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歴史

大阪府豊能町高山 ー キリシタン大名・高山右近の故郷

日本で初めてキリスト教を布教したのはスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルであるが、
そのザビエルが亡くなった 1552 年、高山右近(たかやまうこん)は大阪府豊能町高山で生まれた。

高山右近は、歴史的には代表的なキリシタン大名として知られているが、それだけではなく、
戦国時代(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の代にわたって)の英傑としてその才能を遺憾なく発揮している。

1. わずか21歳で高槻城の城主となる。織田信長からも一目置かれた家臣となる。
2. 本能寺の変直後の豊臣秀吉 VS 明智光秀による天下分け目の「山崎の戦い」で、両者とも優秀な高山右近を陣営に入れようと必死となり、右近を味方につけた秀吉が勝利した。実際に、このとき右近は先陣を切り、敵将 200 の首を取ったといわれる。
3. 徳川家康は、キリシタン禁教令で高山右近をマニラに追放したが、その実、右近の武将としての才能を恐れたためだといわれる。
4. 武将としての才能だけでなく、茶道も一流で、千利休の七人の弟子(利休七哲)の一人でもある。

戦国時代大好きの筆者としては、非常に魅力的な高山右近の生誕の地を訪ねた。

歩行日:2019年6月22日
出発地:右近の郷・高山コミュニティーセンター(11:20)
到着地:右近の郷・高山コミュニティーセンター(12:40)
総歩行距離:3.0 km

本日のルート。

出発点は廃校となった校舎を利用した「右近の郷・高山コミュニティーセンター」。
ここで散策マップをいただいた。
ここには千里中央発のバスでも来ることができるが、本数が少ない(一日二本程度)ので、
マイカーで来るのが便利である。
高山右近は2016年、バチカンにおいて「福者(ふくしゃ)」としてローマ法王から承認を受けている。
福者とは「聖人」に次ぐ称号であり、カトリック教会の崇敬対象となる。

高山右近・志野夫婦像。おしどり夫婦として知られている。

高山地区の散策マップ。この番号順に散策することにした。

御旅所。マップ右上の住吉神社の御旅所だろう。

道しるべ。勝尾寺まで30丁(3キロちょっと)と書かれている。

この灯篭は17世紀半ばに建てられたとのこと。

神輿が鎮座する台。

次に、高札場(こうさつば)に向かう。

高札場が見えてきた。

上には高札。下にはお地蔵さんが見える。

領主が法度(法律)を記し、人通りの多いところに掲げた板札を高札(こうさつ)という。
高札には、「定(さだめ)・キリシタン教を固く禁止する」と書かれている。
太政官により掲げられたこの高札は慶応四年(=明治元年)なので、もうすぐ明治維新という時に掲げられた。
実際に日本では明治6年までキリシタン禁止であった。

高札の下に安置されていたお地蔵さん。
よく見ると、お地蔵さんの台座にクルス紋のような模様が描かれており、
隠れキリシタンがお地蔵さんに手を合わせるふりをして、十字を切っていたのかも。

高札場の横には力石(ちからいし)があった。
青年が力比べをしていたのだとか。

60kg の力石。

さらに、西に進む。

西方寺が見えた。

西方寺は浄土真宗の寺。多くのキリシタンが祈りを捧げていた場所だったらしい。

そこから少し行くと、右近生誕の地がある。

同じ敷地内に社があった。

社と同じ敷地に観音堂もあり、神仏習合を表している。

阿多古神社。

さらに西に進む。

高山城跡の入口に到着。

ここから10分ほど山道を進む。

高山城跡に到着。高山右近の父・飛騨守が築城したといわれる。
後ろではシイタケの栽培木があり、あまり遺構らしきものはなかった。

山を下りて、次に高山マリアの墓を目指す。
高山マリアは右近の母であるが、マリアというのは洗礼名であり、実名は不明。

光明寺。勝尾寺の奥之院として、777年に開創。現在は浄土真宗本願寺派に改宗している。

高山マリア墓の案内板。

案内に従って進む。

高山マリアの墓に到着。計4基の墓石があるが、1基は少し離れている。
2組の夫婦の墓らしく、また18世紀半ばに建立されたということで、高山右近の母の墓というわけではないらしい。

高山右近は敬虔なクリスチャンである。
豊臣秀吉はバテレン追放令を出してキリスト教を取り締まったが、
右近の才能と功績を惜しんだ秀吉は、千利休を使わして右近の棄教を迫った。
しかし、右近は首を縦に振らず、領地と財産を全て捨ててまでして自身の信仰を守った。
最後には徳川家康によってフィリピン・マニラに追放され、そこで63歳の生涯を閉じた。

キリスト教では人を殺めることは禁止されているはずであるが、
右近は戦となれば何百人もの首を取ったとされている。
こういった矛盾に自ら苦しんだかどうかは分からないが、
不器用ながら一途に時代を生きたという意味ではかっこいい人生を歩んだのではないかと思う。

さて、筆者はこの後、止々呂美(とどろみ)地区まで行き、そこから山道を南下し、久安寺まで向かったので、
それは次回にご紹介します。

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