まず初めに、京大坂道については、新しい記事もご覧ください。
古くから高野山を参詣するルートとしては7つあり、高野七口(こうやななくち)とよばれる。
大阪から向かう道としては、町石道(下図の1番)、京大坂道(下図の6番)、黒河道(くろこみち、下図の7番)
などが良く知られている。
(「わかやま観光情報」より抜粋)
以前、高野山をこのブログで取り上げたときは、天候が雪だったこともあり、大門までバスで向かった。
本日は快晴だったこともあり、徒歩で登ることにした。
ルートは上図の6番ルートの極楽橋駅から女人堂まで歩き、京大坂道のゴールの女人堂からは女人道を通って、大門に向かった。
(「わかやま観光情報」より抜粋)
今日の徒歩コースは、極楽橋駅→女人堂→弁天岳→大門→根本大塔→金剛峰寺→奥之院(弘法大師御廟)→波切不動尊→徳川家霊台→極楽橋駅
歩行日:2019年4月7日
出発地:南海・極楽橋駅(9:00)
到着地:南海・極楽橋駅(16:20)
総歩行距離:20.4 km
本日のルート。
今日はたくさん歩くことを予想しており、また家から遠いということで朝6時に家を出た。
なんば駅で南海高野線に乗り、橋本駅で乗り換え、終点の極楽橋駅には午前9時に着いた。
極楽橋駅付近には民家はなく、ここで降りる乗客のほとんど全ては高野山行きのケーブルカーに乗り換える。
筆者は徒歩で高野山に向かうため、極楽橋駅で下車した。
駅の改札はご覧の通り、路地裏のようである。
少し進むと、不動坂へはUターンせよとのことなので、指示に従う。
Uターンすると、駅名にもなっている極楽橋が見えた。
右上は極楽橋駅である。
筆者一人だけかと思ったが、前に見えるカップルも徒歩で高野山に向かうようだ。
ここから不動坂コースとなり、「京大坂道」の一部である。
極楽橋を渡り、その後、左折する。
橋を渡り終えた直後に案内板があった。今日はここから女人堂へと向かう。
ここから女人堂までは二十四丁と書かれている。一丁は110mなので、2.6km くらいか。
ただし、現在のルートは舗装した道であり、もう少し距離は長くなっている。
では、出発しよう。
川を挟んで、対岸に極楽橋駅が見える。
石畳の道を進む。
横に見えるのはケーブルカーの線路。突き当たりでトンネルをくぐる。
ちょうど高野山駅に向かうケーブルカーが通過した。
このケーブルカーは今年の3月に新造されたもので、スイス製。
トンネルをくぐって左折する。
2016年8月には女人堂付近でツキノワグマが木に登っているのを発見されている。
不動坂コースは新旧2つのルートがある。
ここはその新旧ルートの分かれ道で、正面が新ルート。
右折すると旧ルート(いろは坂)。
新ルートの方が少し距離が長くなるが、石畳の道なので歩きやすい。
旧ルートは完全な山道。
筆者は新ルートを歩くことにした。
一本道なので迷うことはない。
あと、2km で高野山。
9:38 に萬丈が嶽に着いた。
ここは昔、高野山で罪を犯した人の刑場で、手足を紐でくくり簀巻き(すまき)にして谷に転がしたとのこと。
それでもなお命が助かった人は免罪になったという。
少し進むと、兒滝(ちごのたき)に着いた。
昔、稚児がこの滝から身を投げたことからこの名が付けられ、ここも先ほどの萬丈が嶽と同じく、心霊スポットとされる。
滝自体は草むらの間からかすかに見える。
先に進む。
旧不動坂ルート(いろは坂)と合流した。
合流点から振り返ると、このようになっている。
正面の石畳の道が筆者が通ってきた道で、左に見えるのがいろは坂。
合流点の先には橋があり、その先にはお堂が見える。
9:41 に清不動堂(きよめのふどうどう)に着いた。
