仏教における六道という考え方では、生きとし生けるものは生前の業によって、天、人、修羅(しゅら)、畜生(ちくしょう)、餓鬼(がき)、地獄という六つの世界を輪廻転生するとされている。
仏教の最大の目的は、天にいくことではなく(これから述べるように天が必ずしも良い世界とは限らない)、六道から脱出(解脱)して悟りを開くことである。
このようなことはだいたい筆者も知識として持っていたのだが、「地獄には行きたくないなあ。。。」「地獄と修羅は何が違うんだろ?」くらいに漠然と考えていた。
この度、大津市歴史博物館で聖衆来迎寺に伝わる国宝の「六道絵」が一度に見られるということで拝観してきた。
結論から言うと、ものすごい衝撃を受けたというほかない。大げさかもしれないが、今後の生き方を考えさせられた。
ただし、この絵は鎌倉時代版ウォーキング・デッドなので、「グロ耐性」のない方は最初と最後の方だけお読みください。
訪問日:2020年10月24日
訪問場所:大津市歴史博物館
JR 大津京駅で下車し、徒歩15分で着く。
大津市役所の前を通り過ぎる。
14:15、大津市歴史博物館に到着。
ここは三井寺の隣にあるので、三井寺を参拝した時にも訪問している。
その時はこの「明智光秀と戦国時代の大津」を拝観した。
今日は、上記の「明智光秀と戦国時代の大津」と「聖衆来迎寺と盛安寺」の両方を拝観できる。
「明智光秀と戦国時代の大津」は前回ご紹介したので、今日は主に「聖衆来迎寺と盛安寺」についてご案内したい。
といっても、館内の大部分は撮影禁止なので、ロビーに貼ってあった六道絵のコピーを元にご紹介する(これは撮影可)。
①閻魔庁図
このブログでも閻魔王は何回か紹介してきた。
閻魔王。亡くなった者は閻魔王により、六道のうちどの世界に送り込まれるかが決定される。
閻魔王の右下には判決を言い渡す司命(しめい、しみょう)がおり、
左下には裁判を記録する司録(しろく)がいる。
生前の行いが映写される鏡。ここでは過去に僧侶を刺した場面が映し出されている。
倶生神(くしょうじん)。その人の一生の善悪業全てを記録する神。
倶生神には、善行を記録する神(女性)と悪行を記録する神(男性)の二人いる。
手かせ、首かせをはめられて、これから裁きを受ける罪人たち。
②等活地獄図
実は地獄には八種類あり、その中でも一番マシ(?)な地獄。
罪人どうしが骨と化すまで切り裂きあっている。
「グロ注意」と言いたいところだが、これも国宝の一部である。
獄卒(ごくそつ、地獄で亡者を苦しめる鬼)が鉄棒で滅多打ちし、鉾で突き刺している。
まな板にのせられ、刀で切り刻まれている。
白骨化して捨てられるも、呪文によって赤子に復活し、再度責め苦に会うという本当の地獄。
この絵は鎌倉時代(13世紀)に描かれたものだが、13世紀には既にこのような地獄のイメージが確立しており、
民衆は「悪いことをすると地獄に堕ちるよ」「仏教の信仰により救われるよ」と言い聞かされていたのだろう。
地獄と極楽のこのようなイメージは、比叡山の僧・恵心僧都(えしんそうず)による「往生要集」からヒントを得たとされている。
業火の中で焼かれている。
鋭利な刃林の中を獄卒に追いかけられている。
釜茹でにされている。
獄卒に追われ、鉄火で焼かれている。
両側の金剛山ですり潰されている。
③黒縄地獄図
殺生に加え、盗みをはたらいた罪人がここに来る。
先ほどの等活地獄の10倍の苦しみがあるという。
黒縄で線を引き、それに沿って斧やノコギリで切り刻まれる。
網の下で焼かれている。
