スポンサーリンク

その他神社仏閣

牛若丸と天狗の伝説-鞍馬寺

本日は五人で鞍馬(くらま)と貴船(きぶね)を歩いてみた。

昨年夏の大雨による土砂崩れのため、叡山電車が不通となっており、今日は地下鉄・国際会館駅からバスで向かった。

 

歩行日:2021年3月7日
出発地:京都バス・鞍馬バス停(08:55)
到着地:京都バス・貴船口バス停(15:10)
総歩行距離:18.7 km

 

今日のルート。
バスで鞍馬駅まで向かい、そこから鞍馬寺を参拝し、奥の院から貴船神社へ向かった。
普通に歩けば 8km 程度のコースだが、お堂の中を徘徊したり、博物館の中をウロチョロしているうちに、18km 以上も歩いたことになった。

 

日本一短いといわれるケーブルカーは使わずに、徒歩で上った。
下図で説明すると、2km 地点が鞍馬寺、最も標高の高いところが奥の院、そこから急激に下りた 3.5km 地点が貴船神社、そこからゆるやかに上った 4.5km 地点が貴船神社の奥宮となっている。
消費カロリーは 2,535 kcal。

 

 

鞍馬寺の位置。京都を北から守護するお寺ということがよく分かる。

京都駅から地下鉄に乗り、終点の国際会館駅まで行き、そこから京都バスに乗り換えて鞍馬に来た。
鞍馬といえば、天狗(護法魔王尊)が 650 万年前に金星から降臨した場所である。

 

今日は五人組で歩く。
今は不通となっている叡山電車・鞍馬駅前で撮影。

 

 

鞍馬駅を出ると、門前町が広がり、奥に鞍馬寺の仁王門が見える。

 

 

鞍馬寺の山号は鞍馬山(くらまやま)、宗派は鞍馬弘教。
1949年までは天台宗であったが、そこから独立。
源義経(みなもとのよしつね、幼名・牛若丸)が7歳から16歳までここで過ごし、天狗から兵法と剣術を学んだ寺として有名である。
平治の乱で父・義朝は敗死し、母・常盤御前とも別れ、牛若丸は鞍馬寺に預けられて修行に励んだ。
そして、五条橋で弁慶を家臣にし、最終的には平家打倒に大活躍する。

 

 

牛若丸(別名・遮那王(しゃなおう))が天狗から兵法の手ほどきを受けている絵。

 

 

五条橋で牛若丸は弁慶を負かし、家臣にする。

 

 

筆者も持っていますが、源義経の幼少期をもっと知りたい方は絵本が出ています。

 

鞍馬寺の仁王門。
明治時代に再建されたものだが、左側の扉一枚だけは寿永年間(1182~1184年)のものといわれている。

 

 

この扉だけは平安時代のものといわれており、牛若丸もこの扉に触れたのかもしれない。

 

 

仁王門をくぐり、境内に入る。

 

 

六地蔵さま

 

 

普明殿と書かれたこの建物はケーブルカーの駅舎も兼ねている。
ここからケーブルカーに乗って鞍馬寺の本堂近くまで行くことができる。

 

 

今日は枯れていたが「魔王の滝」に到着。

 

 

下からは見えにくいが、祠の中には護法魔王尊(天狗の正体)が祀られている。

 

 

天狗は様々な人物に化けることができるといわれており、そのうちの一人が陰陽師・鬼一法眼(きいちほうげん)である。
天狗が鬼一法眼となって牛若丸に兵法を教えたともいわれている。

 

 

魔王の滝のすぐ横には、鬼一法眼を祀った社がある。

 

 

鬼一法眼社から少し行くと、「鞍馬の火祭」で有名な由岐神社(ゆきじんじゃ)に着く。
ご祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。
もともとは鞍馬寺の鎮守社であった。

 

 

鳥居のすぐ先には拝殿が見える。

 

 

樹齢八百年の大杉。びっくりするほど高い杉の木。

 

 

由岐神社の本殿にお参りする。

 

 

由岐神社の御朱印。

 

 

火祭に使われる松明(たいまつ)。

 

 

由岐神社を後にし、少し行くと牛若丸ゆかりの川上地蔵堂に着く。
この向かいには牛若丸が住んでいた坊があるので、ここのお地蔵様を毎日拝んでいたのだろう。

 

 

牛若丸の住居跡は東光坊跡といわれるが、今は供養塔が建てられている。
牛若丸は、昼間はここで学問し、晩になると僧正ガ谷(そうじょうがたに;後述するが、奥の院の手前にある。)まで出向いて兵法と剣術の修行を行った。

 

 

中門をくぐる。

 

 

平安時代には、清少納言もこの九十九折り(つづらおり)に重なった道を歩いたことが知られており、彼女は枕草子の中で「近うて遠きもの くらまの九十九折りといふ道」と歌っている。

 

 

阿弥陀如来が祀られた転法輪堂。

 

 