このお堂は何度も再建されてきたのだが、もともとは弘法大師草創とのこと。
高野山に参拝する前に心身を清めるためにこの名が付いた。
不動坂コースという名もこのお堂に由来する。
清不動の右側には新ルートが見えているが、清不動と新ルートの間に急ルートがある。
ここからは旧ルートを選択した。
旧ルートはこのような山道となっている。
9:57 花折坂(はなおれざか)に着いた。
その昔、参拝者が奥之院へ供える花をここでとったのでこの名が付いた。
花折坂には石仏がある。
正面にはお不動さん(不動明王)、右側はお地蔵さん(地蔵菩薩)。
この写真で気付いたのだが、高野まきが供えられているが、お不動さんのは地面に落ちている。
気付いて拾ってあげればよかった。
ここまで来ると、女人堂はもうすぐである。
車道に出た。この道はケーブル高野山駅から金剛峯寺へ向かうバスが通る、バス専用道路である。
少し行くと、お堂が見えてきた。
10:06 に女人堂に着いた。
高野山は明治39年(1906年)5月まで女人禁制であった。
女性は境内に入れないので、その回りに造られた女人道を歩き、
高野七口(こうやななくち)といわれた高野山への登山道にそれぞれ設けられた女人堂というお堂を参拝していた。
七つの女人堂のうち、現存するのはここ(不動坂口女人堂)だけである。
こうやくん
女人堂の内部。
お堂内部は写真撮影OKであった。
正面は胎蔵界大日如来、右は弁財天、左は役行者(えんのぎょうじゃ、修験道の創始者)。
女人堂の御朱印。「大日如来」と書かれている。
女人堂の右手には高野山境内の入口がある。
道路を挟んで女人堂の向かいにはお地蔵さん。
お地蔵さんの右手には細い道があり、これが女人道であり、大門に行ける。
それでは、女人道を登っていく。
道はかなり細くなっている。
大門に行くには、弁天岳山頂を経由することになる。
どんどん進む。
今回の旅ではこの辺りの登り道が体力的に一番きつかった。
ようやく鳥居が見えてきた。
10:40、弁天岳山頂に到着。
弁天さんにお参りする。
弁財天のご真言は「おん そらそばてい えい そわか」である。
インドの芸術と学問の女神はサラスヴァティーであるが、
「サラスヴァティー」→「さらすばてぃー」→「そらそばてい」というのが由来。
弁天岳からの風景。
山頂はこんな感じ。
三角点。
さて、ではここから女人道を下って、大門に行こう。
上りとは違って、緩い下り坂は快適である。
途中のお地蔵さん。
さらに女人道を下る。
休憩テーブルが置かれていた。
さらに下る。
鳥居が見えてきたので、大門は近いはず。
大門口の案内板。
さらに下っていく。
クマ注意。
右手に車道が見えてきた。
11:04、大門に到着。総本山金剛峯寺の入口にあたる。
「日々の影向(ようこう)を闕(か)かさずして」「処々(ところどころ)の”ゆいせき”(遺跡)を検知(けんち)す」
と書かれている。
『日々、お大師さまが奥之院(御廟)から姿を現して、縁のあった場所を巡りながら人々を助けている』という意味。
阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の金剛力士像。
大門で一礼し、境内に入る。
境内といっても広く、学校、郵便局、消防署、役場もあり、ひとつの町となっている。
お茶を購入し、しばし休憩。
11:20、高野山の本堂(金堂)の入口に相当する中門に着いた。
この中門も以前紹介している。
先ほどの大門では仁王が祀られているが、この中門では四天王が祀られている。
高野山金剛峰寺の本堂となる金堂(こんどう)。
本尊は薬師如来とも阿閦(あしゅく)如来ともいわれる。
金堂の左手にある六角経蔵。
