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比叡山延暦寺

比叡山延暦寺 秋の催し物

最近の歩き旅はずっと良い天気に恵まれていたのだが、今日はご覧の通り一日雨の予報である。
今日は立冬なんだな。

 

 

筆者は、普段は一人で歩くことが多く、この天気ならば歩き旅中止とするところである。
しかし、今日は仲間と歩く約束の日であり、中止という訳にはいかない。
雨ならば参拝客も少なく、ゆっくり拝観できるだろうとポジティブに考え、比叡山に向かった。
比叡山では、この日は4つのイベントがあり、これを全部見て回ろうというのが本日の目論見である。
1. 比叡山の不動明王展(東塔地域・国宝殿)
2. 釈迦堂の内陣公開(西塔地域)
3. 瑠璃堂のご開扉(西塔地域)
4. 比叡のもみじ祭(横川地域)

 

参拝日
2020年11月7日


さて、前回訪れたのが11月3日なので、4日ぶりの比叡山である。
朝 7:10 に大阪をクルマで出発し、延暦バスセンターの駐車場には 8:10 に着いた。
まだほとんど誰もいない。

 

 

開門の 8:30 まで時間があるので、
元亀兵乱(=1571年の信長による比叡山焼き討ち)の供養塔を参拝する。
敵も味方も皆同じように供養するというのが比叡山の考え方である。

 

 

8:30、開門したので境内に入る(といっても比叡山の場合は山全体が境内なのだが、、、)。

 

 

東塔エリアも紅葉が色付いている。

 

 

今日は仲間4人と一緒の行動なので、まずは、、、、、、お茶(爆)
というわけで、延暦寺会館に入った。
比叡山では外せない梵字ラテ。筆者の守護仏は不動明王なので「カーン」の梵字。
前回はカフェラテだったので、今回は抹茶ラテを。

 

 

延暦寺会館前のお不動さんにご挨拶。

 

 

延暦寺の山門にあたる文殊楼(もんじゅろう)。

 

 

文殊楼を過ぎると、急な階段が現れ、その先には比叡山の総本堂である根本中堂が見える。
比叡山は、バリアフリーという言葉とはどうも無縁のようである。
というか、阿弥陀堂への上り階段、浄土院への下り階段、釈迦堂への下り階段、横川中堂への上り階段等、考えてみればバリアだらけである。

 

 

根本中堂でお薬師さまを参拝し外に出る。

 

 

大講堂で大日如来さまを参拝する。

 

 

国宝殿に入り、たくさんのお不動さまを拝観し、目の保養をする。

 

 

皆さまご存知の、無動寺明王堂のお不動さまと二童子。
何度も言っていることであるが、筆者は無動寺明王堂のお不動さまが一番のお気に入りである。
しかし、秘仏のため、明王堂に参拝しても通常はお目にかかることができない。
毎年6月23日の一日萬拝日に開扉されるのであるが、今年はコロナ禍のため中止となった。
来年こそは拝観できることを祈っています。

 

 

不動明王は五大明王の中心明王として祀られることもある。
大威徳(だいいとく)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、降三世(ごうざんぜ)明王、
金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王。
五大明王については、このブログでは岩船寺仁和寺のところで紹介した。

 

 

葛川息障明王院(かつらがわそくしょうみょうおういん)の宝物。

 

 

葛川息障明王院へ参拝した証拠となる参籠札。
右は室町三代将軍・足利義満(1358-1408年)のもの。
左は室町八代将軍・足利義政の正室・日野富子(1440-1496年)のもの。
500年以上前の直筆のお札が残っているのは感動する。
金閣寺を建てた義満公もお不動さまを信仰してたんだなと考えると親近感が湧く。

 

 

そして、今回ニュースでも取り上げられた胎内仏お不動さま。
この護法童子像の頭の中から見つかったとのこと。

 



金色の胎内仏お不動さま。

 

 

合わせて、舎利塔と不動印仏も体内から見つかった。

 

 

次に、クルマで西塔エリアに移動する。
燈籠には「奉献 御廟前」と書かれている。
この道の突き当りを右に行けば最澄御廟に行ける。
今日は時間の都合で西塔方面へ進む。

 

 

にない堂。
先日ここを通ったときは四種三昧行の最中だったので、僧の念仏を唱える声が聞こえていたが、
行を終えられたようである。

 

 