鞍馬駅から40分ほどかけて、鞍馬寺の本堂となる本殿金堂に到着した。
ご本尊は、尊天とよばれる三体の仏さまであり、中央に毘沙門天さま、向かって右側に千手観音さま、左側に護法魔王尊さま。

 

 

三角形は金剛床(こんごうしょう)。
宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する場とのこと。

 

 

筆者たちも、宇宙から神さま仏さまのみなぎるパワーをいただいた。

 

 

鞍馬寺では、阿吽のトラが睨みをきかせている。
トラは、毘沙門天の使いである。

 

 

扁額には「尊天」と書かれている。
寺紋は、菊の花を横から見た形となっている。

 

 

本尊は秘仏で60年に一度公開される。
次に公開されるのは2046年とのこと。
筆者は無理だな。
テレビ放送から御前立をご紹介する。
中央の毘沙門天さま。

 

 

右側の千手観音さま。

 

 

左側には護法魔王尊さま。正しく天狗である。

 

 

鞍馬寺の御朱印。「尊天」

 

 

また、お守りとして「降魔扇」を購入した。

 

 

本殿金堂の対面には「翔雲台」とよばれる磐座(いわくら)があり、ここは本尊(毘沙門天)が降臨された場所である。
北方を守護する毘沙門天(多聞天)はここから、南に位置する京都を眺め、都を守護した。

 

 

本殿金堂の左には、光明心殿がある。

 

 

光明心殿には650万年前に金星から降臨された護法魔王尊が祀られている。
この仏像は、四天王寺の金剛力士像や比叡山延暦寺・大講堂の大日如来像を作った松久朋琳(1901-1987)の作である。

 

 

魔王さまの参拝を終え、奥の院方面へ向かう。

 

 

途中、霊宝殿に立ち寄る。
拝観料はたったの200円。
これで国宝が拝めるのだからお得である。

 

 

写真撮影禁止なので、テレビ放送からご紹介する。
この博物館には計5尊の毘沙門天が安置されている。
これは、国宝の毘沙門天三尊。
中央が毘沙門天、右側が妻の吉祥天、左側が息子の善膩師童子(ぜんにしどうじ)。
父も母もいない牛若丸はこの仏像を見たはずであり、それにより家族というものを回想したのかもしれない

 

通常、毘沙門天は左手に宝塔を持つのだが、この毘沙門天さまは遠くを見るような素振りをしておられる。
これは、北側から南の平安京の無事をうかがう素振りであるとのこと。

 

 

吉祥天さま

 

 

善膩師童子さま

 

 

霊宝殿を出発し、奥の院へ向かう。
これは「息つぎの水」。この日は枯れていたのが残念。
牛若丸は、毎夜、この道を通って僧正ヶ谷(そうじょうがたに)へ兵法と剣術を学びに行っていたが、途中ここで給水していたのだという。

 

 

確かに給水が必要なほどの急登である。

 

 

牛若丸・背比べの石

 

 

木の根道
この辺りは岩盤が固いため、杉の木が地中に根を張れず、外に浮き出ている。
牛若丸はここをピョンピョン跳ねることで跳躍力を鍛え、壇ノ浦の戦いのときに八隻の船を次々を飛び移って活躍した、いわゆる「八艘飛び(はっそうとび)」の元となった。

 

 

大杉大権現。
杉の古木は、護法魔王尊が仮の姿をしておられるとのことで、エネルギーの高い場所となっている。

 

 

僧正ヶ谷(そうじょうがたに)の不動堂に到着。
毎晩、牛若丸はここで天狗から武術の手ほどきを受けた。
なお、不動堂の不動明王は伝教大師・最澄作とのことである。

 

 

義経は、異母兄の源頼朝により追われ、平泉で自害した。
義経の御霊を祀った義経堂。合掌🙏

 

 

そして、奥の院・魔王殿に到着。
ここは、650万年前に護法魔王尊さまが金星から降臨された場所。

 

 

一説によると、これは牛若丸が刀で切りつけた跡らしい。

 

 

西門から鞍馬寺を出る。

 

もっと詳しく鞍馬寺を知りたい方は ↓ の本がお勧めです。

 

鞍馬寺では、天狗さまに向かってお祈りするということで、いつものお寺参りとは異なる感覚が味わえます。

また、小学生くらいの年齢で両親から離れて一人暮らした牛若丸について、ぜひ思いを馳せていただきたいと思います。
懸命に努力して文武両道を極め、弁慶を従えて平家を打倒し源氏隆盛の立役者となった義経です。
しかし、その後異母兄の頼朝から逆賊扱いをされて、最後には自害するところまで追い詰められてしまう悲劇のヒーローであり、想像するととても切なくなります。

京都随一のパワースポットであり、歴史ロマン溢れる鞍馬寺をぜひ皆さんもご参拝ください。

スポンサーリンク

-その他神社仏閣

© 2021 山歩き町歩き日記 Powered by AFFINGER5