文字通り、お経が収められている。取っ手を使って時計回りに回すことができ、お経を読むのと同じ効果があるとのこと。
入母屋造り(いりもやづくり)のこのお堂は山王院(さんのういん)。
この裏手に御社があり、その拝殿に相当する。
山王院の裏には本殿にあたる御社(みやしろ)がある。高野明神等、高野山の神々が祀られている。
昔の鐘楼。
西塔。本尊は大日如来。
孔雀堂(くじゃくどう)。本尊は孔雀明王。
ご本尊の孔雀明王。快慶が作製したものは後で訪れる高野山・霊宝館に安置されている。
准胝堂(じゅんていどう)。本尊は准胝観音。真言宗では重要な仏様である。
これは三鈷(さんこ)の松。
その昔、弘法大師・空海が遣唐使として唐に留学し、帰国するというとき、
「日本のどこで真言密教を伝搬すればよいのか」と思案し、三鈷杵(さんこしょ)という仏具を唐の海岸から思いっきり投げたという。
その三鈷杵ははるか日本まで届き、高野山のこの松にひっかかったので、三鈷の松とよばれ、ここで真言宗が開かれたという伝説がある。
松は通常二葉であるが、ここの松には時々三葉の葉が落ちており、それを拾って持っておくとご利益があるという。
松の前でしゃがんでいる人たちは皆、三葉の葉を探している人たちである。
筆者も10分くらい探したのだが、今回は見つけることができなかった(泣)。
前回訪れた時は、人も少なく、容易に見つけることができたのだが。
高野山のシンボルでもある根本大塔。
現役の白い鐘楼、高野四郎。
愛染堂。本尊は愛染明王。
そしてこれが壇上伽藍の中で唯一の国宝である不動堂。本尊はもちろん不動明王。
御影堂。弘法大師・空海さんを祀っている。
大会堂(だいえどう)。阿弥陀三尊(中央に阿弥陀如来、左に勢至菩薩、右に観音菩薩)は筆者のお気に入り。
阿弥陀三尊は、筆者のブログでも、当尾(とおの)の石仏や大原・三千院にある極楽往生院などで紹介済みである。
中央で定印(じょういん)を結んでおられるのが阿弥陀如来。左で合掌しておられるのが勢至菩薩。
三昧堂(さんまいどう)。
東塔。
手水舎も白色。高野山にも外国人観光客が多数来られている。
壇上伽藍を拝観した後は、博物館である霊宝館へ向かう。
11:52、霊宝館に着いた。入場料は600円。
霊宝館内はもちろん撮影禁止だったのだが、快慶作の孔雀明王や四天王立像、など国宝・重文のオンパレードで、見応え十分であった。
霊宝館を出て、東に進む。
大師教会(だいしきょうかい)。授戒や写経などが行える。
金剛峰寺の方へ進む。
12:37、金剛峰寺に着いた。
前回は拝観料を収めて中に入らせていただいたが、今回は通過して奥之院へ向かう。
奥に見えるのは高野山大学。
どんどん東に進む。
前回立ち寄った苅萱堂(かるかやどう)。
三叉路を左に進む。
東に進むと、前方に一の橋が見えた。
12:53、一の橋に着いた。
ここから 2km 先の奥之院(弘法大師御廟)までの参道は 20 万基の墓の間を通っていく。
一の橋の手前には手水舎もある。
それでは進む。
加賀藩・前田家の墓所。
薩摩藩・島津家の墓所。
このような道が延々と続く。
武田信玄・勝頼親子の墓所。
そして、筆者一番のお気に入り武将である上杉謙信の御廟。
お気に入りなので写真は多めに。
上杉謙信は毘沙門天(びしゃもんてん)を信仰し続け、自身も毘沙門天の生まれ変わりだと信じていた。
ここにも毘沙門天の「毘」の文字。
人気のある武将なので、今でもお供え物が絶えない。
上杉謙信はお酒が大好物だったことが知られている。
独眼竜・伊達政宗の墓所。
この時代は火葬ではなく、土葬だったので、遺骨というものはない。
したがって、この中に遺骨があるわけではないので悪しからず。