鉄塊を背負わされたまま、熱くなった鉄縄を渡らされ、耐え切れず落下すると下には炎の鉄鍋が待っている。
焼けた黒縄で縛られ、崖から燃えた鉄刀の上に突き落とされる。
下には鉄炎の牙をもった犬が待ち構えている。
こん棒、剣、弓矢を手にした獄卒に追い立てられている。
④衆合地獄図
殺生、盗みに加え、邪淫の罪により堕ちる場所。
鉄山に追い込まれ、両側から押しつぶされる。
空から鉄塊が降ってくる。
石の上に置かれ、上から大きな岩で押しつぶされる。
鉄臼に入れられ、鉄杵でつぶされる。
熱鉄の獅子や虎に食いちぎられ、鷲が腸を引きちぎり、木に引っかけて食べている。
こんな衝撃的な場面も、恵心僧都・源信が作り出した世界なのだろうか。
恥ずかしながら、筆者は往生要集を読んだことがないので、今度じっくり読んでみたくなった。
熱く溶けた銅の川に流され、火に燃える釣り針で獄卒に釣られている。
木の上と下に美女をはべらせ、罪人は刀のような葉に切り刻まれながら、永遠に追いかけまわしている。
自分の子が刺されているのを見せられ、肛門から煮えた銅を注入されている。
炎に包まれた男色の相手を抱くと、砕けて赤子として復活する。
恐怖で逃げると断崖から落ち、炎のくちばしを持つ鳥に食べられる。
鎖で縛られたまま木に逆さ吊りにされ、炙られる。
口から炎を入れられ内蔵が焼かれる。
⑤阿鼻地獄図。
八大地獄のうち、最も苦しみの大きな地獄。
暗闇の中から 2,000 年間、堕ち続ける罪人。
高所恐怖症の筆者にとって、この拷問は絶対に受けたくない。
多眼の獄卒がこん棒を振りかざして拷問している。
熱い鉄のハサミで口を開けられ、灼熱の鉄丸を飲み込ませられる。
口から舌を引っ張られて広げられ、舌の周囲を百の鉄くぎで打たれる。
さらに尖ったくちばしの虫についばめられる。
火車で急ぎ連れてこられた罪人。
門を少し開けて罪人を待ち構える獄卒。
⑥餓鬼道図
六道のうち、下から二番目の世界であり、飢えと渇きから逃れられない世界。
木の中だけで生活する樹中住餓鬼。
風を食物として林中をさまよう餓鬼。
険しい山野を駆け巡り、食物を求める餓鬼。
墓所で屍を焼く炎を食す餓鬼。
子を産み、その子を食すが飢えたままの餓鬼。
自分の脳髄を割って食べる餓鬼。
海の島にいるも、朝露しか飲めない。
父母追善供養の供え物を食べている。
父母の追善供養時に出る水滴を舐めている。
口が針のように細く、食べ物を目の前にしても食べることができない。
水を飲もうとすると獄卒に叩かれる。
水を飲もうとすると、水が火に変わる。
渇きに耐えられず、川を渡った人のかかとの水滴を飲んでいる。
左下の餓鬼は僧の説法で力を得ている。
右下の僧は僧の鼻水を飲んでいる。
⑦畜生道図
下から三番目の世界。
畜生(ちくしょう)に生まれ変わると、このような苦難が待っている。
ミミズを咥えるカエルをヘビが吞み込み、それをイノシシが咥え、それを人間が狩りるという、
弱肉強食・食物連鎖の世界。
畜生は、漁や狩猟によって狙われ続ける。
田畑を耕すのに使役される牛馬。
鷹狩(たかがり)。
闘鶏(とうけい)。
ケンカする犬に石を投げる子供。
カラスに皮をついばまれる馬。
小虫に体を蝕まれる大蛇。
⑧阿修羅道図
六道のうち、上から三番目の世界は、常に戦いに明け暮れる阿修羅の世界。
絵が美しい。
⑨人道不浄相図
上から二番目となる、人が住む世界。
この絵では、屍の不浄を9つの段階に分けて、四季の移ろいと共に描写されている。
死後間もない女性。
服がはだけ、体が土色に変色し、膨張し始める。
体が痛み、肉が切れて血が流れだす。
肉が溶け出し、破れた皮膚から膿が流れ、悪臭を放つ。