釈迦堂。今日は内陣公開されている。
正式名称は転法輪堂。
1595年、豊臣秀吉の命により、三井寺の金堂(弥勒堂)を移築されたため、比叡山最古の建造物といわれている。
このようにひと言でいえば簡単だが、三井寺側からすれば本堂が接収される事態なわけであり、たまったものではない。
1595年に三井寺に対して秀吉から闕所(けっしょ;財産没収の刑罰)の命が下されており、これにより全ての堂宇および所領が没収されている。
なぜこのような命令が下されたのかは不明であるが、秀次事件(秀次は秀吉の甥。秀吉から煙たがられ、最後には高野山での切腹を命じられている)に加担したためとか、
伏見向島に移植しようとしていた桜の木をここの僧侶が切ってしまったとか、僧兵が力を持ち始めていたとか、諸説あるがいずれにせよ三井寺にとっては最大のピンチであった。
比叡山焼き討ちが1571年、本能寺の変が1582年なので、秀吉に焼き討ちに対する罪滅ぼしの念があったのかもしれない。
と、このような歴史をもつ釈迦堂である。

 

 

許可を得て案内図を撮影。
神様も仏様も一緒に祀られており、神仏習合が色濃く残っている。

 

 

開扉されている瑠璃堂へ向かう。
通常と異なり、今日は観光客用に案内がなされているので、
道に迷うことはない。


 

 

13:30、瑠璃堂に到着。
比叡山にある伽藍のなかで、信長による焼き討ちを逃れた唯一の堂宇である。
辺鄙な場所に位置するので、信長軍も気付かなかったのであろう。
瑠璃堂の背後には穴太衆積みの石垣が建造されている。
奥に見えるのは正教坊。正教坊は千日回峰行の行門室であった。
かつて東塔無動寺谷の玉泉坊流、横川飯室谷の恵光坊流とならんで西塔正教坊の石泉坊流は千日回峰行の三門流に数えられ、多くの行者を輩出した。

 

 

瑠璃堂の本尊はもちろん薬師瑠璃光如来さま。
天井には草花を描いた天井画が複数枚あり、柱の一部には彩色も残っている。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

 

 

瑠璃堂の屋根もきれいに清掃されていた。

 

 

前回参拝したときは、このように屋根から木が生えていて、これはこれで可愛かったのだが。。。

 

 

瑠璃堂から京都側を眺めると、雲海がうっすらと見えた。

 

 

釈迦堂に戻る途中、寄り道して、香炉ガ丘の弥勒の石仏さまを参拝する。

 

 

釈迦堂に戻って、瑠璃堂の特別御朱印をいただく。

 

 

クルマに戻り、横川エリアへ向かう。
途中に立ち寄った狩籠の丘。ここはノーコメントとさせていただく。

 

 

雲海が見えたので、峰道レストランに立ち寄る。
比叡山は決して高い山ではないが、このように雲海が見えるのは琵琶湖のおかげだと
上原行照阿闍梨様はおっしゃっていた。

 

 

仲間と筆者とでパチリ。

 

 

14:55、横川駐車場に到着。

 

 

龍ヶ池弁財天の付近でも紅葉が見事であった。
ここの弁天さまは雨乞いの神様である。
千日回峰行の堂入りの際、少しでも断水による苦が和らぐよう、
僧侶たちがここの弁天さまにお祈りして雨乞いをするそうである。

 

 

横川中堂(よかわちゅうどう)を参拝。
本尊は聖観音(しょうかんのん)さまで、
脇侍(わきじ)は不動明王と毘沙門天。

 

 

霧が覆い、幻想的な雰囲気の道を進む。

 

 

元三大師御廟(がんざんだいしみみょう)に到着。
ろうそくと線香に火を灯し、参拝する。

 

 

15;40、元三大師堂(四季講堂)に到着。
ここはおみくじ発祥の地。
オン バダラ ハンドメイ ウン

 

 

左に見えるのは横川の鐘楼。

 

 

恵心堂を参拝。
恵心僧都(えしんそうず)・源信さんが往生要集を書き著した場所(六道絵の章参照)。
また、源信さんは、浮舟の入水を助けた僧侶として源氏物語にも出てくる(三室戸寺の章参照)。

 

 

閉門の16時ギリギリに退出する。

 

今日は開門から閉門まで境内を歩き回り、十分堪能した。
あいにくの天気にも関わらず、東塔地域は沢山の参拝客がいたように思う。
また、広大な雲海を望むことができ、雨ゆえのメリットもあった。
あとは何といっても、国宝殿でたくさんのお不動さまにお目にかかることができ、
このブログの主目的を果たすことができ、満悦することができた。
国宝殿で購入した「比叡山の不動明王」というパンフレットは300円で購入でき、詳しく説明されているのでおすすめです。現地に行けない人は郵送でも頼めるようなのでいかがでしょうか。

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