石田三成の墓所。三成はこの五輪塔を三十歳のときに生前葬の逆修供養(ぎゃくしゅくよう)として造立した。
この頃の三成の所領は四万石ほどしかなかったが、にもかかわらず、このように大きな五輪塔を造ったのは、
それほど弘法大師信仰が厚かったことの現れであろう。
明智光秀の墓所。
汗かき地蔵と姿見の井戸。
井戸に自分が映らなければ三年の間に死んでしまうという井戸。
今回もちゃんと映ったので一安心。
松平秀康は徳川家康の次男。
豊臣秀吉の墓所。
左前方に織田信長墓所の案内が見える。正面は奥之院。
織田信長の墓所。
信長も人気がある。
法然上人の墓碑。
13:40、奥之院でお大師さんに参拝したが、撮影禁止なので残念ながらお見せすることはできません。
しかし、燈籠堂(とうろうどう)とその裏手にある弘法大師御廟、また燈籠堂の地下等、
全て印象深いところなので、ぜひ一度足を運んでみてください。
奥之院参拝の後は大黒天堂で御朱印をいただく。
奥之院の御朱印。「弘法大師」と書かれており、その上には弥勒(みろく)菩薩の梵字。
弘法大師は入定(にゅうじょう)のとき、「自分はこれから弥勒菩薩の元へまいり、
56億7000万年後に弥勒如来とともによみがえる」と言ったという。
奥之院参拝を終え、中の橋駐車場の方向に進む。
前回紹介しきれなかった供養塔をご紹介しよう。これは UCC コーヒー。
何かと話題の日産自動車。
東洋ゴム工業株式会社の慰霊碑。
これは福助の慰霊碑。
しろありの供養碑なんかも高野山にはある。日本しろあり対策協会。「しろあり やすらかに ねむれ」。
もうすぐ参道出口となる。
中の橋駐車場のある交差点に着いた。ここからから西方向に向かう。
西向きに進む。
14:30、前回も紹介した「光海コーヒー」さんに着いた。ここで遅めの昼食をとる。
注文したのは「精進カレー」。肉類は含まれていない。
千手院橋の交差点を北上する。
15:10、波切不動尊に着いた。前回の房総半島のブログでも紹介したが、「波切」とは航海安全のこと。
ここはその本山となっている。
波切不動尊の御朱印。
波切不動尊の隣には徳川家霊台があり、拝観料200円だったので、入ってみることにした。
これは第二代将軍徳川秀忠の霊屋(たまや)。
そして、これはご存知、徳川家初代将軍・家康の霊屋。
徳川家の家紋である三つ葉葵。水戸黄門の印籠でも有名。
徳川家霊台を出て、さらに西に進む。
15:30、再び女人堂に戻ってきた。
女人堂を越えて少し進むと、不動坂の入口に着く。
左はバス専用道路の高野山駅方面。右側が不動坂。
不動坂を戻る。帰り道は下りなので、鼻歌混じりに歩く。
15:47、清不動堂に戻ってきた。
さらに山を下る。
16:12、極楽橋駅が見えた。と、特急「こうや」が待っているではないか。
スマホで時刻表を調べると、この電車は 16:21 発であることが分かり、ここから駅までダッシュする。
なにせ、この駅では一本逃すと次は何分後になるか分からない。
極楽橋の下をくぐる。急ぎながらも、ちゃっかり写真は撮る。
極楽橋駅の改札に到着した。
大急ぎでなんば駅までの特急券780円を買い、特急「こうや」に乗り込む。
20km 以上歩いて最後はダッシュしたので、大変疲れたが、高野山は自分の足で登りたいと思っていたので、
大満足の旅であった。この日は大阪府知事選挙であったが、投票締め切り時刻ギリギリに間に合い投票することができた。
次回は、町石道コースで高野山にお参りしたいと考えている。ただ、このコースは 24km、7時間程度かかるとのことなので、
日帰りでは難しいだろうな。
宿坊を予約して、準備万端で参拝しようと思う。