腐乱して黒ずんだ体は骨と皮だけになり、ハエとウジがわく。
表面が乾燥し、青黒くミイラ化する。
別の屍は野犬や鳥に、奪うようにして体を食われる。
体がバラバラになる。
白骨化して土に還る。
⑩人道苦相図(1)
人間が生きていくうえでの苦しみ「四苦八苦」のうち、
四苦(生・老・病・死)を描写している。
生の苦しみ。
老の苦しみ。筆者もそろそろ実感し始めている。
病の苦しみ。
死の苦しみ。
⑪人道苦相図(2)
上記の四苦にさらに4つの苦しみを加えたもの。これで八苦となる。
愛別離苦(あいべつりく)。愛する者との別れ。
幼いわが子を亡くす苦しみ。
乳飲み子が母親を亡くしている。
妻を亡くし、泣く夫。
戦場へ出るため、今生の別れを惜しむ家族。
怨憎会苦(おんぞうえく)。
憎しみあう者と出会い、戦う苦しみ。
求不得苦(ぐふとくく)。
欲しいものを求めても、手に入らない苦しみ。
この絵では、貧困のせいで食べ物もろくに手に入らない様子が描かれている。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)。
般若心経でも「五蘊皆空」と出てくる。五蘊とは「色・受・想・行・識」のことで、これも般若心経に出てくる。
私たちの心と体である五蘊は、それを有する限り苦しみを生むという意味。
この絵は火災から逃げ惑う場面を描写している。
⑫人道無常相図
人の世界は無常であることを表している。
川の流れは無常である。
水が少ない小さな池の魚。いずれは乾いて死んでしまう。
屠所に連れていかれる牛。一歩進むごとに死に近づく。
檻に入れられた羊。横では鍋が沸いている。
沈みゆく太陽。
死を免れようとして、空中で両手を伸ばし天を仰ぐ仙人、海中に潜る仙人、岩山をよじ登る仙人。
全て無駄な行為である。
耳、尾、牙を傷つけられたキツネ。
死んだふりをするも、首をはねるという声を聞いて慌てて逃げる。
きれいな紅葉もいずれは枯れ果てる。
⑬天道図
六道のうち、最も上の天界も永遠に幸せな場所ではない。
六道を輪廻している限りは安穏はなく、そこから脱出(解脱)して悟りを開いて始めて救われるという仏教の考え方を表現している。
天にいても、老いからは免れることはできない。
天女が沐浴したり、舞が行われたりしているが、これもかつての幻である。
⑭譬喩経説話図
仮に地獄に堕ちたとしても、仏教への帰依によって救われることを描写している。
首が何度も再生する僧。
呆気に取られる獄卒。
⑮優婆塞戒経説話図
妻の説得によって念仏を行った夫が、その功徳によって地獄から救われるという場面を描写している。
念仏を唱えると釜が割れ、蓮華化生として獄卒が驚いている。
役人は合掌している。
当初は30分くらいで見終えて、その後は隣の三井寺に参拝に行こうと考えていたのだが、
2時間も見てしまい、時刻は16時半となっていた。
恵心僧都・源信の往生要集を元にしていくつもの六道絵が描かれたのだが、15編全てが現存する最古の絵画が今回の国宝・六道絵とのことであった。
単に「気持ち悪い」で済ませられない、生きることをもっと真剣に考えなさいという迫力がこれらの絵にはあった。
15編全て見られるのは2020年11月1日までとのことですが、催し物自体は11月23日までなので、時間のある方はぜひ足を運ばれることをお勧めします。
あと、拝観者に無料で配られるパンフレットが秀逸で、今回の絵と説明が分かりやすくまとめられており、これだけでも拝観料の元が取れると思います。
筆者にとっては、おかげで非常に充実した休日となりました。