みちのくひとり旅、最終日の今日は松島に行き、四寺廻廊の残り一つである瑞巌寺(ずいがんじ)を参拝した。
瑞巌寺は、正式名称・松島青龍山瑞巌円福禅寺であり、828年に慈覚大師・円仁によって開山された。
その時は天台宗・延福寺とよばれていた。
鎌倉時代には北条時頼の命により、臨済宗円福寺と改称された。
戦国時代には円福寺は衰退したが、それを江戸時代に復興させたのが伊達政宗公である。
瑞巌寺は、伊達家の菩提寺となっている。
瑞巌寺の位置。
最寄りの JR 松島海岸駅から徒歩5分程度。
歩行日:2021年5月2日
出発地:JR 松島海岸駅(8:15)
到着地:JR 松島海岸駅(9:45)
総歩行距離:3.6 km
今日のルート。
最寄駅から散策した程度の歩行である。

今日のスタートは JR 松島海岸駅。
仙台駅から仙石線で40分。



筆者は、松島には観光で何度も来ているので、今日の目的は瑞巌寺を参拝し四寺廻廊の御朱印をコンプリートすることである。

筆者が松島に来たら必ず立ち寄るパン屋さん。
まだ閉まっているので帰りに立ち寄ろう。

ご存知の通り、松島は宮島、天橋立と並んで日本三景の一つである。
宮島
天橋立
瑞巌寺(ずいがんじ)に到着。
「国宝 瑞巌寺」と書かれている。
瑞巌寺の本堂は国宝に指定されている。
総門。
瑞巌寺は、臨済宗妙心寺派に属している。
妙心寺についての筆者のブログはこちら。

扁額には「桑海禅林」と書かれている。
「扶桑(日本)の海辺の禅寺」の意。

気持ちよく参道を歩く。


鰻塚(うなぎつか)なるものがあった。
なんでも、松島はその昔、一大ウナギ産地だったとのこと。
ウナギさんに合掌🙏

筆者の好きな「瑞巌寺・洞窟遺跡群」。

奥州の高野とよばれていたらしい。

昨日の山寺と同じく、ここにも西国三十三所の参拝所がある。
西国三十三所観音巡礼は、日本最古の巡礼であり、歴史的には四国の遍路よりも古い。




筆者の自宅から最も近い、勝尾寺の千手観音さま🙏

先日、満願で訪れた華厳寺。
鉄道殉職者の供養碑。

ここから先は拝観料 700 円をを納めて入る。

法身窟。
鎌倉時代に、宋より帰国した法身性西禅師と、諸国行脚中の鎌倉幕府執権・北条時頼公が出会ったところと伝わる。
この出会いの後、時頼は伽藍を整備し、法身禅師を開山に迎えて臨済宗円福寺を開創した。


中門。
瑞山円福禅寺。


瑞巌寺の本堂は国宝。
ご本尊は、聖観音さま。
伊達政宗公の位牌も祀られている。

聖観音さま。

庫裏(くり)。
本堂内へはここから入る。




中庭。

わらぐつ。
この辺りはあまり雪は積もらないはずだが。

青龍殿の中を見学。

御成門。
天皇陛下のみが通ることができる。
瑞巌寺は、明治天皇が行幸されたときの行在所になっていた。

瑞巌寺の御朱印。

そして、四寺廻廊もこれにて満願。

四寺廻廊を満願すると、最後のお寺で色紙をいただける。
筆者の場合は、瑞巌寺で満願となったので、瑞巌寺の色紙をいただいた。
熱心な人は、満願のお寺を変えて4枚の異なる色紙を手に入れるとのこと。



芭蕉碑

境外御堂である三聖堂。
正面に聖観世音菩薩像、左に達磨大師像、右に菅原道真像を安置したことから三聖堂とよばれている。


土産には「萩の月」を買っていこう。

松島


五大堂も瑞巌寺の境外御堂である。

五大明王が祀られている五大堂。


さて、来るとき閉まっていた「パンセ松島」さんでパンを購入。
買ったのは、牡蠣カレーパンとずんだメロンパン。
牡蠣カレーパンはふわふわで、仮に牡蠣が入っていないとしてもカレーパンとして絶品。
ずんだメロンパンは、メロンパンの中にずんだがたっぷり入ったこれまた絶品のパン。
皆さんも松島を訪れた際にはぜひ。



さて、駅に戻ってきた。



ホテルをチェックアウトし、仙台空港駅にやってきた。


「萩の月」を購入し、17:40 発伊丹空港行きの ANA738 便にて帰阪。

乗客はやはり少ない。

雨の中のフライト。


雲の上は晴れ間が出ていた。


セントレア中部国際空港。

夕焼け

大阪上空。


途中、地震というアクシデントに遭ったが、どうにか四寺廻廊の四寺を全て参拝することができた。
いずれも由緒ある寺であり、これらの名刹を訪れたことは筆者には忘れられない思い出となった。
このブログでは政治的な話はあまりしたくないのだが、最後に少しだけ。
コロナ禍の真っ最中に、こうしてフラフラと出かけるのはいかがなものかという気がしないでもない。
ただ、筆者は自分の頭の中で「こういう条件ならば旅行をキャンセルして自粛する」という基準を設けており、今回はその条件に該当しなかったため、自身の責任のもと行動した。
国や自治体が頼りにならず、彼らのいうことが必ずしも正しいとは限らない現在、こうして自分で意思決定することが求められているのだと思う。

